5, 支配するモノ
「グゥルルルォォォ………」
うなり声を上げる<不信>の前で、このはは呆然と立ちつくしていた。
「スウが……<不信>に………」
<不信>は、名前の通り不信感を糧とする悪魔である。
不信感を抱いた者に取り憑き、人々の間に疑心暗鬼のタネをばらまき、力を得る。それ
がこの悪魔の「生き方」なのだ。
自分が愛した女性と、自分を愛してくれている女性。
二人の女性が同じ悪魔に憑依され、敵として襲いかかってくる。
(これが、運命というものなのか)
胸が痛い。
しかし、顔に浮かんだのは、笑みだった。
<不信>をねめつける狂気的な瞳、不自然に歪んだ口元……。じゅらい亭の面々が見れ
ば絶対に後退るであろう凄味のある笑みだ。
心が、怒りと歓喜で満たされていた。
「また……会えたな………!」
じゅっ!!
このはのバンダナが、内側からの『熱』に焼かれ、ちぎれ飛ぶ。体内から噴き出す魔力
が、熱を持つまでに高まっているのだ。
金色の髪は魔力の風で逆立ち、ゆらゆらと波打っている。
額の紋様から強い輝きが放たれると、体から黒い瘴気のようなものが溢れ出してくる。
「おぉぉおおおおおおぉおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
瘴気はこのはの体を包みこみ……漆黒の鎧となって凝固する。
騎士が着るような鎧とは違い、人間の筋肉に近いシルエットをしている。見たところ継
ぎ目のようなものは無く、関節すらすっぽりと覆っているが、動きを妨げないよう形状を
変化するのだ。
額の両端から生えた角や爪、体の各所にある突起物の色は銀。
顔と頭の一部を除く全身を覆いつくす、これが<破壊>の鎧である。
このはは閉じていた目を開き、にやりと笑う。
「滅びろ」
「ガァアアァァァァァァァァ!!」
その言葉に怒ったか、<不信>は両手に備わっているナイフのような爪を振りかざし、
このはに襲いかかる。
ガラスをひっかいたような耳障りな音が響く。このはが、何気なく持ち上げた腕で攻撃
を受け止めたのである。力を入れた様子は、ない。
一瞬だけ笑いを収め、このはは短く呪文を唱える。
「劫火よ……焼き尽くせ!!」
今や悪魔と化した二人を、紅蓮の炎が包み込む。
近くの木は一瞬で燃えあがり、巨大なたいまつと化す。
下生えは炎にあぶられ、黒い絨毯に成り果てる。
「グギャアァァアァアァァァァァッッ!!」
未だ燃え続ける炎の渦の中から、<不信>が転がり出てくる。
獣毛は炭化しており体中からぶすぶすと煙を上げているが、命に別状はないらしい。
消滅してゆく炎の中からゆっくりと進み出てくるこのは。<対魔法防御障壁>の呪文でも
使っているのか、炎の被害がどこにもない。
「意外と丈夫だな。私が知っている貴様なら、行動不能になっているはずなのだがなァ」
地べたに這いつくばる<不信>を見る目は、完全に見下していた。
「力を貸してほしくはないか」
最初に表に出てきた時、<破壊>はそう語りかけてきた。
このはは、<破壊>の知識から<不信>が生きている事を知った。カミリエを殺す原因
となった憎き悪魔が、生きている……。
何としてでも、自分の手で殺してやりたいと思った。
しかし、彼に<不信>を倒す術はない。剣は使えない。使えても、また同じことを繰り
返すだけだ。
「私なら、私の力を用いれば、ヤツを倒せる。お前が愛した女の敵がうてるのだ……!」
精神的に参っていたこのはは、一も二もなくその誘いに乗った。
「<不信>を見つけたら力を貸してくれ。ヤツは私が倒す」
このはの言葉を、<破壊>は快諾した。
「よし、ついでだ。お前がどうしても許せない相手に出会った時は、私が出ていってやろう」
その時は「何と優しいのだ」などと思っていたのだが、関係ない者をも巻き込もうとは……。
しかし、いまさら後悔しても遅い。
今は、目の前の敵を倒すのみだ。
「グゥウゥァァァッッ!!」
素早く起き上がり、距離をとる<不信>。
全身の傷口が、白く泡立っている。再生しているのだ。
そんなことには構わず、このはは無造作に一歩踏み出す。
びくっと震えて一歩後ろにさがると、<不信>は口から紫の液体を吐き出す。
「キシャアッ!」
「フン」
あっさりとかわす。液体がかかった地面から、じゅうじゅうと白い煙が出ている。かな
り強い酸だったらしい。
「どうした?他にも芸があるんだろう?」
「グゥアッ!!」
挑発に乗ったか、<不信>の全身の黒光りする外皮が蕾のように開き、中からヤマアラ
シのトゲのような物が伸びてくる。
「……ほぅ?」
知らない能力だったようだ。が、慌ててはいない。
と、トゲが一斉に発射され、空中で向きを変えてこのはを襲う!
