【五行伝 ― 新緑の道標 ― 】
 
 
 

第一章 ― 逃避行 ―
 

1.
 

闇。

伸ばした手すら飲み込んでしまうような。

漆黒の、闇。
 
 
 

   その中に、足音が響いていた。

タッタッタッタッタッタッタッタ…
タタタタタタタタタタタタタタタ…

   誰かが走っていた。足音のリズムの違いから、二人の人物が走っている事が分かる。一つは、規則正しくストライドの大きな足音。もう一つの足音は、片方に追いつこうとかなりムリをしていることが分かる。

   そして、良く見るとただの闇ではなかった。所々に松明が燃えているのがわかる。その中の一つが作り出す薄ぼんやりとしたオレンジ色の明りの中に、先ほどから聞こえて来る二つの足音の主達が飛び込んできた。

「ねぇ、燈火?もうおジィちゃん達は気づいた頃かな?」
「フッ……まだだろう。特に痕跡は残してないし、ましてや見張りは全員ブッ倒して来たんだからな。」
「そっかー。……ねぇ? ボク達、上手く『抜け』られるかな?」
「今までの奴等と一緒にするなよな? まぁ緑はオマケとしてもだ。この俺様にかかれば、たかが『抜け』る事なんて造作も無い事だぜ?」

   走りながらそう言って髪を掻き上げたその男――”伊達 燈火(だて とうか)”。赤毛を耳が隠れるくらいまで伸ばし、切れ長の目は少したれている。なかなかの美青年だ。

   その横を置いていかれないようにタタタタタ…と走っているのは、年の頃14・5の少女。こげ茶色の髪の毛を肩まで伸ばし、片側の髪を耳の後ろで三つ編みにしてたらしている。こちらもなかなかの美少女だ。喋りかたが少し男の子っぽいようだが。

   緑と呼ばれたその少女――”斎藤 緑(さいとう みどり)”は、「オマケ」と言われた事にちょっと頬を膨らませた。

「失礼な!ボクは『オマケ』なんかじゃないぞっ!現にこないだの大会だって優勝してるんだからね!!」
「”大会”には隊長・副隊長クラスの者は出てこないからな……まぁ、俺と比べればまだまだってことだよ。」
「そ、そりゃぁそうだけどさ……。」

   緑はすねたように下を向いた。まだ【山】の【頂上】まではもうしばらくかかる。【頂上】までは――いや、【山】の中はずっとこんな洞窟なのだ。

   それからしばらくの間。二人は無言で走り続けた。
 
 
 

「なにぃっ!! 燈火と緑が『抜け』ただとっ!!!」
「ハッ、どうやらそのようで……」
「お、愚かな……!”掟”を知らないわけでもあるまいに……!しかも、燈火は【炎角(えんかく)】隊長なんだぞっ!!!」

ダンッ!!

   と机に拳を叩き付ける。ここは、【山】の中腹にある【木壑(もっかく)】の詰め所。隊長の”朝倉 柊吾(あさくら しゅうご)”は苦々しい顔で報告に来た者を睨み付けた。

「それで!?」
「ハッ! 燈火様と緑様は、現在【山】の【頂上】へ向かっていると思われますっ!」
「【頂上】へ? ……ふむ、【翔】を使って一気に逃げる気か?…よし、追うぞっ!付いてこいっ!」
『ハハッ!』

   柊吾の命令に数人の男達が答える。彼等は皆平安時代の貴族が着るような服に身を包んでいた。男達の服は、殆ど白に近い淡い緑色。その中で、柊吾だけが一際目立つ翡翠色の服を身につけていた。

   柊吾が通路――洞窟に向かって飛び出していく。一、二、三…四人の男達が、その後に付いて飛び出していった。

「緑……逃がさないぞ……!」

   走る柊吾の顔は紅かった。どうやら、全速力で走る事で息が上がっているだけでは……なさそうだった。
 
 
 

