「じゅらい亭日記─超・暴走編6」後編



「後編──ブラック・スピア&カムラ・ブレイク──」




第3章「やってきた女将軍」

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 仰向けに寝かされていたディルの顔を覗きこんでいた少女は、ディルが目覚めると「ア
ッ」と言って顔を赤くした。
「ご、ごめんなさい。起こしちゃった?」
「……そうじゃないけど、覗きこまれてるのは気分よくないわ」
「そ、そうだよね。ごめん」
「……」
 謝る少女を無視して、ディルは起きあがった。周囲を見回すと何人かの人間がいて、そ
れら全員が目覚めた彼女に注目している。

(そういえば、ここってどこ?)

 ディルは改めて視線を巡らせた。
 木造家屋。どうも食卓兼居間になっているらしき狭い部屋に、不釣合いに大きな卓。そ
れを囲んで座り、朝食を取っている大人の人間が四人。それと、自分の顔を覗きこんでい
た子供。どういうわけか、全員女。
 見知った顔が一つも無いので、ディルは一番近くにいる者に訊ねることにした。つまり
さっきの少女に。
「ここ、どこ?」
「え? 部下Gお兄ちゃんの家だよ」
「部下……G?」
 少女の口から出た、何だかどこかで聞いたような気のする名前に、ディルは首を傾げた。
すると、すぐ真横から答えが返ってくる。
「僕の昔の呼び名だよ」
「あっ……!」
 それが一部の人間達が使うゲンキの呼び名だったと、ようやく思い出してディルはそち
らに顔を向けた。予想通り、そこにはゲンキが湯気の立つ皿を持って立っていた。どうや
ら自分は台所の入り口の側に寝かされていたらしい。
 昨日のことをよく覚えてないのか、驚いているディルに、ニッと笑いかけると彼は片手
で器用に彼女を立ち上がらせた。そして、卓に皿を置きながら空いた場所を指差す。
「さ、食べようか。王宮の食事よりは味気があるはずだ」
「は、はい!!」
 コクコク頷いて示された場所に座るディル。左隣にゲンキが座り、右隣には先程の少女
が座った。その容貌を改めて見つめ、ディルは気付く。

(゛紅い髪゛と゛黒と青の入り混じる不思議な瞳゛……この子……)

「さて、それじゃあ、いただきます」
「え? あ、いただきます」
 ゲンキの声に慌てて思考を中断して、箸を手に取るディル。しかし、そこで致命的な事
に気付いた。
「オジサマ、これってどうやって使うのですか?」
 『聖母』魔族に箸を使う習慣は無かった。




