じゅらい亭「借金帳簿日誌」

じゅらい亭「借金帳簿日誌」〜その3〜
投稿者> 花瓶
投稿日> 05月07日(木)15時52分12秒


【突発大家】



  じゅらい亭に来ていたフェリシア使いは、猫形態のままテーブルの上で横になって昼寝
していた。
  一匹の蝶が、ひらひらと鼻の頭から離れていくのが見える。
「……………にゃっ?」
  ムズムズしたのか、手を舐めて鼻をこする。
  いつもならじゃれつくのだが、それ以上に眠気が勝ったようだ。フェリシア使いは蝶を
さして気にした様子もなく、うっすらと開いた瞼を閉じ、再び夢の世界へと返っていく。
「……………かわいい」
  掃除中だった悠乃は、その様子を見てくすっと微笑んだ。
「陽滝さんはお茶のいれ方が上手ですねぇ」
「大家さんが持ってきてくれた玉露がよかったんです」
  大家も陽滝も、フェリシア使いの仕草を見ながらお茶をすすっている。
  この時点では、じゅらい亭も平隠という名の日常の中にいた。

♪

  街の広場に一人の吟遊詩人の歌声が響く。それを少し離れて聞く見物人が数人。
「blue鳥が空高く飛ぶ〜   green風になびく草達〜…………」
  ドラゴンを倒した戦士を称えるような歌とは違うようだ。
  だが、聴衆者の中に気にしているような人物はない。今まわりにいるのは、こういう歌
を聞くためにいるようだった。
  吟遊詩人の名はこのは。しょっちゅうこの広場に来ているので、結構顔は知られていた
りする。
「雪の〜様に  心溶けて〜素直になれ〜ると〜信じる〜…………」
  このはの指が楽器の上を動く度に奏でられる音楽は優しく、歌声とあわせて聞くと、さ
らに人々を優しい気分にさせてくれる。
「そんな〜新しい〜  予感〜………」
  とりあえずワンコーラス目が終わり楽器だけの演奏になった時、偶然広場を通りかかっ
たフェリシア使いがこのはの姿を見て駆け寄ってきた。
「にゃーーーん♪」
  ぐぅわばっ!と思いっきり抱き着かれ、思わず演奏をストップしてしまう。
  文句を言おうと顔を見て、驚く。
「え、フェリさん!?ちょと今は演奏中なので、邪魔はしないで………」
「にゃーん♪にゃーん♪」
  聞く耳持たないフェリシア使いは、そのままこのはに頬擦りなんかしている。
「フェ、フェリさん!そんな他の人が見たら誤解するような行為を………」
「このはさん、なんでそんなコト言うんだにゃ?」
  不思議そうにこのはの顔を見るフェリシア使い。
「いつものことにゃん♪今更恥ずかしがることはないんだにゃん♪」
  そう言って、今度はこのはの顔を舐め始めた。猫と人、であればさほど気にもならなか
ったのだが、今はフェリシア使いも人型だった。かなり刺激的な光景である。
「フェフェフェフェフェフェリさんっ!!」
  思いっきり動揺するこのはだったが、今までの話の流れからだと『二人は付き合ってい
て、いつもこんな風にじゃれあっている』としか思えない。
  さっきまで歌を聴いていた人々もそう思ったようだ。集まっていた視線にふくまれるも
のが変わってくる。羨ましそうな人、呆れている人、恥ずかしそうな人。中には、泣きな
がら走り去っていく女性なんかもいた。
「いい加減にしないと、私も怒りますよっ!?」
  無理矢理引き離し、このはは大声で言った。一瞬呆然とするフェリシア使い。そして俯
くとふるふると震えだした。
「わかってるにゃ………。フェリよりも、音楽が好きだと言うつもりなんだにゃあ………」
  ぽつり、呟く。そして顔を上げると、このはの顔をきっ、と睨み付け怒鳴った。
「ずっと前からヒトと浮気してた事なんて知ってたんだにゃ!フェリが猫に変身するから
嫌にゃ?………だからって、あてつけとばかりにヒトと付き合うだにゃんて」
  ぽろぽろと涙が零れる。そして、そんなことは構わず言葉を続ける。
「嫌いなら嫌いと、はっきり言って欲しかったにゃ!それなのに誤魔化して、いつまでも
フェリの事を放っときっぱなしにゃ………。分かったんだにゃ!そっちがそのつもりなら
………!」
  何事か理解できていないこのはの腕の中からハープを奪うと、真っ二つにして壊してし
まった。
「あぁ!!私のハープ――――――」
  このはの言葉に、フェリシア使いはさらに険悪な表情をする。
「まだ嘘つくにゃ!?せめて最後は本当の事を言って欲しかったにゃぁ………………、さ
よならだにゃっ!!」
  フェリシア使いはそう言うと、このはを突き飛ばして走り去って行った。
  残されたこのはは、その様子を呆然と目で追う事しか出来なかった。広場にいた人々に、
このはに向かって好意的な視線を送る人物がいるはずはなかった。
「私がいったい何をしたんです………?」
  そんなこのはの呟きもいちいちもっともだ。今の場面を一部始終見ていた人が耳にして
も、信じはしないだろうが。
  ぽん、と誰かが自分の肩に手を置いた。のろのろと振り向くこのは。見ると、大家がこ
っちの方を見つめていた。しばらく間を置き、
「このはさん、あなた………ひどい人ですね。あの娘(こ)もかわいそうに…こんな男に
出会わなければ…」
  しみじみとした大家の呟きに、反論する気にもなれなかった。
「…あぁ、ところで、この辺にこれくらいの手鏡落ちてませんでした?」
「そんなこと、私は知りませんよ………」
  壊されたハープを拾い、肩を落として広場を去るこのは。
(当分ここでは歌えないな………)
  今の数分で疲れきってしまったこのはは、せめてフェリシア使いにあの不可解な行動の
理由を聞こうと、じゅらい亭へと向かうのであった。

