第四章 ― 初陣 ―

1.

「ここか…!」

  俺とヴィシュヌはシーヴの屋敷に勝るとも劣らない大きな屋敷の近くに立っていた。
使用人に場所を聞いて、走る事10分。月明かりの中にぼうっと浮き出して見える、見
上げるほど大きな塀に囲まれた、これまた見上げるほどに大きい屋敷。作りはシーヴの
屋敷に似ていたが、どことなくディープの悪趣味さ加減が漂っているような気がする。
門の前には赤々と松明が燃えており、その前でゴツい鎧を着た門番らしき男が二人、ハ
ルバードを構えて偉そうにふんぞり返っていた。

「さて〜、どうやって入り込みましょうか〜、ご主人さま〜?」

  ヴィシュヌが小首を傾げて質問する。丁度俺もその事を考えていた所だった。正面か
ら行けば当然ディープの私兵達と戦闘になる。“召喚神”達の力は強大だ。雇われてい
るだけの、しかも弱っちい(決め付けてるな(笑))兵隊なんぞを相手にすれば、もしか
すると死人が出るかもしれない。それだけは避けたかった。

「う〜ん、どうしよう…?」
「空から行くっていうのはどうでしょうか〜?」

  ヴィシュヌがにっこり笑って提案する。しかし、俺はそんなヴィシュヌをジト目で見
つめて言い返した。

「まさか、“ガルーダ”を喚べって言ってるんじゃないだろうな?」
「そうですぅ〜♪」

  ニコニコしているヴィシュヌに向かって俺は一瞬で返答する。

「却下。」
「えぇ〜、なんでですか〜??」

  俺は不満顔のヴィシュヌを見て苦笑いを隠せなかった。

「いくら夜とはいえ、“ガルーダ”なんて喚び出した日にゃぁ、目立ちすぎてしょう
がないだろっ」
「そぉんな〜、あんなに可愛いのに〜!」
「か、可愛い?ガルーダが??…と、とにかくダメなもんはダメですっ!」
「ぷぅ〜!」

  ヴィシュヌは取り付くしまのない俺の言葉にぷぅっと頬を膨らませた。

「ふくれたってダメっ!」
「しゅ〜ん…。」

  完全にダメだと分かると、今度はシュンとしてしまった。まったく、コロコロ表情が
変わって面白いヤツだな、ヴィシュヌは(笑)




「よし、決めたっ!」

  しばらく考えた後、俺は“ポンっ♪“と手を打った。

「なにか良い案を思いついたんですね〜、ご主人さま〜♪」

  ヴィシュヌが俺のその様子を見て微笑む。しかし、俺はヴィシュヌに向かってニヤリ
と笑いかけて言った。

「正面突破。」

  たった一言。そして、俺はまた走り出した。ヴィシュヌが慌てて後を追う。

「“正面突破”って〜、ご主人さま〜!?」
「言葉通りの意味だよっ♪行くぞ、ヴィシュヌ!」

  “スターファイア”を抜き放ちながら、振り向かずに答える俺。すでにディープの屋
敷の門と二人の門番は目の前に迫ってきていた。

「な、なんだ貴様等っ!?止まれっ、止まるんだっ!!」
「召喚!ウンディーネっ!!」

  俺は門番の言葉を完全に無視し、走りながら“スターファイア”を構えて水の精霊を
喚び出す。

シュパァァァァッ!

  薄いブルーの光と溢れ出す水流とともに出現した水の精霊は、透き通る青い水によっ
てその美しい半裸の女性の姿を形作っていた。月明かりにと松明の明りに照らし出され
たその水で出来た体は、不思議で幻想的な雰囲気を醸し出していた。

(おおっ!なかなか可愛いじゃないかっ!?)

  精霊とは言え殆どハダカ同然の女の子の姿を見て、すでに戦闘が始ろうとしていたの
にも関わらずナンパ師としての本能がうずき出すのを感じた。しかし俺は慌ててぶんぶ
んと頭を振り、ウンディーネに命令を下す。

「やれっ、ウンディーネっ!」

  俺の言葉に呼応して、ウンディーネはハルバードを構えて突っ込んで来る二人の門番
達の方を指差す。門番達はいきなり現れた精霊の姿に一瞬ギクッとしたようだったが、
そのまま雄叫びを上げながら突っ込んできた。

「おおおおおおおおおらぁっ!!」

ドバシャァアアアアッ!!

  ウンディーネの指先から大量の水が溢れ出し、門番の方へと押し寄せる。

「なんだ、こんな水っ!痛くも痒くもないわぁっ!!」
「ディープ様の屋敷に正面からやってくるとは無謀なヤツだ、死ねぇっ!!」

  二人の門番は大量の水を浴びながらも突進を止めようとはしなかった。言いながらハ
ルバードを頭上に振り上げる。しかし、俺は二人を指差して不適に笑いながら言い放っ
た。

「果たして、本当にそうかな?……フリーズ!」

  俺の命令を受けて、ウンディーネが人には理解出来ない言葉を発する。と同時に、門
番達を包み込むほど大量に発生していた水が一瞬にして凍り付いた。門番達は勝利を確
信した笑みを浮かべたまま、氷の牢獄の中に閉じ込められた。

「明日もいい天気になるだろうし…心配しなくてもそのうち溶けるさっ♪」

  俺はコンコンと門番達を包み込む分厚い氷を叩きながら楽しそうに言った。




「やりますねぇ〜、ご主人さま〜♪“召喚神”達の事を〜、かなり覚えてるんですね
〜♪」

  体を傾け、斜め下から俺の顔を覗き込むようにしながら言うヴィシュヌ。

「ん?…まぁな、お前らと一緒に戦う“電脳召喚師”として、これくらい当然だろ?」

  俺はニヤリと笑いながら自信たっぷりに言い放った。しかし、なぜかヴィシュヌはい
きなりクスクスと笑いはじめた。

「な、なんだよ?なにが可笑しいんだ??」
「だって〜……くすくすくす〜♪」
「???」

  頭の上にはてなマークをいくつも浮かべる俺にヴィシュヌはクスクス笑いながら言っ
た。

「ご主人さま〜?だって昨日〜、徹夜して一生懸命覚えてましたもんね〜♪」
「なっ!?……なんでそんな事知ってるんだ??」
「オーディンさんにちょっと“フリズスキャールヴ”を貸してもらいました〜♪」
「“ちょっと”って……!」