 ゲンキが持ってきてくれたナイフとフォークが一体になったような魔族の食器を使い、
ディルは順調に食事を続けていた。そうこうしている内に、並んだ料理の数々は消えて行
き、全員が満足した頃に自己紹介することとなる。ただ、ディルの紹介は眠っている間に
済ませてくれたらしいが。
 最初に、鮮やかな朱色の髪と青い瞳の凛々しい女性が名乗った。
「ディルちゃん、私は陽滝ね。昨日のお店『じゅらい亭』の店員よ。時々、私以外にもこ
の家に食事に来るから、よろしくね」
 そう言って、雰囲気に似合わずヘヘッと笑う。人間の事はよく知らないディルだが、あ
まり魔族と違いは無いようだ。もっとも、自分達『聖母』魔族自体が変わり者らしいが。
 次に、赤茶色の髪と濃緑色の瞳の優しげな女性がディルの使った食器を片付けながら口
を開く。
「私は、少し前からこのお宅でお世話になっている花霧といいます。よろしく、ディルち
ゃん」
 この人間はいい人だ。食後のお茶まで出されつつ、ディルはハッキリと確信した。既に
呼び名も彼女の中では決定している。「おねえ様」。
 が、次の人間はちょっと頂けなかった。
「ルウ=アオシン。ゲンキ師匠の一番弟子で許婚だ」
 と、なにやらディルに対して挑戦的な態度を取ったのは、長い黒髪を頭の後ろで縛った
黒い瞳の小柄な人間だった。そのセリフの中にあった恐るべき単語に、魔族の少女は青ざ
める。
「い、いいいいいい許婚っ!?」
「ルウさんっ!! 弟子入りと結婚のどっちかを選べって言ったじゃないですか!?」
 慌ててゲンキがフォローするが、途端にルウはほんのり頬を赤く染め、モジモジしなが
ら言い返した。
「で、でも……やっぱり師匠カッコイイなぁ……って。ほら、こないだのサッカーの時と
か……」
「え、そうですか? えへへっ」
 カッコよかったと言われ、思わず照れ笑いを浮かべるゲンキ。が、その途端にジロリと
真下からディルが睨みつけてきた。
「オジサマ……!」
「…………いや、はは…………さ、次は寂の紹介だね」
 視線を逸らし、誤魔化しにならない誤魔化しをしつつ、ゲンキは話を次に振った。ディ
ルに睨まれ、ルウには弟子入りに続く求婚をされ……なかなか彼も大変である。
 そして、そんなゲンキの苦労にも周囲の騒ぎにも無縁とばかりに落ち着き払い、緑茶を
啜っていた寂が、話を振られてようやく口を開いた。白金色のショートカットが縁側から
流れる風に揺れ、同色の瞳がキラリと陽光を照り返す。彼女は、ゆっくりと喋った。
「マスターに仕える、寂と申します。ディル殿、以後お見知り置きを」
 途端、物凄く知った顔と寂の顔とが重なって、ビクッと身じろぎするディル。あまりに
似ていたため、驚きと焦りで声を上ずらせながら答える。
「そ、そうですわね……以後よろしく……ミツ……じゃない、寂さん」
「ミツ?」
「き、気にしないで……」
 問い返す寂に答え、ディルはお茶を啜った。ゲンキの方に顔を向けると、「似てるだろ
う?」という言葉と苦笑が返ってくる。他の人間は、キョトンとしていた。どうやら、デ
ィルの言う「寂と似た人」のことは知らないらしい。寂自身も怪訝そうな顔をしている。
「まあ、それは後程……とりあえず、最後にこの子の紹介をしようか」
 パンパンと手を叩いてまたも話を無理矢理元に戻しつつ、ゲンキが言った。彼の前には、
例の紅い髪の少女が緊張しながら立っている。
「は、はじめまして……え、えと。鏡矢 虹っていうんだ。よろしくね、えーと……ディ
ル……さん」
「別に゛さん゛じゃなくていいけど?」
「あ、え、そっそう?! じゃ、よろしくディルちゃん!!」
「うん、よろしく」
 何だか妙に上がっている虹の差し出した手を、握り返すディル。そうしつつも、彼女は
ある事に納得しつつ驚いていた。

(カガミヤって……やっぱり、噂の子なんだ……この子)

 まさか、魔族の間でも名高き<滅火の魔王>の娘が、こんな普通の人間の子だとは思っ
ていなかったので、納得しつつも少し驚いた。本気で正真正銘何の変哲も無い人間ではな
いか? ゲンキがここしばらく戻ってこなかった原因というくらいだから、どんな秘密が
あるのだろうかと疑っていたのだが……全く普通である。
 そう思った時──虹に対して、ディルの中にルウに対するもの以上の敵意が生まれた。
こんな子供一人のために大魔族の長が一つの世界に留まり続けている……それは、何らか
の「秘密」等があって動けないという事より、ずっとディルにとっては悔しいことだった。


──オジサマは、私の所にはずっといてくれなかったのに──!


 一気に悔しさがこみ上げる。気付くと、ディルは握っていた虹の手を振り払っていた。
「なっ!?」
 ゲンキが驚きながらも、一早く虹の前に出る。ディルが黒い槍を召喚したからだ。これ
は、彼女の父・ディベルカから受け継いだ力の具現。攻撃態勢に入った事を示す物である。
 しかし、そんな虹をかばうゲンキの姿が更にディルの神経を逆撫でした。
『────!!!』
 瞬時に間合いを取り、人間には理解出来ぬ呪を唱えて槍を放つディル。ゲンキが防御の
ために左腕の『聖鉄』を動かし──止めた。彼の前に、突然別の影が立ちふさがったから
だ。
「ミツルギ!」