♪

「兄貴、そろそろ一休みしようか?」
「そうしてくれるとすっごく助かる」
  焔帝は、やっと休めると安堵した。
  今日は瑠祢亜の買い物に付き合っていたが、嫌々というのが本音だ。
  焔帝の両手は三つほど箱を持ち、腕は買い物袋をいくつも下げていた。正面からみてる
と、荷物のかたまりに頭と足がはえたような感じだった。
  いいかげん、焔帝の疲労もたまる。
  元々は瑠祢亜のマグカップをうっかり割ってしまい、お詫びとして焔帝が新しいのを買
ってやるという事だったのだが、いまだその目的は達成されておらず、ずるずると今まで
買い物に付き合わされてしまったのだ。
(瑠祢亜、もう少し考えて買い物してくれ)
  心の中で願う焔帝だった。口に出すと(兄貴があたしのお気に入りの………!)などの
愚痴を聞かされてしまうので我慢する。
  取り合えず手頃なカフェテラスの席についた二人は、飲み物と二、三品ほど食べ物を注
文した。
「疲れたなー」
「もう少しだけだからさ、兄貴も頑張ってよ」
  さっきからこの言葉を瑠祢亜は言っている。焔帝は半ば諦めていた。
(お前が一回も嘘をついていなかったら、とっくに家に帰っている筈だ)
  今、主導権を握っている瑠祢亜だ。それを不機嫌にさせるのはあまり好ましくない結果
を生みそうなので、やっぱり今の言葉も飲み込んだ。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪」
「あれ………このはさんじゃない?」
「………あ?」
  ぼーっとしていた焔帝は、瑠祢亜の言葉を聞いていなかった。
「だから、あそこで歌ってるのこのはさんじゃないか、って言ったの!」
「………………ああ。そうみたいだな」
  振り向くと路上の一角に人だかりが出来ているのが見える。耳を澄まして聞いてみると、
歌声がこのはの物だと分かったのだ。
「なにやってるんだろう?」
「俺が知るわけないだろ。………そんなに気になるか?俺はまだ休みたいぞ」
「え、なんのこと?」
「ああ、違うのか。お前が立ち上がったから、てっきり歌を聞きに行こうとしてるんだと
思ったんだ」
  焔帝の言葉に、瑠祢亜は少し困惑したような表情をする。
「あれ?わたし、なんで立ち上がったんだっけ?」
「俺が知るか」
  瑠祢亜は不思議そうな顔をしながら、席についた。
(俺も一瞬、意味も無く立ち上がろうとしてたな………なんでだ?まさか、このはさんの
歌が関係してる、まさか呪歌―――なんてことはないか)
  一度気になり始めたら、なんとなく理由を知りたくなってくる。
「俺、ちょっと歌聴き行ってくる」
「後で教えてねー」
  席を立ち、このはのいる人垣へ向かう。瑠祢亜が声をかけてきたが、これは焔帝とは別
に、歌の内容が知りたくなったのだろう。あれだけ観客を集めているの歌なのだから、瑠
祢亜も聴きたくなったのかもしれない。
(やっぱり、何かおかしい)
  近づくにつれて、自分の意志が薄れていくような感じがする。それでも『気のせい』で
済ませられる範囲なので確証はないが。
「よお」
  このはに声をかけようと手を挙げる。このはは軽く会釈をした。
  歌を聴いていた客が、一斉にこちらを振り向く。
「………え?」