  俺は絶句した。“フリズスキャールヴ”とは、北欧神話の主神・オーディンの座する
玉座の事で、そこから見れば世界で起こるすべての事柄を見渡す事が出来るんだ。俺は
肩をぷるぷると震わせながらヴィシュヌの名を呼んだ。

「ヴィ・シュ・ヌ〜……!!」
「な、なんでしょう〜、ご主人さま〜??」

  俺のその様子にヴィシュヌは額に一筋汗を垂らしながら聞き返す。

「そーいう事を……するなぁっ!」

  俺はそう叫んで、きゃぁきゃぁ言いながら逃げ回るヴィシュヌを追い掛け回した。ま
ったく、なんつー事を考え付くんだ…??危険すぎるぜ…。

  追いかけっこの末、ヴィシュヌを捕まえた俺はこれからは絶対に“フリズスキャール
ヴ”には座るなと言い渡した。俺の言葉にヴィシュヌはしぶしぶながら頷いていた。
  
  ……まったく。こんな事を続けられたら、そのうち喚び出していない時のナンパまで
文句を言い出すに違いない。

  俺は「フゥッ」と溜息を吐くと、とりあえず先に進む事にした。

「…んじゃぁ、次行くぞっ!」
「はい〜、ご主人さま〜♪」

  俺達はドでかい門の横にあった通用門を駆け抜けた。




  屋敷に入ると後から後から出るわ出るわ。ディープの私兵はまるでザコキャラのオン
パレードだった。

(どーせ金をケチって雇ったんだろうなぁ…。)

ゴオオオオオオオッ!!

  俺は何回目かの私兵の集団を風の精霊シルフの放つ突風で吹っ飛ばしながら考えてい
た。私兵達は次々に壁に激突して敢え無く気を失った。いかな召喚神達の力が圧倒的だ
とは言え、ここに来てからはそれほど強力な召喚神は喚び出していないわけだし…。あ
まりの私兵達の弱さに、一緒に走るヴィシュヌの出番は殆どなかった。

「ご主人さま〜、たぁいくつですぅ〜!」
「ま、まぁそう言うなってヴィシュヌ。ボスキャラの周りには多分もう少し歯ごたえ
のある奴等がいるんじゃないかな?」

  走りながら言うヴィシュヌに、これまた走りながら答える俺。

「ところで〜、ディープさんの部屋はどこでしょう〜?」

  首を傾げて当然の疑問を口にするヴィシュヌに向かって俺は呑気な口調で答えた。

「あぁ、それなら…ホレ、あそこだよ。」

  正面には成金趣味な装飾を施してある両開きのバカでかい門が見えてきていた。

「あのな、ヴィシュヌ。あ〜いう成金小悪党の考える事はみんな一緒で…」

  俺の言葉にふんふんと頷くヴィシュヌ。

「“屋敷の入り口から自分の玉座までは一直線”って決まってんのさ。」

  そう言うと俺はサラマンダーを喚び出して悪趣味な門を吹っ飛ばした。

ドガァァァァッ!!

  サラマンダーの口から吐き出された火炎の奔流は扉を一瞬にして吹き飛ばし、奥に広
がる大広間を俺達の目に晒した。

  壁沿いに立てられた無数の明りが大広間を明るく照らし出していた。跡形も無くなっ
た扉から正面の壁まで続く金で縁取りされた赤紫色の絨毯。広間自体の広さは…ちょっ
とした武道場ぐらいだろうか?正面壁際の一段高くなっている部分の周りにはこれまた
金縁で赤紫色の分厚いカーテン。そして、そこに置かれた装飾キラキラの悪趣味極まり
ない椅子に右手に紫煙を上げる極太の葉巻を握り締めて、一人の男が苦々しい顔で腰掛
けていた。

  今回の事件の黒幕。

  ディープ=ストレイだった。




2.

「ほら、なっ♪」

  予想通り館に入ってから一直線に進んできただけでなんなくディープを発見できた。
俺はヴィシュヌに“パチッ♪”と片目を閉じて見せる。ヴィシュヌはそんな俺にニッコ
リと笑いかけた。

  俺達は扉の残骸を踏みしめて大広間の中に入っていった。

「こんにちは、ディープさん♪ ご機嫌いかがです?」

  俺はそう言うと芝居かかった仕種で右手を左胸に当てて一礼した。ヴィシュヌもその
脇でスカートの裾を持ち上げて会釈していたりする(笑)

「フン!…キサマ等、こんなことをしてタダで済むとでも思っているのか、えぇ
っ!?」

  ディープはそう言うと肘掛けにダンッと拳を叩き付けた。

「貴方こそ、シーヴにあんなことをしてタダで済むと思ってるわけではないでしょう
ね?」

  俺はわざと丁寧な口調と微笑みを絶やさずにディープに言い放った。俺のあからさま
な挑発を受けて、ディープはますます憤った。顔を真っ赤にして怒りながら葉巻を口へ
と持っていった。そして、千切れてしまうのではないかというくらい力を込めて葉巻を
握り締めて、せわしなく煙を吐き出した。

「あんな事!?一体何の事だっ!?大体、ワシがやったという証拠でもあるのか
っ!?」
「さぁ?確かに証拠はありませんが、そんなものは必要がないでしょう?証拠があろ
うがなかろうが、事実は一つしかないんです。そしてその“事実”とは、『犯人はディ
ープ=ストレイである』という事なんですよ♪」

  “証拠”という痛いところを衝かれながらも、俺は平静を装ってディープをムリヤリ
犯人だと決め付けた。

  “証拠がない”と聞いて、ディープはニヤァリといやらしく笑った。そして、おもむ
ろに指をパキッと鳴らした。

「証拠が無いのであれば、お前等はただの不法侵入者に過ぎんっ!よって、キサマ等
にはここで死んでもらうだけの事だっ!!そのあと、ゆっくりとあの小生意気なメール
とシーヴの相手をしてやるっ!!」

  ディープの合図とともに、横のカーテンの裏から一人の男がスッと現れる。

「殺れっ!!!」

  
  ゆったりとした藍色のマントに身を包み、同じ色のターバンを頭に巻いたその男は、
左手に鞭を構えて進み出た。厚く巻いたターバンの影が顔に落ちていたため、どんな顔
をしているのかはわからなかったが、見るからに暗そうなヤツだった。しかし、彼の後
に続いてカーテンの影から登場したのは驚くべき“存在”だった。

