じゅらい亭日記・このは的

じゅらい亭日記このは的。
投稿者> このは
投稿日> 03月11日(水)00時53分27秒









      0,  雨





  このはは、一体の悪魔と戦っていた。

(あぁ……まただ)

  すぐに、夢だとわかる。同じ夢は、今まで何度も見ている。

  あの瞬間の繰り返しだ。

  大きく隙を見せた悪魔(今では<不信>という名であることも知っている)の胸の中心

に、剣を突き立てる。鈍い手応え。悪魔の吐いた血が、額を汚す。

  悪魔の姿が、美しいエルフ女性のものに変化する。

  そして、地に倒れ伏した彼女は首だけをこちらに向け、恨めしそうに言うのだ。

「どうして殺したの……?」

  そこで、夢は終わる。



「……」

  ゆっくりと目を開き、夢だと再確認する。

  それにしても、嫌な夢だ。事実に必要の無い脚色を加え、胸をえぐる映像に仕上がっている。

  ベッドの中で上体を起こし、額に手を当てる。

  そこには、<不信>の血によって作られた奇怪な紋様がある。

  ひとつため息をつくと、寝汗で濡れたシャツを脱ぐ。書きもの机の前の椅子の背にか

け、机の上のバンダナを額に巻く。

  ここは、大家さん(「大家」とは、彼の姓にして職名なのだ)のアパートの一室である。

  カーテンを開ける。しかし、それでも薄暗い。

「……雨か……」

  曇天に、心が重くなる。さぁぁ……というノイズに、しばし聞き入る。

  と、視界の隅に妙なモノが入ってくる。寝る前までは確かに存在しなかったモノ。

  花瓶だ。窓の前に立って(?)、外を眺めている(らしい)。

「……あの」

「うーん。雨の日に見るミリさんもなかなか……」

「花瓶さんっ!!」

「うはァッ!?……あ、このはか。驚いたなァもー」

  深ァく息を吐くこのは。

「毎っ日毎ッ日言ってますよねェ……。勝手に部屋に入らないで下さいって……」

「いやー、この角度から見るミリさんが一番キレイだなーなんて……」

「……」

「あ、目が怖い」

  窓を開くと、ひっつかんだ花瓶を全力で放り投げる。

「失せろノゾキ魔!!」

「うぅわぁぁぁぁぁぁあぁああぁぁ飛びながら見るミリさんもよさげかもォォオォォォ……!!」

  ぱっりィ……ン。

  全く懲りていないらしい。

「はぁ……はぁ………。まったくもぅ……」

  窓を閉めると、着替えをすます。雨用のフードつきマントを手にとり、このはは静かに部屋を出た。

  部屋は、雨のノイズに支配された。



  一方そのころ、深海探査船≪つぶれ大福≫七号では……。

「茶柱が立ったり倒れたり。」

  大家さんが、のん気にお茶をすすっていた。

  身長172センチ、体重60キロ。

  笑顔の好青年で、肩くらいまである髪の左だけを縛っている。着ているのは、動きやす

そうなラフな服。

  ヴィーッ、ヴィーッ……。

  警告を示すアラームが鳴り響き、赤いランプが点滅する中、大家さんはつまようじに刺

さったようかんに手を伸ばす。腰まで水に浸かっているのだが……。

  べぎ。

  異音を発し、探査船は圧壊する。

  でも、大丈夫。

  大家さんは、元大道芸人だから。





じゅらい亭日記このは的。
投稿者> このは
投稿日> 03月11日(水)02時34分27秒







      1,  再会





「にゃあー。ちべたいにゃあ〜」

  雨の中、フェリがじゅらい亭に入ってくる。全身びしょ濡れ。濡れねずみならぬ濡れ猫

娘だ。

「カゼひいちゃいますよォ!?」

「温かいミルクでも出してあげよう。風花ちゃん、これを」