  人々は散り散りに逃げだした。中には走りながら「殺される!」だの「食われる!」な
どと、喚いている人もいた。
「な、なんなんだ?これじゃ、俺が何かしたみたいじゃないか」
  憮然とする焔帝。
「やあ、焔帝さん。今日もいい天気ですねぇ」
  演奏を止め、にこにこと笑顔で近づいて来るこのは。今逃げた人達を気にしつつ、焔帝
も挨拶に応える。
「ああ、まあな。………それよりも、少し聞きたい事があるんだけど」
「はい、なんでしょうか?」
「そこら辺の人が俺から逃げてる気がするんだけど、なんか知ってる?」
「ああ、それなら知ってますよ。今の今まで、私が焔帝さんについてあることないこと吹
聴していた所ですから」
「………このはさん、なんて言った?」
  このはの言っていることが分からなかった焔帝は、もう一度聞き返した。
「たとえがあった方が分かりやすかったですねぇ。まあ、簡単な所から言いますと、この
前あった銀行強盗、あれは焔帝さんのしたことだった、とかです」
  焔帝は思わず吹出してしまった。だが、このはの言葉はまだまだ続く。
「ときどき街中で起こる火事は焔帝さんの『炎輝吼』が原因だとか、『言う事聞かないと
看板娘がどうなるかわかってんだろうな?』と脅して、じゅらいさんが『じゅらい亭』で
一生懸命稼いだお金を借金も返さず持ち逃げするとか………。そうそう、人の良い(魔王
のいい?)ゲンキさんがいっつも暴走するのは焔帝さんのせいだ、とも言っておきました。
あとは、歩いてる時に焔帝さんと肩がぶつかろうものなら、三日以内に焔帝さんの貧乏を
うつされて、一生その人はひもじい思いをしてしまう、と。まあ、実例を用いて歌ったの
が効果ありましたねぇ。みなさんもやっと焔帝さんの危険性を理解してくれて、私も嬉し
いですよ」
  はっはっは、と笑っているこのは。実は焔帝の予想通り呪歌――『魅了』――を使って
焔帝を人食い人種と思わせていた。だから「食われる!」なんて悲鳴を上げて必死に逃げ
ていたのだが、その事に気付かない焔帝は怒りで拳を震わせていた。
「では、そういう事で私は帰ります」
  その場を去ろうとするこのはに、焔帝は腕を掴んで引き止める。
「帰るんだったら、理由を説明してからに………」
  焔帝の言葉は途中で切れた。
「だーれかぁ〜!殺されるぅー、たーすけてへぇ〜〜〜〜〜〜!」
  このはの言葉を信じきっていた焔帝は、叫び声に腕を掴む力が緩んでしまった。このま
までは、自分が危害を与えようとしていると見られるかもしれない、と思ったのだ。
「チャンス!」
  怯んだ隙にこのはは腕を振り払うと、懐から取り出した拳大の黒光りした玉を地面に叩
きつける。玉は簡単に破裂すると、中心から半径2メートル前後を煙で覆い視界を奪った。
「く、煙玉!?こんな物を持ってたなんて………」
  もう一度掴もうと手を伸ばすが、その時点でこのはは煙幕の中から抜け出していた。
「うひょひょひょひょひょひょ!悔しかったら私を捕まえてみなさい!ま、そう簡単には
行きませんがね………では、また会いましょう!」
  奇怪な笑い声を残して、このはは消えていった。
「ふふ、ふふ、ふふふふふふふふふふふふふ」
  今のセリフを聞き、焔帝は叫んだ。
「今の言葉、絶対後悔させてやるーーーーーー!!」