キュキンッ

 ゲンキの声と重なった甲高い金属音が、黒槍を細切れにして床に墜とす。ゲンキは左腕
を元に戻しながら、立ちあがっていた寂や陽滝に「大丈夫です」と手を振った。そして驚
いている虹を座らせながら、ディルへと近付き、小さな両手を掴んしゃがみこむ。
 彼は、ディルの顔を見上げながら囁いた。
「ディル……別に、虹のためだけに僕はここにいるわけじゃないんだ」
 その、まるで心を読んだかのようなゲンキの言葉に反応したのか、ディルの目から涙が
溢れた。昔を、思い出してしまったらしい。
 その涙を指でぬぐってやりながら、ゲンキは小さくか細い体をギュッと抱きしめた。
「怖くなくなるまで、続けようっていったのにね……ごめんな」
 彼がポンポンと背中を叩くと、ディルは泣くのを堪えて頷いた。コツンと少女の額に自
分のバンダナが巻かれた額をぶつけ、ゲンキは言う。
「僕は怒らないよ。でも、虹と友達になってやってくれな」
「はい……ごめんなさい……オジサマ……」
「良い子だ……」
 再び、ポンポンとディルの背中を叩くゲンキ。少女は、涙をこらえながらしゃくり上げ
ている。そして、彼は背後の人物──ショートカットの黒髪と銀色の瞳の女に、振り向か
ずに命じた。
「ミツルギ。エンディワズ、ベイシック、カロラクシュカを呼んでくれ」
 その瞬間、紛れも無く彼の顔は、大魔族の゛長゛のものになった。




第4章「ワガママ大魔王」

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 セブンスムーンの時間でキッカリ6時間後。G家の道場に、三人の゛魔王゛と彼等の頂
点に立つ者──ゲンキが集まっていた。ミツルギは、席を外している。
 集められた全員が揃ったのを見るなり、エンディワズは苛立たしげに口を開いた。
「長! いきなり我等『五封装(カウトルスゼクト)』を呼びつけるとはどういう事だ!
いつも言っているが、我・々・は!! 特に長の代理の私は忙しいのだ!!!」
 いつもの十倍ほどの声量で怒鳴りつけるエンディ。しかし、今日のゲンキはそんな反論
に対して、いつもの千倍冷酷だった。
「うるさやかましいですよ」

ゴギャガガンッ!! キュドッ!!!