  席についたフェリに自分のマントを着せると、風花はじゅらいから渡されたタオルでフ

ェリの髪を丁寧にふいてやる。フェリの耳は収納(!)されているので、邪魔にはならな

い。

「着替えたほうがいいのでは?」

「もう済んだにゃあ」

  心配そうなしゃちょーにも、フェリはマイペースに返す。

  さっきまで濡れていた服が、乾いている。おそらく、首輪の力だろう。空中の元素を固

定して、あらゆるものを作り出すことができるのだ。服を分解・再構成したか、雨の水分

をとばしたか、そこらへんだと思われる。

  そんな事をするのであれば最初からレインコートでも作ればいいのだがそんなことに

は気づいていないらしい。空腹時にゲンキからサンマを強奪したりしているのを見れば、

食べ物を作ったりもしないようだ。

「ぅあっちィにゃあっ!?」

  ミルクを吐き出すフェリ。それをふいてやる風花。テーブルに置いてあったふきんでふ

いた事は、誰一人として気づいていない。

「ごめんなさい!やっぱりその……猫舌だったんですね……」

  しゅんと謝る風舞。彼女がミルクを温めたのだ。普通の人にならちょうどいい温度のは

ずだったのだが。

「大丈夫、ですか?」

「だいじょぶだにゃあ……」

  涙をぬぐうフェリ。かなり熱かったらしい。



  しばし、時は流れる。太陽が出ていないのでよくわからないが、昼過ぎなのは確かだ。

「静か、ですねー……」

  風花のつぶやきが、店内に響く。それだけ、静かだという事だ。

  じゅらい亭にいるのは、発言した五人以外には、看板娘ズと幻希、このはしかいない。

  幻希は何やら疲れた様子でカウンターに突っ伏して寝ているし、このはは奥の席でボー

ッとしている。

「にぎやかどころが不在だからね」

  答えるじゅらいの声も、どこか生彩を欠いている。

「……」

「ちゅぅー……。ごく。」

  フェリが生温くなったミルクを飲む音が響く。

  誰一人、口を開く者はいない。

  静寂のうるささに嫌気がさしてきた頃……。

  ぱしゃぱしゃぱしゃと、誰かが外を走ってくる。どうやら、じゅらい亭を目指している

らしい。

  荒々しくドアが開かれ、ずぶ濡れになった男がずかずかと入ってきた。

「クレイスはどこだっっ!!」

  開口一番、男はそう怒鳴った。

  中年太りの、頭の禿げた男だ。上等な服を着ているが、雨と泥でぐしゃぐしゃになって

しまって、見る影もない。

  誰も反応しないのに腹を立てたのか、男は近くにいた幻希の肩を揺さぶり、再度同じ事

を口にする。

「………クレインなら……新しい召喚神……探すっ……って旅に出た………ぞ」

  伏したまま、眠たそうな声で答える幻希。

「クレインではないっ!!クレイスだ!さっさと答えろっ!!」

「なら知らねェよ!!」

  乱暴につかみ起こされた幻希は、ほとんど無意識で炎を放っていた。本人が一番驚いて

いる。

「!」

  さしたる反応もできぬまま、男は炎に包まれる。

  息を飲む面々。半分あきらめ顔だ。

「やっちゃったにゃあ……」

  しみじみつぶやくフェリ。

「……にゃ?」

  炎に目をやったフェリは、妙なことに気づく。

  炎の中の人影に、苦しんでいる様子がないのだ。幻希の放った炎だ。手加減はしている

だろうが、無事に済むようなものではないはずだ。第一、炎に包まれた状態でまともに呼

吸できるわけがない。

「にゃっ!?」

  さらに驚くべきは、さっきの男が入口の外に呆然と突っ立っていることだ。本人にも、

状況がよく飲み込めていないようだ。

  では、炎に包まれているのは一体……?