「………………何やってるんだろう?兄貴のやつ」
  遠くから見ているだけでは、二人の会話は聞き取れない。どこからか湧いた煙にまかれ、
煙に八つ当たりをしている自分の兄を、瑠祢亜は頬杖をついて眺めていた。
「おや、そこにいるのは瑠祢亜さんですね?」
「はい?………あ、大家さん」
  声をかけられた方を見ると、トレイに紅茶セットを乗せた大家が立っていた。
「いやあ、ちょっと探し物をしていたんですけど、疲れちゃって一休みしようとここに来
たんですよ………あ、ここ座ってもいいですか?」
「いいですよ」
  瑠祢亜の隣に座り、大家は一息つく。
「ふう………、探しているのはこれくらいの小さな手鏡で、文通している相手から送って
もらった物なんですけど、これがちょっと普通の手鏡じゃなくて………。」
  文通相手から送られてくる品物に『普通』の品は一つもないのだが、それをちょっと、
という一言で収めてしまう大家。
「へぇ、そうなんですか」
  復讐に燃えた焔帝が戻ってくるまで、二人は平凡な会話を繰り返していた。

♪

「あー、疲れた!」
  抱えた荷物を全部玄関に置くと、瑠祢亜は大きく息を吐いた。
  焔帝は瑠祢亜に先に帰ってくれと告げると、このはを捜しにどこかへ行ってしまった。
『手伝いましょうか?』と、大家が言ってくれたのだが、これだけの荷物を運んでもらう
のはさすがに悪いと思い―――自分の兄にはそんな気をつかったりはしない―――、結局
自分で持って帰ってきたのだ。
「う〜、汗が気持ち悪い」
  重い荷物を家までもってくるのは、かなりの運動量になった。身体から吹き出した汗は、
軽くジョギングした時の比ではない。
「ったく。このはさんに何言われたのかは知らないけど、妹の苦労を考えて行動して欲し
いものよね」
  走り去った兄の事を思い少し不機嫌になりながらも、靴を脱ぐと荷物はそのままにして
奥に入って行く。
( 汗で濡れた時は、冷たいシャワーを浴びるのが一番)
  汗をかき始めた時からそう考えていた瑠祢亜は、真っ直ぐ脱衣所に向かった。
  服を脱ぐのももどかしく、バスルームに入ると勢いよく蛇口をひねる。
  身体を打ちつける冷たい雫が、暑さでぼやけていた意識をシャキっとさせた。
「気持ちいい〜〜!」
  しばらくそうして汗を流していると、さっき大家と約束をしていたことを思い出した。
(そうだった。大家さんがおいしい紅茶の葉っぱを持ってきてくれる、って言ってくれて
たんだ。今日は兄貴にも頑張ってもらったし、おいしい紅茶位お礼してあげなくちゃね)
  なんだかんだ言っても自分の兄に感謝していた瑠祢亜は、もうそろそろあがろうとした。
「はい、バスタオル」
  音も無く開いた戸から、腕が伸びている。いつも聞いている安心する声だ。だからこそ、
と言うべきなのだろう。瑠祢亜は何の疑問も浮かばず、反射的に手を伸ばした。
  指と指が触れる。
「ありがと」
  受け取ったバスタオルで髪を拭く。
  あまりに自然な流れに瑠祢亜は思わず素直に礼を言ってしまったが、すぐに疑問が浮か
んできた。
「………ん?」
  バスタオルを見つめ、首をかしげる。
「誰?」
「俺」
  今度はガラッ、と音をたてて戸が全開にされた。
「――――――っきゃああああああああああああああああああ!!!!」
  どんがらしゃーん!
  手の届く範囲にある物を全て投げてしまった瑠祢亜は、受け取ったバスタオルで身体を
隠して、ドアの向こうからこっちを見ている焔帝を睨み付けた。
「兄貴!私のお風呂を覗くなんて、何考えてんのよ!!」
  噛み付きそうな勢いで、瑠祢亜は叫ぶ。
「瑠祢亜………成長したなぁ。兄として、俺は嬉しいよ」
  感動したのか、涙を流している。シャンプーや洗面器の雨が止まったのを確認してから
再び姿を見せているので、焔帝は堂々としている。限りなく迷惑な話であったが。
「………見たの!?」
  悲鳴じみた声を上げる瑠祢亜に焔帝は満面の笑顔で一言、
「ばっちり」
  と答える。
  悪びれもせず瑠祢亜の前に姿を現わしてそう言う焔帝に、恥ずかしさのためか怒りのた
めか、顔を真っ赤にした瑠祢亜がうめく。
「覚えておきなさいぃ〜」
  着替えは自分の部屋にあるタンスの中だ。よって服を着ることは不可能である。
  しばらく兄は帰ってこないと思っていたので、服を脱衣所に持ってきていなかった。
「今度風呂に入る時は俺に言ってくれよ。背中でも流してやるからな」
「出てけーーー!!」
  瑠祢亜に『困った奴だなぁ、こいつぅ』的な暖かい眼差しを送ると、焔帝は姿を消した。