「…キメラ!?」

  獅子・山羊・竜の三つの頭をもち、しっぽは蛇。背中から蝙蝠の様な巨大な羽を生や
している。その三つの口から強力無比な炎のブレスを放つ魔獣。…どうやら彼は俺と同
じようなタイプのようだ。“魔獣使い”。

「ディープ様に逆らうとは、愚かな奴等よ……。俺のキメラ、“ジェシー”の放つ地
獄の火炎に焼かれるがよい。」

  藍色のマントの魔獣使いは歪んだ笑みを浮かべた。そのセリフでまず俺達に恐怖を与
えるつもりだったようだが……。

  俺はその瞬間、思いっきり吹き出した。

「ぶ、ぶわはははははははっ!お、お前自分のキメラに名前なんかつけてるのかっ!?
クククククッ!し、しかも……ジェ、“ジェシー”だって!」
「くすくすくすくす〜♪」

  ヴィシュヌも大爆笑する俺の隣でお腹を押さえて蹲っている。いくらキメラは雌ばか
りだとは言え……“ジェシー”とは良くつけたもんだ。笑い転げる俺達の姿に、その男
の顔が見る見る紅くなっていった。

「ふ……ふざけるなぁっ!“ジェシー”のどこが悪いっていうんだっ!?」
「ははははははっ!だって…なぁ、ヴィシュヌ?」
「くすくすくす〜♪」

  男はさらに笑い続ける俺達を見て、まるでゆでダコのように真っ赤になった。

「お、お前等…殺す!!」

  男は左手に持った鞭を大きくしならせて打ち鳴らしながら叫んだ。

「FIRE、ジェシーっ!!」

パチッ!

  魔獣使いの命令を受けて、咆哮とともにキメラはその蝙蝠のような羽をはばたかせて
舞い上がる。その三つの頭には怒りの形相が浮かんでいるようにみえる。俺達が自分の
名前を笑いまくったのが分かったのだろうか?……それはともかくキメラの巨体は宙に
舞い、口から轟音とともに炎のブレスが吹き出された。

  その様子を下卑た笑いを浮かべて葉巻を燻らせながら見つめるディープ。すでに勝利
を確信でもしているのだろう。まぁ確かに常人なら避ける事も出来ずに焼き殺されてし
まうだろうが…。

  俺は笑うのを止めて、迫りくる炎のブレスを見つめた。しかし、ブレスに顔を真っ赤
に照らされながらも俺はまったく避けようとはしなかった。なぜなら……。

「耐火結界です〜♪」

ボワァアアアアアアアアアッ!!!

  ヴィシュヌが展開したドーム状の耐火結界は、キメラのブレスを受け止めてオレンジ
色に光り輝いた。俺の顔からほんの30cm前でキメラの燃え盛る炎のブレスは止められ
ていた。

「クッ!?」

  炎のブレスが効かなかったのを見た魔獣使いは鞭を打ち鳴らして一旦キメラを下がら
せた。そして、今度は獅子・竜・山羊・蛇の四つの頭による格闘戦を挑ませるために鞭
を鳴らす。

「GO、ジェシーっ!!」

  キメラの巨体がその体に似合わぬスピードで広間を疾駆する。しかし俺はヴィシュヌ
の結界から外に進み出て、呟きながら“スターファイア”を構えた。

「“魔獣”を使えるのはお前だけじゃないんだぜ?…召喚!ケルベロスっ!!」

  プロジェクターから紫色の光とともに飛び出したのは、冥王ハーデスの収める地獄の
番犬――三つの頭を持ち、しっぽが蛇の巨大な猛犬――ケルベロスだった。キメラとケ
ルベロスは似たような魔獣だが、その体の大きさに違いがあった。キメラはちょうどラ
イオンをちょっと大きくした程度。ケルベロスの巨躯は由にキメラの2倍はあったのだ。 
自分より強そうな魔獣の出現に、キメラの突進が止まる。キメラはその四つの頭に一
様に困惑と恐怖が入り交じった表情を浮かべながら、これまた驚愕の表情を浮かべる魔
獣使いと正面のケルベロスを交互に見ていた。

  ケルベロスは三つの頭の内の一つを悠然とこちらに向けて不思議な響きを伴う声でし
ゃべりだした。

『ハジメマシテ、ゴシュジンサマ。ワタシハ、マジュウ・ケルベロス。イゴヨロシク
……。』
「お、おう、よろしく♪」

  俺は馬鹿丁寧なケルベロスの言葉に思わず苦笑した。“地獄の番犬”と言うからもっ
と獰猛で恐ろしいヤツなんだと思ってたんだけど…。

『ナニカ、ゴヨウデショウカ?』
「ああ。お前の出来の悪いレプリカみたいなあの魔獣をぶち倒してきな。」
『……ギョイ。』

  ケルベロスは短く答えてキメラの方に振り返った。その六つの真紅の目をギラギラと
光らせてキメラを睨み付ける。

「ゴシュジンサマノメイレイニヨリ、キサマノイノチヲモライウケル。……シネ。」

  ケルベロスの巨躯がキメラに向かって跳躍する。それを見た魔獣使いは鞭を打ち鳴ら
してキメラに命じる。

「FIRE、ジェシー!!」

  またも竜・獅子・山羊の三つの首から炎のブレスが空中のケルベロスに向かって迸る。
しかしケルベロスは炎のブレスを全身に浴びながらもスピードを落とすことなくキメラ
に襲い掛かった。

『ツネニホノオノモエサカル“ジゴク”ノバンケンタルコノワレニ、ホノオガキクト
デモオモウタカ!ガァァァァァオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』

  広間中に響き渡る血も凍るような咆哮とともに、ケルベロスの三つの顎は正確にキメ
ラの三つの喉笛を噛み千切った。

ブシュゥっ!