「大変失礼いたしました」

  炎の中から、女性の声が聞こえてくる。

「今では、本名を名乗ってはいないのでしたね」

  ゆっくりと晴れてゆく炎の中、光に包まれた女性の姿が見えてくる。自らの身体を抱くよ

うな姿勢で、平然と立っている。衣服にも乱れはない。それどころか、雨に濡れた様子す

ら見当たらない。

「私たちが探しているのは、吟遊詩人このは、あなたです」

  長い金髪を三つ編みにしたその女性は、まっすぐ店の奥を見つめている。

  さっきの男の隣には、盗賊風の格好をした小柄な少女が立っている。耳が少しとがって

いることから、人間ではないことがわかる。

  男をうながして店内に入ると、同じように置くを見る。

  店内にいる全員の視線が集まってからようやく、このはが動いた。顔には、苦笑いが浮

かんでいる。

「久しぶりだね、スウ、オード。……父さん」



  このはが三人を連れ、じゅらい亭を出ていってしばらく後。

「……何だったんだ一体……?」

  中腰のまま扉の外を凝視している幻希に、じゅらいが返す。

「昔の仲間が、父親を連れてきたみたいだったね」

「ンなこたぁわかる。俺が言ってんのは、あの女のコトだよ!」

  どすっと腰をおろし、じゅらいが渡した水を一気に飲み干す幻希。

「かなり高位のプリースト、ですね」

  しゃちょーが、手の中のグラスを見つめてつぶやいた。

「あの男性と入れ替わったのは<身代わり>といい、重要人物が急襲された時などに自分

と相手の居場所を瞬間的に交換する呪文で、自らを犠牲にして相手を守るというものです。

  しかし彼女は同時に<光輪障壁>をも行使していました。無数の光輪が全身を包み込み、

かなり強力な攻撃でも防ぎます。二つとも、僧侶魔法の中でも高位の部類に入ります。

  さらに<障壁>内部での<火中呼吸>や雨をはじいた<防水>といった精霊系の魔法

も効果的に活用しています。……いいものを見せてもらいました」

  熱い口調で語るしゃちょー。顔は紅潮し、目もうるんでいる。

  グラスに入っているのは水。酔っているわけではないはずだ。

「一騒ぎ、ありそうですね」

「にゃあ」

  フェリと風花がうなずきあう。

「借金が増えなきゃいいけど……」

  じゅらいのつぶやきで、風舞たち看板娘の表情が一気に暗くなる。

  雨は、しばらく止みそうにない。





じゅらい亭日記このは的。
投稿者> このは
投稿日> 03月11日(水)03時27分27秒





      2,  旅立ちの理由





  このはたちは、とある飲食店にいた。

  じゅらい亭を出たのは、聞かれたくない話をするだろうと考えてのことだ。

  適当な飲み物を注文すると、父親(ワーレンという)に話しかける。

「それで、父さんはどうして私を追ってきたのです?」

「どうして、じゃない!!わかっているのだろう!?」

  いきなり激する。興奮しやすい性格は、このはが家を出る前から変わっていない。

「許婚者のことですか……」

「そうだ!!」

  このは、いや、クレイス・クーナッハには、許婚者がいた。

  三つ年下の、かわいらしい少女だったと記憶している。名前はもう忘れた……いや、覚

えてはいる。思い出さないようにしているだけだ。

「彼女は、まだお前を待っているのだぞ!」

「……何ですって?」

  ウェイトレスが持ってきた紅茶に伸ばした手が、止まる。

「その件については、家を出る前にお断りしたはずです。第一、彼女には好きな男性がい

たのではありませんか?」

「あぁ、殺されたよ。その男は」

  目を伏せるワーレン。

「彼女の家に奉公している下男だったのだろう?彼女の父親が激怒してしまってね。止め

ても聞かなかったらしい。酷い殺され方をしたという話だよ……」

「なんということを……」

  頭を振るこのは。罪悪感が、胸にこみ上げてくる。

  商人から男爵になったという祖父。貴族とはいっても、伝統も何もない成り上がり者な

のだ。

  このはの婚約は、政略的なものだった。相手は伯爵家だったのである。

  当時のこのはは、自分が貴族としての地位を固めるための道具として利用されようとし

ている事に気づき、家を出た。

  彼女のことは、好きだった。彼女に好きな相手がいると知り、気持ちを整理したいとい

う思いう思いの方が、出奔の主な理由かもしれない。彼女には、幸せになってほしいと思

っていた」

  当時、まだ一五歳。まだまだ、家の面子などというものを気にしてはいなかったのだ。

自分の事しか考えていなかった……。

(……おとなしく結婚していれば、彼を救えたのだろうか……)