「どうしたんですか〜、瑠祢亜さん〜〜〜!約束していたダージリンの葉を持って来たん
ですが〜」
  悲鳴を聞きつけたのか、遠くから瑠祢亜を心配する大家の声が聞こえてくる。
「瑠祢亜さん〜〜!何かあったんですか〜〜〜?私の声が聞こえていますか〜〜〜〜?」
「覚悟はいいんでしょうね、兄貴………」
  大家の声は今の瑠祢亜には届いていなかった。

♪

「にゃんにゃんにゃん♪」
「本当にこれで焼くんですか?」
「これがいいんにゃ!この焼き方が味に深みを出すんだにゃあ」
「はあ」
  じゅらい亭の入り口の横で、フェリシア使いは時魚に七輪を用意してもらっていた。
  顔なじみの魚屋で、特別にもらった秋刀魚を焼くためにじゅらい亭に来ていたのだ。
  炭に火をおこし、金網の上に秋刀魚を乗せる。
「にゃぁ〜〜〜〜〜〜〜」
  それだけで、フェリシア使いはとろけそうな顔をする。
「フェリさん、よだれよだれ」
「にゃ」
  あわてて口から垂れるよだれを拭う。秋刀魚の味を想像していたのだろう。
「時魚さん、何か扇ぐ物はないかにゃあ?団扇だとうれしいにゃ」
「うーん、あったかな………。ちょっと探してきますね」
「お願いするにゃあ」
  じゅらい亭内に戻って行く時魚の方も見ていない。フェリシア使いの視界に入っている
のは秋刀魚だけ。
  真剣に秋刀魚を見つめ続けている姿は、通行人をある程度恐がらせたりしたが、そんな
事にフェリシア使いは気がつかない。
  秋刀魚がそこにある。
  秋刀魚がそこにある。
  秋刀魚がそこに無い。
「にゃ?」
  秋刀魚が無い。無くなった。金網の上から消えている。
「にゃああ!?秋刀魚がいなくなったにゃ!」
  七輪から視線をはずす。すぐに目の前に誰かが立っていることに気付き、顔を上げる。
「おいしそうな、秋・刀・魚………」
  そこには、じぃっと秋刀魚を見つめる瑠祢亜がいた。
「瑠祢亜さん、何するにゃ!それはフェリの秋刀魚だから食べたら駄目だ―――」
  パクッ
「―――にゃーーーーーーー!?」
  もぐもぐもぐ………ごっくん
「ご馳走様でした」
  瑠祢亜一口で秋刀魚を頬張ると、手を合わせぺこりと一礼して走り去っていった。
「フェリさん、こんなところで七輪を見つめて何をしているんですか?」
  フェリシア使いの背後から近づいてきたのは、買い物袋を下げた大家だった。
  大家が近づいてもフェリシア使いは動かない。
「瑠祢亜さんと何か話していたようですが……………フェリさん?」
  大家がフェリシア使いの前から顔を覗き込むと、真っ白になったフェリシア使いが、止
めども無く涙を流しているのが見えた。