「ごふがっ!?」
 鳩尾に蹴りを入れられた上に後ろ頭を殴られ、あっけなく気絶するエンディワズ。仮に
も魔王が三発で沈む……ゲンキの本気さを知り、他の二人は何も言わなかった。
 で、誰も何も言わないようだから、ゲンキは早速本題に入った。
「エンディさんには面倒な手続きを押し付けるだけだからいりません。というわけで、僕
の権限で魔王ディル=フィンを特例として『成人』したものとします」
 途端、二種類正反対の声が返ってきた。
「はぁ!?」
 正気を疑ってるかのような声と。
「はははははははははははははははははははははは!!」
 心底爆笑する声。
 最初の疑問の声を上げたのは妖艶な長身の美女、魔王カロラクシュカ。爆笑しているの
が子供のように背が低く細身の道化男、魔王ベイシック。先程エンディワズが言っていた
『五封装』とは、彼等三人を含めた五人の魔王──『聖母』魔族の頂上クラスの魔族達の
事だ。ミツルギもこの一人で、残りの一人は滅多に姿を現さない。
 その内、この二人の意見さえまとめればミツルギはとっくに賛成しているのでディルを
『成人』──つまり、『聖母』魔族の世界から自由に出入りさせられるようになるのであ
る。彼等の古い掟で、十六歳に満たぬ者は世界・次元間の行き来が禁じられているのだ。
 特例があるとすれば、創られてすぐに脱走したレミと、それと融合して半魔族となって
しまった人間の世界生まれのゲンキくらいのものである。
 そう、実は今回のディルにしても、脱走して来たのだ。いくら゛魔王゛の称号を得ても、
年齢が満たないと他の世界に行く事は許されない。だから、ディルはいくらゲンキに会い
たくとも待つしか無かったのだ。
 それを知っていながら、ゲンキは何ヶ月もディルを放っておいてしまった。これは、自
分自身許せぬことである。彼は、更に付け足した。
「更に、ディルは王宮でも王都<エルドマリア>でもなく、ここセブンスムーンに住まわ
せる事とする。文句や異論のある奴は誰でもいいから前に出ろ。ワガママな大魔王が、ぶ
ん殴ってでも以上二つの提案に同意させてやる」
 その言葉にベイシックは更に大笑いした。彼は、昔からゲンキとは気が合う。笑い終わ
れば同意してくれるだろう。問題は、カロラクシュカである。
「ちょっとちょっと。そんな乱暴言わないで、ちょっとは我らの言い分も聞いてください
な、長?」
 予想通り、彼女は反論して来た。ゲンキが針より鋭い視線を送るが、流石に魔王の中の
魔王の一人。サラリと受け流して言ってくる。
「そもそも、『成人』するまで他世界との出入りを禁ずるというのは、長のお母上がお決
めになった事でしょ? いいんですか、勝手に特例なんか作って? 子供達の安全のため
っていう立派な理由もあるんですよ?」
「母さんが怒ったとしても知った事ではありません。安全のためと言うのでしたら、ディ
ルは史上最も幼くして゛魔王゛の称号を持っています。問題無いでしょう?」
「まあ、確かに『成人』前に゛魔王゛になったってのは前代未聞ですけどぉ……」
 困り顔で天井を見上げるカロラクシュカ。どうやってゲンキを説得したものか考えてい
るのだろう。まだ『五封装』になってから七年ほどの彼女は、この辺よく分かってない。
 つまり──
「無駄無駄無駄だなカロラクシュカ。これほど頑固になった長は、汝に何か言われたくら
いで意見を変えたりはせぬ」
 ベイシックはキッパリと言いきった。流石に、二十年以上も付き合い続けている彼はゲ
ンキの事もよく分かっている。
 だが、カロラクシュカは未だに納得しない様子で憮然としつつ、ベイシックにしなだれ
かかった。妖艶な容貌に似合わぬ唇を尖らせる仕草をして言葉を返す。
「我とて、別にあの娘や長に意地悪するつもりで言っておるのではないよ? ただ、決ま
りを破るのはいっけないんじゃないっかな〜♪ と、思っただけなの?」
「いやいや、『掟は破るためにある』と長も常々言うておられる。よって、お主のその意
見は駄目の駄目駄目。のう、長?」
「それはベイシックさんの持論でしょうが」
「そうだったか? まあ、かといって長は断固として掟を守るというわけではなかろ?」
「当然」
「ならば同じではないか。やれやれ、面倒な長だ」
「やーん、あたしを除け者にしないでー」
 わざとらしく肩をすくめたベイシックに、再び寄りかかるカロラクシュカ。彼女は、い
かにも仕方ないといった仕草で「まったく、しょうがないわねえ」と呟くと、
「それじゃあ、このカロラクシュカも賛成させていただくわ」
 ようやく同意した。
 ニヤリ。ゲンキもやっと笑みを浮かべる。その笑みにクスッとカロラクシュカが笑い返
すと、彼は彼女にビッと二枚の紙をつき付けた。
「それじゃあ、ついでです。後で、セクトファブリス老の同意ももらってきてください」
「えー、あのご隠居様から? 聞いてくれるかしら?」
 どうやらゲンキの書き付けらしい紙と、ご隠居とやらに渡すための書類を受け取りなが
ら、カロラクシュカは文句を言う。実は、そのご隠居ことセクトファブリス老こそが『五
封装』の最後の一人だったりする。自分で「年だから」と言って滅多に外に出ようとしな
い魔王で、それ故にご隠居様と呼ばれている。ただ、姿を見た者がほとんどいないために
本当に老人なのかは誰も分からない。
「そもそも怪しいのよ、あのご隠居。我が『五封装』になった時も出てこなかったし、老
人なんて他にいないじゃないさ? マリア様だって、あんなに若々しいのに……」
 気のせいか、カロラクシュカがそう言った途端、「ありがとね〜」という声がどこから
ともなく響いてきた気がして、ゲンキは戦慄した。瞬時に浮かんだ反論を飲みこみ、言葉
を選んで口を開く。
「それについては、何もいいませんが、気のいい人です。セクトさんは」
 何気にマリアの事には触れないようにしている。今だに、親は怖いらしい。
 そんなゲンキに苦笑しつつ、ベイシックは話を合わせてやることにした。外見上はそれ
ほど差が無くとも、やはり彼とカロラクシュカ達はゲンキより遥かに長く生きている。
「長は、セクトと直接会った事があるしな……私など星の数ほど長くつきおうて来たが、
一度も顔を見ておらぬよ」
「え、お会いになった事があるんで、長?」
「あの……長なんだから、そのくらい当たり前でしょう?」
「ああ、そういえば、そうですね」
「やれやれ、今だにラクシュカさんには長と認められてませんか」
「や〜ん、いじけないで機嫌直して長〜」
「その、子供の時と同じ扱いをやめてくれたらね」
 外見だけでも妖艶な美女に抱きつかれているというのに、不満そうなゲンキ。どうも、
子供の頃からカロラクシュカや養育係の詩音にまとわりつかれていたようで、色仕掛けに
は免疫が出来ているらしい。
「くく……カロラクシュカの得意技も、流石に長には通じなんだか」
「まったく、子供の頃から生意気な長よね〜」
 ベイシックの含み笑いに、「ねぇ?」と言った感じで続けるカロラクシュカ。どうでも
いいが、肝心の話し合いはもう終わったのだろうか?
 その事に気付いたのか、それともこれ以上話すと少年時代の思い出を持ち出されるとで
も思ったか、ゲンキは二人から離れてエンディワズの傍らにしゃがみ込んだ。
 そして、いきなり叩く。