  主人の魔獣使いが呆然と見守る中、首の無い“ジェシー”の体がゆっくりと崩れ落ち
た。

「……ジェ、ジェシィィィィイィイイイイイイイイイッ!!!!!」

  愛魔獣(?)の死に絶叫を上げて泣き崩れる魔獣使いの後ろでは、ディープが顔面蒼
白になりながら玉座の肘掛けを握り締めていた。しかし、その驚きと恐怖の入り交じっ
た表情は次第に怒りの形相へと変化していった。

「えええええぇぃっ!!この役立たずめがぁっ!!!」
「ジェシイイイイィィィィ……ジェシイイイイイイイィィィ……おぐぅっ!?」

ドカァッ!

  叫びながら玉座から立ち上がったディープは、うずくまって泣きじゃくる魔獣使いの
腹に力一杯ケリを入れた。そして俺達の方へまるで炎が吹き出すかのような激しい視線
を向けて激昂した。

「キサマ等!!これで終わりだと思うなよっ!!!ワシの身辺警護はこの役立たずだ
けじゃないんだっ!!……おいっ!」

  ディープの呼び掛けに応じて、今度は左手のカーテンの陰から新たな人影が姿を現し
た。





3.

  (むむむむむむっ!こ、こいつぁ……!!!)
  
  俺はカーテンの影から現れた人影を見て、さっきキメラと魔獣使いが現れた時の10
0倍(当社比(笑))は驚いた。

「なんや、なっさけないなぁ…。アンタ、もうお払い箱やで?」

  ディープに蹴られた腹を押さえて呻き声を上げてうずくまる魔獣使いを一瞥して「フ
ン」とせせら笑ったその人物。……目を見張るほどの“ないすばでぃ”に水着と見まご
うほどに露出度が高く、肌にぴったりとついた黒い上着と、ひざ上30cmはありそうな
超ミニのスカート(ご丁寧にスリットまで入っている)を身につけている。その上から
やはり黒いマントを羽織っている事と、頭にちょこんと乗せた小さなとんがり帽子から、
恐らく魔術師かなにかであろう事が辛うじて分かる。ちょっと釣り上がった大きな鳶色
の瞳に、同じくの鳶色の腰までありそうな長い髪。

  超・美人だ!!

バビュンッ!

「よろしゅうな。ウチは……。」

  その美人魔術師が不敵に微笑んで自己紹介をしかけた時には、俺はすでに超高速移動
を完了して彼女の隣に立っていた。そのあまりのスピードに絶句する彼女。ディープな
どはあんぐりと開いたままの口から紫色の葉巻の煙を立ち上らせていたりする。

「お嬢さん、とっても可愛いですねっ♪お名前を聞いてもいいですかっ??」
「あ、あぁ…ウチはレイン。レイン=ステーシアっちゅうんや。」

  あっけにとられて思わず答えてしまうレイン。

(よしゃっ!まずは第一段階成功だぜっ♪)

  名前を聞き出した俺はさらに神速でレインの肩に手を回した。

「レインさんですかっ♪名前まで可愛いんですねっ♪」
「あぁ、おおきに…。」

  さらに思わず礼まで言ってしまう。敵として登場したはずなのになぜかナンパされて
いる、という事態がいまいち飲み込めていないからなのか、妙に素直だったりする。そ
の証拠に、肩にまわされた手を振り解こうとすらしなかった。
  
  俺はレインの様子に「脈ありっ♪」と感じ、さらなる攻勢をかける事にした。

「俺はクレイン=スターシーカーと申しますっ♪ところでレインさん、今度食事でも
いかがです?俺、まだこの街に来たばかりなので美味しい店とか良く分からないんで、
教えてもらいたいんですよ♪」
「え?あ、あぁ…。そうやなぁ、この街だと……って、な、なんや?アンタ??」
「………え?」

  いきなり言葉に詰まったレインが見ている方を、つられて俺も見た。

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…!

  そこには、体から紅いオーラを立ち上らせて肩をぷるぷると震えさせているヴィシュ
ヌが立っていた。

「ご・しゅ・じ・ん・さ・ま〜……!!!!」
「はぁああああああああああっ!?ヴィ、ヴィシュヌ、ちょっと待て!落ち着け、落
ち着くんだっ!?」
「な、なになに?なんやのん??」

  未だに状況がよく飲み込めていないレインだったが、ヴィシュヌのあまりの迫力に気
おされて顔に縦線を入れて後ずさる。俺も額から大きな汗の粒を垂らして一緒になって
後ずさった。

「ヴィシュヌ!わ、分かった、俺が悪かった!だから、止めてくれ!な、頼むっ!!」
俺の必死の制止にも関わらず、ヴィシュヌの額が淡い光を帯び始めた。
「違う!違うんだっ!?待ってくれヴィシュヌ!?」

  ヴィシュヌの額の光を見て焦りまくった俺は、何が違うのか良く分からないが必死で
「違う」を繰り返した。しかしヴィシュヌは紅いオーラをさらに大きく立ち上らせて言
った。

「それじゃぁご主人さま〜、その手はなんですか〜…!!」

(え?……はぅあっ!?し、しまったぁっ!)

  俺は慌ててレインの肩にまわしていた手を引っ込めた。レインも大急ぎで俺と少し距
離を置いた。

「ちょ、ちょっと待ちなってアンタ!別にウチはなんもしとらんわけやし…!」
「そうだぞ、ヴィシュヌ!とにかくとりあえず落ち着けって、な?」

  さらに迫力を増したヴィシュヌに向かって今更のフォローを入れるレイン。その後に
乗ってヴィシュヌをなんとか落ち着かせようとする俺。
が、時既に遅し。

「ご主人さまの〜……ばかぁ〜!!!!!!!」
「うわあああああああっ!?」
「ひゃぁぁあああああっ!?なんでウチまでぇっ!?」

ゴワアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!

  ヴィシュヌの額から発せられた光は逃げようとする俺とレインをいとも簡単に吹っ飛
ばし、思いっきり壁に叩き付けた。

ドカァッ!
「ぐぅっ!」
「きゃぁっ!……きゅぅ。」

  壁に叩き付けられてレインはあっさり気を失った。やはり、“魔術師は耐久力に難が
ある”というのは本当らしい(ただ単に女の子だからという説もあるが)。俺はという
と、気を失うまではいかなかったが背中を強く壁に打ち付けたので、半分呼吸困難の様
になっていた。

  あまりの痛みに俺はしばらくうずくまっていたが、なんとか背中をさすりながら立ち
上がった。

「ひ……ヒドいぞヴィシュヌ……。」
「つ〜ん、です〜!!」

  俺のうめくような非難の声に、ほっぺたを膨らませて「ぷいっ」と横を向くヴィシュ
ヌ。…まったく、俺がなにをしたっていうんだ、いったい?(ナンパだって(笑))俺は
横を向いたままのヴィシュヌに詰め寄った。

「大体お前はなぁっ!」
「なぁんですか〜!」

………!!
……………!!!