  そして、夜。今夜のじゅらい亭は一味違った乱闘ぶりを披露していた。

「フェリさん、どうしてくれるんですか!もうあの広場で歌えなくなっちゃったじゃない
ですか!!」
「な、なんのことだにゃ?」
  恨みまがしい目をフェリシア使いに向けるこのは。
「吼えよ、輝き満ちたる紅蓮の炎!『炎輝吼』!!」
「うわぁっ!?」
  このはが間一髪の所でテーブルを盾にする。景気よく炎を上げるが、それに気を遣う余
裕はなかった。
「実の妹の着替えを覗くなんて、信じられない!!」
「俺がんなことするか!それよりもこのはさん!おとなしく燃やされろ〜!!瑠祢亜だっ
て見てたろ?あの時―――」
「馬鹿兄貴のことなんて知らないわよ!」
  焔帝は掴み掛かってくる瑠祢亜の手を払う。もしも捕まってしまうと、かなりいい感じ
に往復ビンタをもらうことになりそうだ。
「瑠祢亜さん〜〜、フェリの魚を返してほしいにゃ!」
「私はそんなことしてません!」
「知らないとは言わせないにゃ!フェリの両目がしかと見てたんだにゃ!!」
  目をうるうると潤ませながら、追いすがってくるフェリを振り払う。焔帝を再起不能に
しなければ気が済まないぐらいまで、瑠祢亜は頭に血が上っていた。
「お、みなさん盛り上がってますね♪」
  フェリシア使い、このは、焔帝、瑠祢亜の暴走を見て、カウンターに座っていたゲンキ
は自分も混じろうかと腰を浮かす。
「焔帝さん、テーブル一ヶ破壊、と………」
「さ、さり気なくチェックしてるんですね」
  何気ない悠之の呟きに戦慄を感じるゲンキ。
「これなら、いくら壊されても大丈夫だからね。これなら、ゲンキさんも安心して暴走し
てできますね♪」
「あは、あは、あは―――」
  悠之の言葉に、ゲンキは乾いた笑いで答えるしかなかった。頬をつたう冷や汗が、ゲン
キの笑いを虚ろなものに感じさせる。途中まで浮いた腰も、再び椅子の上に戻ってしまう。
「こんにちは〜」
「いらっしゃいませー!……あ、大家さん。お久しぶりですね」
  時音が、乱闘騒ぎの起こっている場所から食器を運びながら声をかける。
『大家さん!!』
  暴れていたこのは達の動きが止まると、大家を呼ぶ声がハモる。
「広場でフェリさんが何をしていたのか見てましたよね!」
「このはさんの傍若無人さは瑠祢亜と一緒に居た大家さんなら知っているだろう?」
「家に来た時に兄貴のあの恥知らずさは分かってるでしょ!!」
「大家さん〜!瑠祢亜さんがフェリの秋刀魚を持って行ったのを証明してにゃ!逃げた瑠
祢亜さんを見ていたのは大家さんだけだったにゃ!!」
  口々に大家に詰め寄る。
  大家は困った顔をして、まわりに並ぶ顔を順々に見た。
「あの〜、みなさんが何を言っているのか、さっぱりわからないんですけど」
  四人の動きが止まった。

  同じ頃、とあるアパートの一室にて。

  ―――本名、大家。年齢、27。自分の所有しているアパートに住み、いつものほほん
と過ごしている。
  ずずずっ
  お茶を一すすり。
  ―――趣味は旅、そしてお茶を飲むこと。
「はあ、緑茶に大福餅というのはやっぱりいいですねぇ」
  しみじみと呟き、湯飲みを受け皿に静かに置く。
  お茶なら日本茶でも紅茶でも大好きだ。その中でも、緑茶に関する知識は豊富だった。
  ―――性格は温和。外見は内面を写し出しているようで、優しそうな顔立ちである。
「『      』から頂いた変身手鏡『テクマクマヤ・コンパクト』。大きな問題点は手鏡を
使った人が変身出来るのではなく、手鏡自身が変身してしまうという所ですかね」
  棚に置いてあった手鏡を手に取り、首をかしげる。
「それにしても、いくら触れても効果が現れないのは何故何でしょう?まさか、一回試し
ただけで魔力が尽きたのでしょうか?もったいないことをしてしまったかもしれませんね
ぇ」
  テクマクマヤ・コンパクトは、見た目は平凡な手鏡である。
  だが、鏡面に触れた全ての生物の身体、記憶、経験―――とにかく、その全てを写し取
ることが出来るのだ。
  今朝、『      』から送られて以来しばらく振りに手鏡の存在を思い出した大家は、さ
っそく使ってみた。
  自分のコピーが出現した時はさすがに驚いたが、とりあえずテクマクマヤ・コンパクト
の効果を確認すると、大家はコピーを元の手鏡に戻しそのまま近くの棚に置いた。
「窓を開けっ放しにしておいたから、散歩にでもいったのでしょうか?まあ、そのうち帰
ってくることでしょうが―――」
  ふと、先程から気がかりになっていることを、改めて言葉にだしてみる。
「―――それにしても、テクマクマヤ・コンパクトに自分の意志があるとは知りませんで
したねぇ。外で悪戯していなければいいんですが」
  手鏡を元の棚に置くと、大家はソファーに座り、羊羹を切り分ける。
「抹茶に羊羹というのも、捨て難いですね」
  一人、至福の時を過ごすのであった。