ズビシッ!!

「はあっ!!?」
 気つけの一撃を喰らい、跳ね起きるエンディワズ。その口が音速で悪口雑言弾を吐き出
し始める前に、ゲンキは書類を突きつけた。
「ディル=フィンの『成人』を認めるための書類二十枚。後でセクト老の意見書が追加さ
れるので、さっさと受理するように」
「な、なんだと長!? 掟を破るなど、私は反対……!!」
 予想通り、反論を始めようとしたエンディの口を塞ぎ、ゲンキは俯いた。途端、その場
の三魔王の背を悪寒が走りぬける。
「クックックックックックッ…………」

ブワッ

 冷たい瘴気が吹きつけた。地獄の底より更に深くから響いてくる悪魔の声に、エンディ
ワズは硬直する。ゲンキが、レミに代わっていた。
 レミは顔を上げ、目をギラリと光らせると部下達に命じた。
「今から十二時間。エンディは手続き。ラクシュカはセクトの意見取り。で、ベイシック
は二人のサポートだ。一分でも遅れたら……どうなっかわかってんな?」
『は、はい!!!』
「よし、行け」
 ジロリ。返事をハモらせた魔王達をレミが一瞥すると、三人は瞬時に次元転移して消え
た。ゲンキは部下の魔族達に信用が無かったり嫌われたりしているのだが、レミになると
それが逆転する。こういう時、この二人は便利である。
 レミはニイッと笑うと、あらぬ方向に視線を送った。
「さて、そろそろ迎えに行くか、兄弟」
 その方角には──見えるべくもない距離ではあるが──虹とディルがいた。