  俺達がぎゃーぎゃーと言い合いをしている横で、ディープは惚けたような表情で立ち
尽くしながらその様子を見つめていた。さっきよりも大きく、まるで虫が飛び込みそう
なほど口を開けはなって、その中から紫煙を「だー」と立ち上らせている。
しばらくしてハッと我に帰ったディープは数回葉巻を忙しなく吹かした後でものすご
い剣幕で叫んだ。

「キッサマ等ぁっ!!いいかげんにしろぉっ!!!」

ピタ。

  その声に反応して一旦黙った俺達は、2人そろって“ギギギギギィッ”とディープの方
へと顔を向けた。

「そういえば、お前がすべての元凶なんだったよな?」
「そうです〜!元はといえば〜、あなたがすべて悪いんです〜!!」

  こうなってくると、もう殆ど言いがかりとしか思えない(笑) 俺達は“ギラァリ”と怪
しく光る視線をディープの方に向けた。

「な、なんだなんだっ!?キサマ等がここに侵入してきたのだろうっ!?」
「そんな事は関係ない。(きっぱり)」
「です〜。」

  俺達はディープの正論を一言で完全否定した。ゆらぁり…と詰め寄る俺とヴィシュヌ
にディープは冷や汗を滴らして後ずさりながら、後ろに向かって叫んだ。

「お、おいっ!おいーっ!!」

  ディープの必死の呼びかけに呼応して、玉座の奥の鉄の扉が軋んだ音を立てながら開

き始めた。

“第三の用心棒“が姿を現そうとしていた。





4.

「おいおい、まだ出て来るのか?何人用心棒を呼んでもこの“電脳召喚師”たるクレイ
ン=スターシーカーには勝てないぜ??」
「……二人目はなにもしてないのでは〜?」

  俺は三度警護の者を呼び出したディープに向かってニヤリと笑いながら言った(ヴィ
シュヌのセリフは当然黙殺した(笑))。

「だ、黙れっ!何が“電脳召喚師”だっ!!ウチのレインをナンパしよって!この“電
脳ナンパ師”がっ!!」
「なっ!?だ、誰が“電脳ナンパ師”だっ!!!」
「ぷぷ〜♪」

  ディープのその言葉に過剰に反応する俺。折角気に入ってた“電脳召喚師”っていう
フレーズも、そんな風に変えられちゃぁ台無しだ。しかも、俺の横ではヴィシュヌが吹
き出していたりする。

「わ、笑うなヴィシュヌっ」

  俺はくすくす笑うヴィシュヌの頭を軽く小突いた。

「きゃっ?いたぁです〜、ご主人さま〜」

  ヴィシュヌは不服そうな視線をこちらに向けたが、俺は構わずディープの方へ向き直
った。

「それで?今度はどんなヤツが出て来るんだい?」

  しかし、俺の質問に答えたのは葉巻を吹かしながらこちらを睨み付けているディープ
=ストレイではなかった。

「それはな、俺だよ。強気なニーチャン?」

  いつのまにか開ききっていたディープの背後の鉄の扉から出てきたのは、身長170
cmくらいの金髪碧眼の男だった。良く日に焼けた上半身は裸。下半身は動きやすそうな
ズボン。濃い目の金色の髪を長く伸ばし、後ろで三つ編みにしている。左肩から斜めに
ベルトを引っかけて、背中に剣をしょっている。典型的な闘士タイプだった。

「ふははははははっ!そう、最後は今年度ベストラ武術大会優勝のコイツ、カイン=
ハーディスだっ!キサマ等など、カインにかかれば赤子も同然!」
「ふ〜ん…“最後”、なんだぁ?」

  俺はディープのセリフで気になる部分をさりげなくツッコんだ。

「ぎぎくぅっ!……まぁその……なんだ。と、とにかく行けっ!カインっ!!」

  ディープが俺のツッコミに汗をダラダラかいているところを見ると、どうやら本当に
コイツが最後らしい(小悪党はウソも上手につけないのか?(笑))。闘士――カインは、
そんな雇い主の様子に「フゥ。」と溜息を吐いて言った。

「へぃへぃ、わかりましたよディープさん。…というわけでニーチャン、悪いけど死
んでもらうわ。」

  カインはまるで「あんたを殺すのなんて造作も無い事だ」というように俺に死を宣告
した。どうやら相当腕に自信があるらしい。

「そこのお嬢チャンにさよならしといた方がいいぜ?ニーチャンはこれから一瞬にし
て俺に切り捨てられるんだからな。所詮、剣の素人が武術大会優勝者の俺に敵うわけも
ないのさ。」

  しかし、俺は両手を上に向けて肩を竦めて言った。

「ふ〜ん?でもまぁ、それはやってみなけりゃわからないってヤツさ。」
「そうですよ〜♪お別れなんて必要ありませんよね〜、ご主人さま〜♪」

  ヴィシュヌはニッコリ俺に笑いかけて、それからカインに向かって“ペッ♪”と舌を
出して見せた。

「そうか…じゃぁ……死ねよっ!」

ヴュンッ!!!!!!

『なっ!?』

  一瞬前までは、カインはディープの玉座の横に立っていた。俺達とカインの間は裕に
10m以上はあったはずだった。それが、すでに俺とヴィシュヌの目の前で背中から抜
き放った剣を上段に構えて、今にも振り下ろそうとしている。カインの金髪三つ編みが
頭の上で踊っていた。驚異的なスピードだった。

「サヨナラ、ニーチャン!!」

ブゥオンッ!

  俺は、為すすべも無く目の前に迫るカインのブロードソードを見つめるしかなかった。

(こりゃぁ、死んだかな……。)

  走馬灯が回る暇も無い一瞬の死。俺はなんとなく苦笑いを浮べた。自分が明らかに調
子に乗りすぎていた事に気付いたからだ。ちょっとカインを――いや、“戦い”という
ものを甘くみすぎてたな。いくら“スターファイア”があったところで、所詮は俺は素
人なのに。

(まぁ、しょーがないか……。)

  諦めの気持ちが俺の胸中を支配した。

  しかし。

ガッキィィィィイイイン!!