よけようとすらしないこのは。口の中で小さく何かをつぶやく。
このはにあと一歩と迫ったところで、トゲは強風に煽られたかのように進路を変える。
空中で接触しあい、爆発を起こす。どうやらミサイルのようなものだったらしい。
「次だ」
周囲に展開していた<風の結界>を解き、このはは余裕で腕を組む。
「グゥ……!!」
<不信>の手の爪が、ぐにゃりと溶け合って長剣状に変化する。
「ガァアアアアァァァァァアアァァァァァァ!!」
両腕を無茶苦茶に振り回しながら突進する<不信>に、このはは静かに腕を下ろし、半
身に構える。
一流の剣士でもなければ成し得ない速度で振るわれる<剣>の斬撃を、全て紙一重でか
わす。動きが止まった一瞬の隙を突き、左右の手で<剣>を捕らえる。
「遅い」
ベギャッ!
<剣>は、このはの握力であっさりと砕かれる。
「ッッギィヤァァァァアァァァァァッッ!!?」
どす黒い体液をまき散らし、悶え苦しむ<不信>。
このはは、動きを止めた怪物をメッタ打ちにし始めた。
「ふっ、ふはっ、ふはははははははは!!」
拳、肘、蹴り……。細身のこのはに<不信>の巨体が翻弄される様は滑稽にさえ見え
る。再生能力が追いついて行っていない。みるみる傷だらけになってゆく。
「あぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁ!!」
雄叫びと共に繰り出されたこのはの爪が、丸太のような<不信>の腕をあっさりと切り飛ばす。
刀剣をもはじき返す黒い外皮も、このはの爪の前では紙に等しい。
「ッッギィィアアァァァァァアァァ!!」
「はぁあああぁぁ!!」
回し蹴りで吹っ飛び、燃える大木に激突する<不信>。耳を塞ぎたくなるような絶叫が
上がる。
ふらふらと立ち上がった<不信>は、背中からコウモリに似た翼を広げる。
「逃がすと……思うか!?」
掌に作り出した<火球>を、飛び上がったばかりの<不信>の背中に投げつける。
「……!!」
爆炎と共に翼が吹き飛び、炎の中に落下する。絶叫。
無様に転げまわる怪物を見下し、このはは冷ややかに告げる。
「怒りはもう、おさまった。そろそろ、死ね」
「……!!」
しばらくしてようやく立ち上がった<不信>は、あきらめたのか、まっすぐ突っ込んで
来る。
「ウガァァァアアァァァァァァァ!」
両腕を左右に広げ、胸をさらす。そこを、攻撃しろというように。
かつて、このははその誘いに乗り……あのような結果を招いた。
同じ過ちは、繰り返さない!