「ハァハァ……も、もうすぐだね、燈火?」
「フッ……もう息が上がったのか?鍛練が足りないぜ、緑?」

   もう30分近くも走ってきたというのに、平然とした顔をしている燈火を見て、緑は小声で毒づいた。

「フン、燈火の体力バカには敵わないよっ」
「なんか言ったか、緑?」
「い、いや、なんにも言ってないよ、ボクっ!」

   どう考えてえも何か言ったに決まっている答えに、燈火が更にツッコミを入れるべく緑の方を振り向いたその時。

「あぶない、燈火っ!!」

   緑は燈火をドンッ!と押して洞窟の岩陰に隠れる。その瞬間、近くにあった松明の炎が、目に見えない力によって消し去られる。同時に、洞窟の壁に無数の孔が空いた。

「クッ!【気弾】かっ!この威力は…柊吾だな?【翔】で先回りしやがったか…。」
「フゥ……どーやらそーみたいだね…。」

   松明が消されてしまったが為に緑の顔は見えなくなってしまったが、心底嫌そうな顔をしている事は間違い無かった。
   緑と燈火は身を寄せ合うようにして狭い岩陰に隠れている。燈火とこんなに近く接している事に、緑は少しドキドキしていたが、その心地よい鼓動も【頂上】で待っている者の事を思うとあっさりと途絶えてしまいそうだった。

「緑!…それから燈火!! いるのは分かってるんだ、でてこいっ!」
 

   【気弾】の雨が一通り洞窟の壁に孔を穿った後。柊吾の声が洞窟の中に響き渡った。どうやら、ご丁寧に上で待っててくれるらしい。

「出てこいって? まぁ、確かにヤツに緑を殺れるわけがないけどな。」
「ハァ…そーだねぇ」

   そう言って、燈火はニヤリと、緑は心底うんざりした様子で笑った。そして頷き合うとゆっくりと歩いて【頂上】へと出ていった。
 
 
 

「緑、それから燈火!…まさかお前等が『抜け』ようとはな…この【五行】から!」

   ビシィッ!っと二人を指差して宣言する柊吾。その言葉を、緑はハァ、と溜息を吐きながら、燈火は明後日の方向を向いて髪を掻き上げながら聞いていた。いや、”聞き流していた”の方が正しかったかもしれない。

「なぜだ!なぜなんだっ!!【五行】は俺達の全て…いや、存在意義そのものだ!違うか、緑、燈火!!」

   拳を効かせて力説する柊吾。しかし、燈火は「フアァァァァ…」とあくびをしながら答えた。

「だから……それが暑っ苦しいんだよ。俺は俺の好きなようにやる。誰にもじゃまはさせねぇ。」
「そうそう、それにね…ボク、もう【五行】で暗殺(しごと)をするのがヤになっちゃったんだ。」

   二人のキッパリハッキリした答えに言葉に詰まる柊吾。

「クッ!もはや、決心は変られないのか、緑?」
「ウン、ボク…燈火に付いていく事に決めたんだ。……ゴメンね、柊吾っ」
「おいおい、オマエが最初に『抜け』ようって言い出したんだろ?」

   燈火は完全に責任転嫁しきった緑の言葉に呆れた声を出した。

「だって…後でもし掴まったら、”首謀者”じゃないってことにすればもしかしたら罪が軽くなるかもしれないでしょ?」

 「ペロッ♪」と舌を出しながら小声で言う緑を小突く燈火。しかし、ラブコメっている二人をよそに、柊吾は怒りに肩を震わせていた。

「……燈火!!!  お前を倒して緑を取り返す!!!!!」

   唐突に、柊吾の周囲に風が吹き荒れた。それは砂塵を巻き上げて竜巻と化していった。

「フッ…オマエに、それができるか…なっ!!」

   柊吾が風の能力を発動させたのと同時に、燈火も肩から斜めにかけたベルトにまるで弾丸の様に差し込んであるターボライターの内の一つを素早く取り出していた。

「行くぜっ!!」

   燈火が気合とともに二言三言、小声で何かを呟くと、ターボライターの炎が一気に巨大化し、燃え上がる炎の刃と化した。

   つい先日までは同志だった二人の「能力者」は、今や敵として向かい合っていた。片や竜巻の如き風をその身に纏い、片やまるで剣の様な形を成した炎を構えている。

   闘いが、始まろうとしていた。
 
 
 
 


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