「……そして、わしはお前を連れ戻すための旅の途中で彼女たちに出会ったのだ」

  このはが考え事をしている間も、ワーレンの話は続いていたらしい。いつのまにか、彼

女らとの出会いについての話に移っている。

「……そうですか」

  一言だけ返し、二人に視線を送る。

  スウとオードは、このはの昔の仲間である。

  スウは、長い金髪を後ろで三つ編みにした人間の女性だ。知識神の信者で、かなり広い

知識を持っている。

  かつてパーティーを組んでいた頃は少々ぼんやりした感じがあったのだが、シャキッと

したというか……怜悧というより冷徹といった印象を受ける。鼻の上で光る楕円形の眼鏡

さえも、知性と冷ややかさを強調する小道具に見えて仕方がない。

  オードもそうだ。黒いくせ毛の上にターバンを巻いたグラスランナーの女性でシーフなの

だが、昔のひょうきんなイメージが欠落している。疲れたような、眠たそうな半眼で店内に

注意を払っている。

  彼女たちと別れてから4年。家を出てからは7年も経っている。

「どうだ。家に戻ってはくれないか」

  懇願するように見つめるワーレン。

「……時間を下さい」

  結論を先延ばしにして、席を立つ。

  彼らがとっているという宿の名前を教えてもらうと、アパートに帰る。

  雨は止んでいたが、厚くたれこめた雲が空を覆いつくし、星の一つも見えはしなかった。



  部屋に入ると、着替えをしてベッドに入る。

  窓の所に花瓶がいたが、構っていられる気分ではなかった。

  しばらく寝返りをしていたものの、どうしても眠れなかったので、仕方なく身体を起こす。

  窓を開け、しばらく深呼吸をすると、花瓶を叩き落として窓を閉める。ベッドに戻り、

眠りについた。

  夢は見なかった。





じゅらい亭日記このは的。
投稿者> このは
投稿日> 03月13日(金)14時12分24秒





      3,  旅路にて





  いつも通り花瓶を叩き割ると、このははアパートを出る。

「……!」

  出入口の所には、オードが立っていた。

「ちょっと、顔かしなよ」

  広場のほうを親指でくいくいと示している。黙ってうなずき、彼女の後について歩き出

す。

  空は、灰色の雲に支配されていた。



  ベンチに腰かけ、オードは早速質問を繰り出してきた。

「何考えてんだい?」

「……何のことです?」

  わけのわからない問いに、面食らう。

「何でアタシらを置いて旅に出たん聞いてんだよ」

「それは……あなたたちに迷惑をかけたくなかったからです」

  ずっと前から用意しておいた答えを返す。

  このはは、スウやオードらとパーティーを組んで初めての仕事の帰り、仲間のひとりであ

るエルフの女性を殺している。

  彼女、カミリエは悪魔に憑依されており、醜悪な姿になって襲ってきたのだ。その時、

もう一人いた仲間は命を落としている。

  彼女だとは知らずに悪魔を倒したこのはは、エルフの姿に戻ったカミリエを見て、絶叫

する。この時のことが原因で、彼は戦闘時に武器を握ることができなくなっていた。

  このはの額の紋様はその時の返り血で、白かった彼の肌を黒く変え、体内に悪魔をやどす

という呪いを刻みこまれた証である。

「アタシらに迷惑かけてなくたって、他にかけてりゃ意味はないさね」

「……!!」

  絶句するこのはに、オードは無表情のまま語りかける。

「何驚いてんのさ。アンタがやったことくらいわからないで追いかけてこれるとでも思っ

てんのかい?」

  蒼白なこのはの顔を見ながら淡々と続けるオード。

「町やら村がツブされたのが数件。貴族の城やら屋敷やらもいくつか。死傷者に至っては

どんだけいるんだか……見当もつかないね」

  このはの中に住む悪魔の名は<破壊>。

  このはが怒りを爆発させた時に鎧となって現れ、彼の体を操って破壊の限りを尽くす。

  オードが言っているのは、間違いなく真実だ。

「最後にアンタが暴れたのは、山ン中のちっちゃな村さ。アタシらが知る限りは、ね。