「なっ!?」
「ヴィ、ヴィシュヌっ!?」
「ご主人さま〜、大丈夫ですか〜?」

  俺の前に立ちはだかったヴィシュヌが、その四本の手に出現させたチャクラムでカイ
ンのブロードソードを受け止めていた。それまで「トロい女の子」だとばかり思ってい
たが、こと戦闘ともなるとさすがは神。スピードではカインに後れを取ってはいなかっ
た。

  必殺の一撃を受けとめられたカインはすばやくヴィシュヌと間合いを取った。

「やるねぇ、お嬢チャン!俺の“神足斬”を受け止めたヤツは武術大会にもいなかっ
たってのに…!」

  感嘆の響きを伴う声で言うカイン。ヴィシュヌはニッコリ笑いながらも油断なく4つ
のチャクラムを構えている。

「どうしいたしまして〜♪これでも私〜、一応“神様”なので〜♪」
「はぁ?……まぁいいや。俺にとっては、久々に闘りがいのある相手が現れたって事
…さっ!」

  “神様”という言葉に一瞬頭の上にはてなマークを浮べたカインだったが、すぐに我
に返るとまたも一瞬で間合いを詰めてヴィシュヌへと切りかかった。袈裟懸けに切り下
ろされるカインのブロードソードをヴィシュヌは左手2本で下方向へと受け流し、その
まま右手のチャクラムをカインの顔面と腹に同時に叩き込んだ。

「はぁ〜!」
「くぅっ!?」

  辛うじて飛びすさってヴィシュヌのチャクラムを避けるカイン。スピードが同格なら、
どう考えても腕が四本ある方が有利だ。また、カインの太刀筋は零距離まで一気に詰め
て切るというものなので、ヴィシュヌのチャクラムの方が間合いが短いというハンデは
ほぼ帳消しになっていた。

「えぃ〜!」
  
  今度はヴィシュヌが仕掛けた。2本のチャクラムを同時に左右から旋回させて投げる。
その直後、これまた目を見張るようなスピードでカインに切りかかった。

「甘いっ!」

  カインは右から迫るチャクラムを叩き落として移動しながらヴィシュヌの斬撃を避け
る。ヴィシュヌの左側に回り込んだカインは、そのまま胴薙ぎの一撃を放った。

「きゃぁ〜!」

  ヴィシュヌは緊張感の無い悲鳴を上げながら、空中にフワリと浮びあがってその一撃
を躱した。

「お嬢チャン……空も飛べるんか!?」
「ええ〜、もちろんです〜♪」

  ふわふわ浮びながらニコニコと答えるヴィシュヌ。

「ははっ、すげぇ!すげぇぞお嬢チャン!!俺はこーいう相手と戦いたかったんだ!」

  強敵と戦えるという喜びを顔中に現して笑いながら、ヴィシュヌに向かって疾駆する
カイン。ヴィシュヌはカインに向かって残りのチャクラムを投げつけたが、カインはこ
とごとくそれを剣で叩き落とした。

「はぁぁああああああああっ!」

  そして、ジャンプ一番。空中のヴィシュヌに向かって切りかかった。

「もらったぁっ!」

  新しいチャクラムを出現させる暇も、避ける暇さえ与えずにカインはヴィシュヌに肉
薄する。空中に逃げたのはかなり失敗だったようだ。どうやら空中ではヴィシュヌはそ
れほど速く移動できないらしい。

  振りかぶられたカインの剣が、無防備なヴィシュヌに向かって振り下ろされようとし
ていた。





5.

ピシャァッ!バリバリバリバリッ!!!

「うぎゃぁあああああああああああああっ!」

  予想されたのは、振り下ろされる剣で体を真っ二つに切り裂く音と絹を引き裂く様な
ヴィシュヌの悲鳴。だが、その代りに聞こえたのは凄まじい雷撃が落ちる音とそれが空
中へと激しく放電する音、そして見る間に黒焦げになっていくカインの断末魔の悲鳴だ
った。

「おいおい、俺を忘れてもらっちゃぁ困るんだけどな?」
「ご、ご主人さま〜♪♪♪」

  俺はカインとヴィシュヌを見上げながら“チッチッチ♪“と指を振った。ヴィシュヌ
との闘いに夢中になって完全に俺の事を失念していたカインは、俺がゼウスを喚び出し
た事にも、彼が“天雷”を放った事にも気付かなかった。まったく、これだから“戦闘
オタク”の闘士ってやつぁ(笑)

  そのオタク君、カインは完全にまっ黒焦げになって“ドウッ!”と地面に落ちる。そ
して、間一髪の所を助けられたヴィシュヌは空中から俺に抱き着いてきた。

だぁきっ!

「ご主人さまぁ、ありがと〜ございますぅ〜♪♪♪♪♪」
「ちょ、ちょっとヴィシュヌっ!?」

  俺は、首に4本の腕を“ギュッ”と巻き付けたままゴロゴロしてくるヴィシュヌを慌
てて引き離した。一瞬不服そうな顔をしたヴィシュヌだったが、すぐに我に帰って自分
がなにをしていたのかに気づくと、顔が一気に紅くなっていった。

「あ、あ、あのあのぉ〜ご、ごめんなさいぃ〜!」

  湯気が立ちそうなほど顔を真っ赤に染めたまま、なんだか良く分からないけど謝るヴ
ィシュヌ。その可愛らしい様子に俺は思わず吹き出した。

「ぷっ♪あはははははははははっ!それにしてもよくやったな、ヴィシュヌっ!」
「え〜?……へへへ〜ですぅ♪でも〜、ご主人さまの方が凄いです〜♪」

  そう言いながらヴィシュヌの頭を撫でると、ヴィシュヌは首を竦めたまままるで猫の
ような微笑みを浮かべた。




 スススス…。

  そうやって俺達が会心の勝利の喜びに浸っている時。ディープは抜き足差し足でカイ
ンが出てきた鉄の扉の方に向かっていた。必死の形相で玉座を回り込み、数メートル先
の扉へ向かってゆっくりと歩いていく。

(後もう少し…後もう少し気づくなよっ。クッ!アヤツ等……覚えていろよっ!必ず
復讐してやるぞっ!!必ずだっ!!!)