「で、そのテクマクマヤ・コンパクトというのが正体だと言うんですね?」
  半信半疑ながらも、このはは大家の言うことを素直に聞く。
「ええ。みなさん、必ず相手に触れているはずです。思い出してみて下さい」
「私は、べったり触わってましたね」
  抱き着かれたりしていたことを思い出して、少し照れるこのは。
「あーあ、あの時このはさんの腕をつかんでなければなぁ………」
  ぷすぷすと身体中から煙を上げている焔帝が、眉をしかめて悔しそうに舌打ちする。
「私も……まあ……その………」
  もじもじと横目で煙を見ながら、瑠祢亜。覗かれた時の恥ずかしさと、その怒りでかな
り痛めつけてしまったすまなさで、自分の兄を正面から見れず小さくなっている。
「フェリは………知らないにゃ」
『え!?』
  全員の注目がフェリシア使いに集まる。
「で、でもフェリは何もやっていないにゃ!信じて欲しいにゃ!!」
  フェリシア使いの必死の思いは、このは以外の人間に届いた。
「わかってるって。俺はフェリさんの事を信じているよ」
「私も同じ被害者だもん。フェリさんの気持ち、わかるわ」
「焔帝さん、瑠祢亜さん………、ありがとうだにゃあ」
  神に祈るように両手を組み、二人を見るフェリシア使い。
「私も、二人と同じ気持ちですよ………」
  にこぉ〜、と、フェリシア使いを通して、どこか違う世界に笑いかけるこのは。
「信じてくれるんだにゃ?」
  その笑いの裏に隠された真意に気付かないフェリシア使いは、素直に喜んだ。
「………ですから、明日私の身の潔白を一緒に証明して下さいね」
「信じてないにゃ!このはさん、嘘つきにゃ!」
「では………私と恋人同士、ということでOKですね?」
  言葉の詰まるフェリシア使い。全員は自分が何をされたか話しているのだが、偽物とは
いえ自分と同じ姿の者の行為がどんな影響を与えるのか、わからないでもない。
「わかったにゃ。明日、フェリも一緒に行くにゃあ」
「明日の朝ここに来て下さいね。広場でデモンストレーションでもしながら、昨日の誤解
を解きますから。………寝坊しないでくださいよ?」
  これにて、事件は一応の決着を見た。

  じゅらい亭での瑠祢亜のお仕置き―――結局は偽物だったので焔帝はとばっちりを食っ
た事になるが―――のダメージは予想以上に重く、家に着くと同時にばったりと倒れてし
まった。
「うう、いてーよー。身体が唸るように痛いー」
「………悪かったって言ってるでしょ?」
  ベッドで横になっている焔帝の傍で、リンゴを剥いてあげる瑠祢亜。
「リンゴはウサギの形がいいなー」
「はいはい」
「ちゃんと爪楊枝つけてくれよー」
「はいはい」
「ついでに食べさせてくれなー」
「いい加減にしなよ、兄貴!」
  さすがに怒り出す瑠祢亜だが、
「痛いな〜、身体が痛みで動かないのは何故だろう〜?」
「う………」
  この一言で反論できなくなってしまう。
「今度はメロンが食いたいなー」
「はいはい」
  諦めたのか、素直に返事をする瑠祢亜だった。
(この分だと、玄関で倒れたのも演技だったのね。心配して損したわ。でも、怪我は全部
私がやっちゃったんだし、当分は言う事を聞いてあげますか)
  実際、焔帝は口をきくのも辛い状態なのだが、安心させるためにわざと軽口を叩いてい
る事に、瑠祢亜は気付いてはいなかった。

  家に帰った大家が、湯飲み茶碗の縁に一匹の蝶がとまっているのを見て納得し―――
「あぁ、なるほど」
  そして、微笑む。
「明日、ちゃんと御詫びに行かないといけませんよ?」
  蝶は大家の言葉に対する答えのように、羽根を少し動かした。
  この行為の意味は分からなかったが。
  答えは次の日に出た。