第五章「黒槍と神破」

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 ゲンキ達が「話し合い」を始める二時間程前──虹は、ディルと一緒に散歩に出た。あ
んな事があったからか、寂と、彼女によく似たミツルギという女性も一緒について来てい
る。おかげで、虹としては話しがし辛いことこの上ない。
 それでも、八歳の少女は懸命に年上の魔族の少女とコミュニケーションを図ろうとして
いた。
「えーとね……そうだ、じゅらい亭に眠兎さんっていう人がいて、その子供の光流君と美
影ちゃんっていう子達が凄いんだよ。光流君はなんでもできちゃうし、美影ちゃんは魔法
が得意で、二人揃えば最強だと思わない?」
「ふーん」
「……あ、そうそう。そういえば、京介さんっていうお兄さんがいるんだけど、この人が
とっても頭よくって、クレインさんも今だにチェスで勝てないんだって」
「ふーん」
「……そうそう。じゅらい亭って言えば、昔はバレンタインに『テレ砲台』を使って紙で
包んでリボン巻いてパラシュートつけたチョコを打ち上げてたらしくて、来年は久しぶり
にそれをやろうかってことになってるんだ♪」
「ふーん」
 ガクッ。ここまで虹からネタを振る事五十五回。流石に力尽きかけて口をつぐむ。
 だが、ここで止めては何かに負ける。そんな気がして、虹は再び挑んだ。
「バ、バレンタインって言えば、ディルちゃんは誰にチョコあげるの?」
「誰にって? そんな風習、私達には無いけど……何で?」
「え、あ、うん。バレンタインっていうのは……」
 ようやく反応してくれたことに喜びつつ、虹は内心ガッツポーズを取った。この話題な
らば、ディルを乗せられる。
「バレンタインっていうのは、好きな人やお世話になってる人にチョコレートを贈る日な
んだよ」
「へぇ……」
 「何故チョコ?」とか考えつつ、虹の説明にディルは一応得心した。しかし、一部間違
っている事には、自分自身も異世界からの訪問者である虹も勿論気付いてはいない。世の
中には、「義理なんぞいらんわー!!」と絶叫する漢達もいることを二人が知るのは、何
年か後になるのだから……。
 それはともかく、予想通りに興味を持ってくれたディルに、虹自身もつい最近じゅ亭で
仕入れた「バレンタイン」の情報を惜しげも無く披露する。やがてディルは身を乗り出し
て聞くようになり、二人はいつのまにかじゅらい亭の前に来ていた。
 何故か馴染みの店の前にいることに気付き、虹はキョトンとする。
「あれ?」
「虹殿」
 後ろからついて来ていた寂が、追いついてきた。ミツルギも、少し遅れてやって来る。
 寂は、不思議そうに虹に訊ねた。
「何故じゅらい亭に?」
「え、いや……気付いたらいたんだけど……」
「はぁ……もう、習慣になってるのでしょうか?」
「そうかも……ま、それはそれとして、せっかく来たんだから休んで行こうよ」
「賛成」
「え?」
 思わぬところから上がった同意の声に、虹はついつい疑問符を浮かべた。彼女の提案に
真っ先に同意したのは、ディルだったのだ。
「なに?」
「あ……ううん、なんでもないよ。じゃ、ディルちゃん入ろう。寂さんも、ミツルギさん
も!!」



 クレイン=スターシーカーは、久しぶりに新たな獲物を視界内に捕らえていた。しかも、
その側にはよく見知った別の獲物が。

 ──彼は走る。あくまでさりげなく。偶然を装って近付く。演技力もオスカー級だ。

(届く!!)

 ──獲物を彼の射程内に捕らえた。すかさず、彼は必殺の一撃を見舞う。

「あ、すいませーん。今、何時ですか?」
「はあ? 時計ならあそこに」
 初めて出会った黒髪の彼女は、無慈悲な言葉でクレインの必殺技を打ち砕いた。



 ミツルギが、寂に向かって訊ねる。
「なんだったんで?」
「時間を聞きに来た常連さんです。他に、いきなり飲み物を渡されたり、お茶ついでにお
食事に誘われたりします」
「はあ、変わった方ですね……」
「人間には、多いんです」
「はあ……」




 何だか色々話している寂とミツルギからは離れ、壁際のソファーに虹とディルは座って
いた。今だに、バレンタインの話題で盛り上がってるところである。
「それでね、最初の打ち上げの時に部下Gお兄ちゃんが『ラッピング』を使ってチョコに
パラシュート付きの包装をしたのが、その後も使われてたらしいの」
「流石オジサマ。ナイスアイディアだわ」
「うん、でね? 今度の打ち上げの時は、久しぶりにお兄ちゃんもいる事だし、『ラッピ
ング』でチョコを包むらしいよ。その方が手間も省けるし、たくさんチョコを使えるんだ
って」
「偉大な魔王は、何をやっても偉大なのね」
 コクコクと自分の言葉に頷く、ディル。虹が「偉大……なの?」と疑問符を浮かべるの
には気付かずに、その不思議な瞳を凝視する。

(キラキラしてる……)

 まるで星空を見ているようだった。黒い空に、青く輝く星々が浮かんでいる。不思議な
瞳……虹の母親も、こんな瞳をしているはずだ。そう、噂に聞いている。

゛<滅火の魔王>と契った女は、紅髪に黒と青の入り混じる、神秘の瞳を持った魔法使い。
唯一人、誰もが恋焦がれた魔物に愛される女。その面影は娘に宿り、魂は娘に託す──゛