  ディープが扉に向かっている間にどんな事を考えていたかはもちろん分からないが、
どうせ三流悪役のヤツの事だからこんなもんだろう。しかし、当然そのどちらも現実の
物とはならなかった。

「はい、そこまでっ♪」
「です〜♪」
「ふぅ……へ?……わひぃぃいいいいいいいいっ!?」

  ディープが扉の前に辿り着いて安堵の溜息を漏らしかけたその瞬間。なぜか、半開き
のままだった鉄の扉の中から登場する俺とヴィシュヌ。あまりにも予想外のその事態に
一瞬固まったディープだったが、状況を理解した途端に後ろにひっくり返って腰を抜か
し、腕をぶんぶん振りながら後すさった。

「ななななななななぜなぜなぜなぜキサマがここにぃぃいいいいいいっ!?」

  もう気づいているとは思うが、扉に向かうディープに気づいた俺とヴィシュヌは、シ
ヴァを喚び出して空間を渡り、開きかけた扉の影に出現していたのだった。
「まぁ、そんな事はどうでもいいじゃないですか♪……ところで、ディープ。覚悟は
……できてんだろーな?ぁあ!!??」

  俺は、初めはニッコリと優しげな微笑みを浮かべながら、そしてだんだんと凄みを効
かせながら言い放った。(もしかしたら最初から目だけは恐かったかもしれないが(笑))。

「ひっひっ…ひぃっ。」

  もはや、大声で叫ぶ事すら出来ないほどにビビリまくったディープは、途切れ途切れ
の悲鳴を上げた。

(さっきまでは余裕たっぷりだったくせに…やっぱり三流だなぁ…。)

  俺は内面のその呆れ顔は表に出さずに、情けなく床に尻餅をついているディープを強
烈に冷たい視線で見据えて言った。

「おい…今から俺の言う質問に答えろ。お前がシーヴに刺客を差し向けた黒幕だな?」
「は、はぃ?」

  肯定とも否定とも取れない返事をするディープ。

「シーヴにアサシンをけしかけたのはお前だなって聞いてるんだよっ!」

  俺は声を荒げてさらに詰問した。ディープの私兵はけちょんけちょんに吹っ飛ばして
きたし、ご自慢の用心棒ズは彼の目の前で完膚なきまでに叩きのめした。これだけビビ
っていれば必ず白状するに違いない。

  ……しかしディープから返ってきた答えは、そう高を括っていた俺の予想を完全に覆
すものだった。

「ち…違う、違うぞっ!?」
「あ?……この期におよんでまだ白を切る気なのか?まったく呆れた野郎だぜ…。」
「素直に白状してください〜、ディープさん〜♪でないと〜…ご主人さまがこわぁい
魔物を召喚しちゃいますよ〜♪」

  呆れ顔で溜息を吐く俺の横でヴィシュヌが微笑みながらめちゃくちゃな脅しを入れる。
しかしそれでもディープの答えは変わらなかった。

「本当だっ!信じてくれっ!!確かにゴロツキどもを金で雇って嫌がらせをさせたり
したが、それはシーヴが遺言状を…!」
『遺言状(〜)?』

  俺とヴィシュヌは予想外のその単語の出現に同時に聞き返した。
「そ、そうだっ!いくら昔から世話になったとはいえ、一介の使用人であるメールに
全財産を遺すと言い出しおるとは!」

  その強烈な事実に俺は目を見張った。そして、その瞬間に俺の頭の中でメールさんの
行動と言動が高速で再生された。


  “遺言状”という単語が出た途端に物凄い剣幕でディープを追い返した事。

『帰ってくださいっ!坊ちゃんは……!!』

  俺がその事を何気なく聞いた時にいきなり冷たい態度になったこと。

『それはあなた方には関係が無い事です。当家の問題ですから…。』

  なにより、アサシン達がシーヴとメールさんに大量のナイフの雨を降らせた時の彼の
セリフ。

『うわあああああっ!!な、なんで私までっ!?』


  どれもそのまま聞けば聞き流してしまいそうなセリフばかりだが、事実を知ってしま
った今思い出してみると、明らかにおかしかった。

  俺はヴィシュヌの方に振り返って静かに言った。

「ヴィシュヌ……行くぞ。」
「え〜?どこへです〜??」

  ヴィシュヌはのほほ〜んと答えた。どうやらまるっきり分かっていないらしい(笑) し
かし俺は説明するのに多大な時間がかかるのは間違い無い彼女への答えはとりあえず置
いといて、スーツの上着を跳ね上げて“スターファイア“を抜き放った。

「召喚!ケルベロスっ!!」

  先ほど送還したばかりのケルベロスが紫色の光と伴に再度召喚される。

『オヨビデショウカ、ゴシュジンサマ?』
「しばらくコイツを見張っていてくれ!」
『ギョイ。』
「そっそっ、そそそそそんなっ!ひ、ひぃぃいいいいいいっ!!」

  そう命令するとケルベロスはその三つの頭を深々と垂れた後、三つの巨大な口を裂け
るほどに歪めて冷笑いながらディープを睨み付けた。

「よし、行くぞヴィシュヌっ!」
「ちょ、ちょっとご主人さま〜!ですから〜、どこへなんですかぁ〜?!」

  俺は再度そう行って走り出した。慌てて後を追うヴィシュヌ。

「ちょっと待ってくれぇぇぇぇえええええええっ!!!!」

  ディープの上げる断末魔(?)の絶叫を置き去りにして、俺達はさっき壊した大広間
の出口を駆け抜けた。




「だから〜、メールさんが犯人だったんだよ!ヤツのあの時のセリフとディープの話
から……わかるだろっ!?」
「う〜ん〜……????」

  俺達は淡い月明かりに煌々と照らされた道をシーヴの屋敷に向かって走っていた。道
すがら、何度もヴィシュヌに状況を説明したが全然分かってもらえないらしい。とうと
う俺は苦笑いしながら言った。

「分かった、もういいよっ。とにかく急ぐぞ、ヴィシュヌっ!」
「は、はい〜!」

  さらに速度を上げて夜道をひた走る俺と、首を捻りながら後に続くヴィシュヌ。
…シヴァを喚べばよかったんだと気づいたのはそれから三日後のことだった。




第五章 ― 真実 ―

1.