「はあああぁぁぁぁぁ!!」
迫り来る<不信>には構わず、その影に右腕を叩き込む。腕が肘あたりまで地面にめ
りこんでいる。
このはが腕を引き抜くと、影の中から何かが引きずり出されてくる。
<不信>だ。
このはの手に喉を掴まれ、じたばたともがいている。体が透けて見えるのは、これが精
神生命体<不信>の本体だからである。
悪魔<不信>は、他の生命体に憑依しなければこの世界で力を振るう事はできない。
憑依した者の肉体を変化させて操るわけだが、危機が迫った時、<不信>は本体を
影の中に移動させる。
その時、わざと憑依した者に致命的なダメージを与えてしまうような行動をとる。
とどめを刺された肉体は、数秒のタイムラグを置いて元に戻り、相手は絶望の淵に立つ
ことになる。その姿を見て、<不信>は暗い悦びに浸るのである。
しかし、本体が肉体の中にある間は犠牲者にダメージは及ばず、憑依を解いた後も本体
に残る。
このはが遠慮無く攻撃していたのは、<不信>のそうした秘密を全て知り尽くしていたから
だ。
本体が影の外に出きってしまうと、スウの肉体は元に戻った。
一糸まとわぬ姿で倒れこむ彼女の上に、このはが召喚した服がぱさりと被さる。
「くっくっくっくっく……!」
(これで、カミリエの敵がうてる……!)
そう思った瞬間、突然視界が変化する。
「!?」
普通にものを見ているにも関わらず、どこか現実味がないような、そんな感じだ。
体の支配権を奪われたのだと気づくのに、しばらくかかった。
(どういうことだ、<破壊>!!)
このはの目の色が変化していた。白目は赤く、瞳は金色になっている。
<破壊>が表に出ている証拠だ。
「いやなに、こいつを食らうだけさ」
このはの顔と声で、<破壊>は言う。
鎧の額の部分についている宝石のような物が光ると、<不信>の本体は霧状に変化し、
宝石の中に吸い込まれていった。<吸収同化>の能力だ。
「このはよ。契約は終了だ。この肉体は私が頂く!」
(どういうことだ!説明しろ!!)
「<不信>は、滅んだ。お前の復讐は終わった。私は力を貸してやった。その代償だ」
(……!)
そうだ。悪魔が何の得もないことをするはずがない。暴れるだけでは足りなかったのだ。
悔やんでも悔やみきれない。<破壊>に支配された体の奥で、このはは泣いていた。破
壊してしまった街。殺めてしまった人々……。どうやって償えばいいのだ……。
「喜べこのは。これで私たちは身も心もひとつだ!」
スウたちと別れ、旅立つ事を決めた日に頭に響いた言葉がよみがえる。
<汝、破壊と共に在り>
「貴様が望むと望まざるとにかかわらず、貴様のまわりには常に破壊がつきまとうのだ」
(………そういう事だったのか……)
何もかも、悪魔の思い通りだったのだ。無力感に苛まれる。
「さぁ、門出の祝いにあの街を火の海に変えてやろう!」
(やめろぉぉおおお!!)
このはの叫びを無視して短く呪文を唱えると、<破壊>は街へ向けて飛び立った。
「………ん……」
見る影も無く破壊された丘で、一人残されたスウの目がうっすらと開いた。
がばっと身を起こす。街へ飛び去る影が一つ。
「いけない!」
状況を一瞬で把握する。<不信>に肉体を支配されていた時の記憶ははっきり残ってい
る。犠牲者が生き残った場合のことも考えての、<不信>の配慮のためだ。パーティーの
雰囲気を悪くして不信感をあおり、さらに力を得ようというわけである。
このはが残した服を身につけるスウ。
髪を縛っていた紐もメガネも、変身した時点でばらばらになっていた。
きょろきょろと見回すと、魔法の杖が奇跡的に破壊を免れていた。
大事そうに掴み上げると、裸足のまま街へと駆け出した。
(これさえあれば……止められる!)