 少し前に、ゲンキからの手紙を読んだ王宮の詩人が詠んだ詩。何だか印象的だったので、
覚えていた。<滅火の魔王>などと呼ばれるのは一人だけなので、すぐにその「娘」がゲ
ンキが護衛することになったという「鏡矢虹」だとも気付いた。だから……。
 と、深い思考に沈みきっていたディルを、突然呼び戻す声がした。
「ディルちゃん!? ディルちゃん!?」
 気付くと、虹が必死な様子でディルに呼びかけている。そのただならぬ様子に、ミツル
ギ達や店の中にいた者達も集まりかけていた。
 虹が、ようやく僅かに反応を見せたディルに精一杯呼びかける。
「ディルちゃん、大丈夫!? 聞こえる!? 具合悪いの!? 大丈夫!?」
 とてもとても必死で、あんまりにも必死で……

クスッ

 ディルは笑ってしまった。
「ディルちゃん?」
「なんでもない、考え事をしてただけ」
「えーっ?」
 驚き、それでいながらホッとして、虹はようやくソファーの元の場所に腰を下ろした。
それに、間髪入れずディルは訊ねる。
「『神破』持ってる?」
「え? あ、持ってるけど……なんで『神破』のこと……?」
「調べたから。私、これでも魔王だもん」
「魔王って……じゃあ、凄いんだ」
「うん」
 いまいち感動の薄げな虹の反応におざなりに返事を返しつつ、ディルは虹が腰のベルト
から外した刀を受け取った。鮮やかな朱色の鞘に収まったそれを引き抜くと、刃がついて
おらず、代わりに青いナイフ大の青い水晶がはめ込まれていた。
「これが、『魂』の剣……」
「ううん、剣じゃなくて刀だって。あたしの母さん、刀と剣を間違うと怒るの」
「……まあ、色々と思うんでしょうしね」
「何で?」
「いや、それは……ともかく、置いといて。代わりに、これ見せてあげる」
 誰かさんのような曖昧な誤魔化しを使うと、ディルは黒い槍を召喚して隣に渡した。い
きなり長大な槍を持たされ、慌ててバランスを取る虹。なんとか持てる重さだったので、
穂先を床に向けつつ腹のあたりで持ち上げた。
 ディルが説明する。
「私の父上フィン=ディベルカの形見。黒魔槍<ゴーセムダクラト>……昼間あなたに向
かって撃ったのは、そいつの分身……みたいな物。本体の<ゴーセムダクラト>さえ生き
てればいくらでも槍が産み出せる」
「お父さんの……形見なんだ…………」
「うん。九年前の゛大戦゛で、戦死したの。看取ったのは、オジサマ。その槍も、オジサ
マが持っていて、私が魔王になった時にくれたの」
 そう言うディルの目は遠い昔を見るようだった。自分が生まれたのと、ほとんど変わら
ない昔……大人にとっては近い過去でも、子供にとっては遠いのかもしれない。
 虹は、少し考え込んでから呟いた。
「…………似てるね、あたしとディルちゃん」
「そうかもね」
 言葉を交わし、沈黙する二人の少女。
 そしてしばし……互いの「武器」を見つめ合った後、彼女等は同時に顔を見合わせた。

「「へへっ」」

 全く同時に、同じ笑みを浮かべる虹とディル。こっそり見守っていた寂とミツルギも、
二人一緒に安堵のため息を吐き出した。





エピローグ

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 雲が足元を通り過ぎる、不思議な原っぱ。やたらと広い休火山の噴火口。今そこで、三
人(四人とも言う)は大騒ぎの最中にいた。
「オジサマ、そっちに行きましたわ!!」
「よーし、大魔王キャッチング!!」
「ダメダメ逃げられた!! 今度はディルちゃんの方に行ったよ!?」
「任せて虹ちゃん!! 魔王的捕獲法の壱!! 『投網』!!!」
「わー、僕に絡まってるよ!?」
「ああっ、オジサマ!?」
「お兄ちゃん、何やってんの!?」
 と、こんな感じである。もうお分かりだと思うが、騒ぎまくっているのはゲンキ、ディ
ル、虹の三人。休日にハイキングで下の牧場まで来たまではよかったのだが、毎度のボケ
でゲンキが牧場のウサギ「グローリーちゃん」を逃がしてしまい、こんな所まで追いかけ
て来たのである。
 ちなみに、グローリーちゃんは体長二メートル。マッハで動き、男に対しては容赦無く
マメリカ仕込みのボクシングを披露するミュータントウサギである。
「くっ、ボクシングなら僕だって負けんぞげっ歯類め!!」
 たかが(?)ウサギ相手にムキになり、ゲンキはファイティングポーズを取った。彼は
幼少時に近所の酒屋のオッチャンからボクシングを教わっていた強者である。
 しかし、そんな事は知らないので、虹達は別の事に注目した。
「ウサギってげっ歯類なの?」
「歯が出っ張ってるし……そうじゃない? なにより、オジサマが言ってらっしゃるんだ
もの、きっとそうよ」
「ふーん……あっ、お兄ちゃんの連打に耐えきれずに、グローリーちゃんが耳に噛みつい
てる!!?」
 なにやら解説口調な虹。その言葉とおり、グローリーちゃんのげっ歯類的出ッ歯がクリ
ンチされて身動きできないゲンキの耳に食い込んでいた。これでは、某世界戦である。
「きゃー、なにすんのよこのマイ○・タイソ○!!」
 ディルが危ない事を叫びながら黒槍を召喚した。その穂先に、強大な魔力が集中して行
くのを見て取り、慌ててゲンキが制止をかけた。
「ま、まずいディルちゃん!? そんな魔法使ったら!!?」
 しかし、時既に遅く──