  そこでアンタの行方がわからなくなった。で、長い間ウロウロしてる時にここの<じゅ

らい亭>のウワサを聞いたんだ。人間離れしたヤツらの集まる冒険者の店で、騒ぎが起き

る度に街にヒドい被害が出てるってね。そこの常連の中に、このはって名前があった」

  知られていた……。

  愕然とするこのは。

  気づくと、ダガーの切っ先が眉間にぴたりと突きつけられていた。

  ダガーを持っているのは、オードだ。全く表情が変わっていない。

(…………反応できなかった……!)

「フヌケたねぇ、アンタ」

  息がかかるほど顔を近づけ、オードはおもいきり睨みつけてくる。

「昨日の夜だって、殺気丸出しでつけてたアタシにも気づきゃしなかったじゃないさ」

  オードの攻撃をよけられなかったのは、その異様な鋭さのせいだけではないだろう。

  じゅらい亭に来てから一度も剣を握ったことはない。カンが薄れてしまっているのだ。

  このはを解放すると、オードはベンチの上であぐらをかく。ダガーをもてあそぶ手つき

には、危なっかしさなどかけらもない。

  ぽんぽんぽんと三度投げ上げた直後、ダガーは忽然と消えてなくなった。しまったのだ

ろうが、その動きには目がついて行かなかった。腕を上げたのはスウだけではないという

ことか。

「正直、がっかりしたよ。アンタが悪魔になったっていうからケリつけてやろうと思ってた

んだけどねぇ……」

  恐ろしいことをさらりと言ってのける。

「……知ってたかい。スウ、アンタのこと好きだったんだよ」

「……!!」

  またしても、虚をつかれた形になる。

「やっぱり知らなかったみたいだね。女心もわからないでよく吟遊詩人を名乗れるねぇ」

「……」

「あの子は悩んでるんだよ」

  あぐらの上に頬杖をつくオード。目は噴水で遊ぶ子供たちに向けられている。

「ワーレンさんからはアンタを連れ帰って結婚させてくれって言われてる。ンで、アンタ

は悪魔憑き。プリーストとしてほっとくわけにはいかない。

  さて、女としての意志を尊重すべきか、冒険者として依頼を優先すべきか、僧侶の使命

を遂行すべきか、ってね。……難儀なコだよ」



「アンタも、身の振り方を考えときな」

  そう言い残し、オードは人並に消えて行った。

  その日はじゅらい亭には行かず、そのままアパートに帰った。

  帰り道が、とても長く感じられた。





URL> ふぅ。三分の一弱、か・・・・・・。

じゅらい亭日記このは的
投稿者> このは
投稿日> 03月14日(土)01時00分24秒







      4,  再来





  アパートから出たこのはは、いつも通りじゅらい亭に向かった。

「スウ、アンタのこと好きなんだよ」

  オードの言葉が、胸に重くのしかかる。

  恋愛モノのサーガの主人公に自分を投影しながら歩いているうちに、じゅらい亭の見え

る通りに着いていた。

「!」

  通りの真ん中に、ちょうどじゅらい亭をさえぎるような形でスウが立っていた。

  しずしずと歩み寄って来ると、まっすぐに見つめてくる。

「お話したいことがあります」



  一時間後、二人はじゅらい亭のある街を見下ろせる小高い丘の上にいた。

  スウは、二日前とは違う杖とマントを装備している。

  杖には大きなクリスタルがついており、マントの表面は古代文字で埋め尽くされている。

一見して、魔法の品とわかる。

  対してこのはは、いつもの服の上に厚手のシャツを着ただけだ。ハープも剣も、置いて

きていた。

「それで、話したいことっていうのは?」

「あなたは、誰なのです?」

「……?」

  オードもスウも、謎解きのようなセリフを吐くものだと、このはは思った。長い間一緒

にいると、喋り方も似てくるものなのだろうか。

「あなたは『クレイス』なのですか?それとも『このは』?それとも・・・・・・『悪魔』?」

  問いかける瞳には、期待と不安が混じりあった複雑な感情がにじみ出ていた。

  杖を構えた姿に昔の仲間と話しているなどという安心感は微塵も感じられない。

(……そうか)