「待つにゃーっ!」
「嫌だにゃ!」
  広場を走り回るフェリシア使い達。
「二人で画いた  千年先の未来〜♪」
  昨日と同じこの場所で、苦悶の表情を浮かべ歌い続けるこのは。広場にいる人々は二人
のフェリシア使いに注目しており、このはの歌はあまり気にされていなかったのだから。
  二人のフェリシア使いは注目を集めて誤解を解いてくれる、というのでもないのだから
このはは困ってしまう。
「なんでまたいるにゃーっ!?」
  後ろから追いかけるフェリシア使いが、テクマクマヤ・コンパクトの変身したフェリシ
ア使い(偽)を捕まえようと奮闘しているのだが、先程から差は詰まろうとしなかった。
  二人とも同じ身体能力なのだから、同じ距離を走っていてはきりがないのは当たり前だ。
「まあ、落ち着いて聞いて欲しいにゃ。焔帝さんの悪口はもう呪歌の効力が切れてるし、
瑠祢亜さんは謝りに行くと絶対恐いから、猫に裸見られたと思ってもらえばいいにゃ。で
も、広場の人全員に自分の悪行を披露したこのはさんが、一番割り食ってないんだにゃあ。
昨日と同じ人がここに集まる訳でもなし、手っ取り場合方法で、このはさんの噂が広まる
より速いスピードで、偽のフェリがいたという話を広げさせればいいんだにゃ!」
「でも、秋刀魚も食べられて噂も広げられてじゃあ、一番損をしたのはフェリなんだに
ゃ!」
「そんなことないにゃあ。秋刀魚美味しかったにゃあ〜」
  思い出したのか、幸せそうにウットリするフェリシア使い(偽)。
  あの時の姿は瑠祢亜だったのだが、テクマクマヤ・コンパクトの中にあるフェリシア使
いの記憶が、生焼け秋刀魚を丸のみ、という荒技をさせていたのだ。
「あー!ずるいにゃ!!」
  半べそになって、叫ぶ。あの秋刀魚は本当に楽しみにしていたのだ。フェリシア使いの
悔しさも並みじゃあない。
「フェリの事は、フェリ自身が良く知ってるにゃ。………秋刀魚三本と煮干し一袋で手を
打って欲しいにゃあ」
「わかったにゃ」
  即答するフェリシア使い。『並みじゃない悔しさも』というのも、秋刀魚と煮干しによ
る共同戦線の前では、一瞬で霧散してしまうのだ。
「ほこりだらけの銀色のギター  何度も何度も夢はかなうと  泣きながら叫んだ日々〜
♪」
  このははまだ歌っていた。
  辛抱強く、二人が大人しくなるのを待っていた。
  でも頭の中では、なんかもーどうでも良くなっていたりする。
(『堪忍袋の緒も切れる』、という言葉もあるし、一発どかーんと怒っちゃえー)
  無責任な心の悪魔さんがケタケタ笑いながら、このはの怒りを促す。この場合の悪魔と
は本心なのだろうか。それだったら心の天使さんも止める事は難しい。
「まだ無くした訳じゃないんだぜ  ひたむきなあの愛を  落ち込んだ時は心の中で  いつ
も思う  REMENBER16〜〜―――……………」
  歌も終わり、静かにしてもらおうと二人を呼び止めようとしたこのはだったが、フェリ
が一人しかいなかったので出かけた言葉を飲み込んでしまう。
  代わりに大家が立っていたのだが、多分テクマクマヤ・コンパクトが変身したのだろう。
  大家(偽)はフェリシア使いと小声で相談し、「なるほどだにゃあ」と納得させてから、
このはの方を向いた。
「色々ありましたが、このはさんが一番好きなのは自分自身であり、女の子には別に興味
が無く、あれはこのはさんの女性嫌いを矯正するための行為だったから大丈夫、という事
になりました」
「なるかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!!!!」
  悪魔化したこのはが、広場を完膚無きまでに壊滅状態に追い込み―――
  じゅらい亭伝説は、新たな一ページを加わえることとなった。

「私はノーマルです!」
  ちなみにこれは、元に戻った直後のこのはの言葉である。

Fin




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