カッ!!!




「うわあああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
 ディルの攻撃魔法で眠れる火山が目を覚ましてしまった。地鳴りが始まる中、左に虹。
右にディルを抱え、耳にグローリーちゃんをぶら下げたままゲンキは斜面を駆け下りる。
やがてウサギ牧場が見え、ゲンキはキキッとブレーキをかけた。
「虹、ディル、グローリーちゃん!! 避難するんだ!!!」
「そんな……オジサマはどちらに!?」
「噴火を……止める!!」
 ディルの悲鳴じみた声に、キッパリ答えて身を翻すゲンキ。
 ディルと虹は彼を追いかけて止めようとするが、いきなり後ろから肩を掴まれた。立っ
ているのは、無論ラテン系も入ったミュータントウサギ・グローリーちゃん。
 彼(オス?)は、フルフルと首をヨコに振ると、涙ながらに人文字ならぬウサギ文字で
語った。

『彼と闘ってわかった。彼は゛漢゛だ……行かせてやりなさい』

 しかし、虹とディルには何を言ってるのか分からなかった。
「『バ・ナ・ナ・が・食・べ・た・い・ボ・ク・グ・ロ・ー・リ・ー・ク・ン』?」
「『オ・ジ・サ・ン・カ・ッ・コ・イ・イ・ネ・キ・ミ・カ・ワ・イ・イ・ネ』?」
「……! ……! ……! ……!!」
 それぞれ勝手な訳をつける虹とディルに、グローリーちゃんは精一杯力強く首を振りま
くった。そして、もう一度語る。

『彼と闘ってわかったのよん。彼は゛漢゛でぇ……おい、見ろやコラ?』

 空しいかな、とっくの昔に虹とディルは消えている。そして、彼方から聞こえてくる降
下音。

『お?』

 グローリーちゃんが疑問符を浮かべた瞬間、背後のウサギ小屋が吹っ飛んだ。いち早く
危険を察知していたらしきウサギ達が、彼の方に逃げてくる。
 そして、ウサギ小屋の残骸の中から立ちあがる人影。
「ゲホッゲホッ!! 噴火止めたショックで飛ばされちゃいましたよ……まったく」
 ゲホゲホ言いつつ、ゲンキは平然と服の埃を払ってたりする。その時になって、彼が山
にいない事に気付いた二人の少女が戻って来た。
「あ、もう来てる!?」
「オジサマ〜!!」

ガシッ

「おや、どうしたい?」
 少女達にしがみつかれ、目を丸くするゲンキ。が、口元はニヤついている。嬉しいらし
い。そんな彼の肩を、好敵手グローリーちゃんはポムと叩いた。
「ふっ、君もどうしたい、グローリーちゃん?」
 などとカッコつける彼に、一枚の紙切れを渡す。

『請求書』

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!?」
 書かれているウサギ小屋新築の費用の額に、ゲンキは思いっきり絶叫。
 二人の少女は、クスクス笑っていた。




                                     終わり



エピローグのエピローグ


「じゅらい亭日記─超・暴走編6」前編
・ 「じゅらい亭日記─超・暴走編6」後編
「じゅらい亭日記─超・暴走編6」エピローグのエピローグ
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