  急に理解する。この場所を指定したのは彼女なのだが、今一つ理由がわからなかった。

ものものしい格好をしているのも。

  彼女は、このはと戦おうとしているのだ。このはが悪魔だった場合、これ以上の被害を

出さないため、処分するつもりでいるのだ。

  誰もいない高台を選んだのも、周りへの影響を考えてのことだろう。

「私は『このは』です。昔の名は捨てました。だから、父が呼んでも返事はしなかった」

「幼稚ですね」

  キツイことを言う。

  答えを聞いても、警戒を解く様子はない。それどころか、ますます疑いを深めてしまっ

たようだ。眉間に深い縦ジワが刻み込まれている。

「昨日、オードと話したそうですね」

「……?」

  突然の話題変化にとまどうこのは。

「彼女との旅の途中、あなたの噂を聞いて疑問に思ったことがあるのです」

  彼女のいわく、このはの呪いは本人の意思に関係なく周囲に被害を及ぼすもののはず。

  にもかかわらず、実際にこのは本人とかかわった人たちから聞いた話では、<破壊>が

表に出るのは彼が激怒した時に限られている。

「これは異常です。何らかの手段を用いない限り、悪魔の暴走を抑制することはできない。

  例えば……契約」

  このはは、我知らず目を背けていた。

「あなたは、悪魔と契約したんですね?」

  そうだ。だが、それを口にすることはできない。黙り込むしかなかった。

  スウが杖を下ろすのがわかる。

「私の目には、あなたの体に巣食う悪魔の姿がはっきり見えているのです」

  声に力はない。

「自分を『このは』だと、あなたは言いました。では何故、人としての意志があるのなら

何故、悪魔を体内に住まわせているのです?首都級の都市に行けば、呪いを解ける僧侶く

らいはいるはずです。それなのに何故こんな所でぼんやりすごしているのです?」

  スウの口調がだんだん早く、熱くなってゆく。

「私にはあなたが自ら望んで悪魔と『共存』しているとしか思えません。あなたは悪魔と

何を契約したのです?

「……」

  黙りこくるこのは。

「私は……私はあなたが好きなのに!」

  はっとして顔を上げる。

  涙を浮かべ、苦しげな顔で見つめる彼女に、胸がしめつけられる。

  スウが声を荒げるのを聞いたのは、これで二度目だ。四年前は気づいてあげられなかっ

た彼女の想いが、深く深く、胸を刺す。

「それなのに……あなたを信じることができない!!」

  スウの両目から、ぽろぽろと涙が落ちる。

  あまりにもまっすぐな瞳に耐えられず、このはは再び地面に視線を落とす。

「う……うぅ……」

  スウの鳴咽が、場を支配する唯一の音だった。

  風もない。虫や動物の鳴き声もしない。

  だから、彼女の変化はすぐにわかった。

「う………うゥ……ウぅゥ……」

「……?」

  押し殺したような泣き声が、獣じみたうなり声に変化する。

  顔を上げたとたん、このはは戦慄した。

(……!!)

 スウのまわりに、どす黒いもやのようなものが渦巻いていた。

  それが何かまずい前兆であることはわかったが、指一本動かすことはできなかった。

  もやがスウの体に吸い込まれ、一瞬、時が止まったような錯覚をおぼえる。

  直後、スウの体が爆ぜた。

  肉体は倍以上に膨れ上がり、甲虫類のような黒光りする外皮と長い獣毛に覆われる。

「………」

  このはは、その怪物の名を知っていた。忘れようはずもない。

  多少姿が変わっているような気がするが、それは間違いなく<不信>であった。

(……悪夢の再来だ)

  このはは、そんなことを考えていた。





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