コツコツコツコツ……コツ。

  俺達が淡い月明かりの中を必死でシーヴの家に向かって走っていた頃。シーヴの部屋
の樫の木で出来た重厚なドアの前で、一つの足音が立ち止まった。

ギィィィィ…ィィィ。

  恐らく数十年以上の歴史をその身に刻んでいるであろうと思われる、古めかしい両開
きの扉が軋んだ音をたてる。……しかし、広大な屋敷の中でその音を聞いたものは、扉
を開いたその者だけであった。

コツコツコツコツ…。

  彼はゆっくりと部屋の一番奥、窓の前に置かれた天蓋付きのベッドへ近づいていった。
彼の身長よりも遥かに大きな窓からは薄淡い黄色の光の帯となって月明かりが差し込み、
眠るシーヴの横顔を照らしている。

…コツ。

  シーヴのベッドの横で立ち止まった彼の横顔を月明かりが照らし出した。その横顔に
浮ぶ冷酷な表情は、彼を昼間とはまったく違った人物の様にに見せていた。
  ……しかし、やはり紛れも無く―――ストレイ家召使頭(バトラー)、メールその人
であった。

  メールはしばらくシーヴを見下ろしていた。何も知らないシーヴは気持ちよさそうに
眠っている。楽しい夢でも見ているのか、その寝顔には微笑みさえ浮んでいた。自分の
身に迫っている危険――もはやすぐに手が届いてしまう所までやってきている“死”の
事など、まったく気付いてはいなかった。

バタン!

  唐突に、大きな物音が響き渡った。“ハッ”としてメールが顔を上げると、いきなり
白い影が視界に飛び込んで来た。慌てて飛びすさって身構えるメール。

サアアアア…。

  しかし、白い影はただのカーテンだった。風で窓が開いて音を立てたに過ぎなかった
のだ。心地よい夜風が部屋の中に吹き込んで来る。シーヴが「う…ん…ムニャムニャ…」
と寝返りを打った。……しかし、どうやら目を覚ます気配はなかった。

「……フゥ。」

  小さな溜息を吐いて、メールはベッドを回り込んで窓辺へと向かった。窓を閉めて鍵
をかける。流れ込む夜風と伴に楽しそうに踊っていたカーテンがゆっくりとまた元の場
所へと帰っていった。恐らく、シーヴが窓を半開きのままにでもしていたのだろう。
  
  メールはもう一度、ベッドを回り込んでシーヴの側に立った。そして、懐から……ゆ
っくりとナイフを取り出した。窓から差し込む月明かりを受けて暗緑色に輝くナイフの
刀身。明らかに、先刻アサッシン達が使っていたものだった。真っ白な手袋をはめた右
手に持ったナイフをじっと見詰め、それから眠るシーヴへと視線を移す。毛筋ほどの傷
からでも確実に相手を死へと至らしめる、暗殺の為に造られた非道の武器。それを右手
に握り締めたまま、自分の主を見つめるメール。

「……………。」

  メールには、まるで世界中の音という音が死に絶え、自分の呼吸と心臓の音だけが生
き残ったかのように感じられていた。メールは小さく頭を振ると、ナイフをゆっくりと
頭上へと振り上げた。誰に聞かせるとも無く、メールは呟いていた。

「この手にかけるのは忍びないが……さよならだ、シーヴ。そして、この事はアサシッ
ン達の仕業とされるのさ……。」

  シーヴの命の灯火を消し去る暗緑色の閃光が、まさに閃こうとするその瞬間。

バタン!

  今度は、窓が開いた音では無かった。

「メールっ!!!」

  間一髪、俺達は間に合った。メールはナイフを頭上に振り上げたまま、驚愕の表情を
浮べてこちらへと振り返った。

「やめろっ、メールっ!!」
「えぇっ!?や、やめてください〜、メールさん〜!!」

  口々に制止の言葉を投げかける俺とヴィシュヌ。決定的な瞬間を押さえられたメール
の表情は次第に変化していった。驚愕の表情から…狂気をはらんだ表情へ。そして…突
然、俺達に向かって襲い掛かってきた。

『なっ!?』
「見られたからには……お前達にも死んでもらうっ!!」

  背後から月明かりに照らされて迫り来るメールはまるで黒い影のように見えた。ナイ
フの刀身で暗緑色の光の道を作りだし、死をもたらす黒い死神と化したメールの標的は
……ヴィシュヌ!?

「死ねええええええええええええええっ!!!!」
「ヴィシュヌ、あぶないっ!!!!」
「きゃぁ〜!!」

  俺はとっさにヴィシュヌをかばって、彼女の体を抱えて倒れ込んだ。ヴィシュヌとメ
ールの間に飛び込んだその時、俺はメールのナイフによって肩を浅く切り裂かれた。

「つっ!」
「ご、ご主人さま〜!!」

  慌てて飛びおきたヴィシュヌは猛毒のナイフで傷つけられて倒れ付す俺を抱き起こす。
その大きな目に一杯に涙を浮べて「ご主人さま〜!」と繰り返すヴィシュヌに、俺は力
なく答えた。

「大丈夫、大丈夫だって……。」

  しかしその言葉とは裏腹に、実は全然大丈夫なんかでは無かった。傷は大した事の無
いものだったにもかかわらず、毒の所為かまるで炎で焼かれたかのように熱かった。段々
と、頭までボウッとしてきていた。

「よ、よくも〜、ご主人さまを〜!!!!」

  ナイフを構えたままこちらを向いて荒い息を吐いているメールの方に“キッ”と向き
直るヴィシュヌ。その額に見る見る蒼い光が凝縮していった。

「バ、バカ…!ヴィシュヌ、止めろぉ…!」

  俺は弱々しい声でヴィシュヌを止める。しかし、怒りに我を忘れたヴィシュヌにはま
ったく届いてはいないようだった。メールもただならぬ気配を察知したのか、ヴィシュ
ヌの方を見つめながらゆっくりと後すさった。

「ばかぁ、死んじゃえぇ〜!!!!!!!!」

  そして、俺をひざに抱いたままにヴィシュヌが叫ぶ。彼女の額に凝縮された光が一気
に膨れ上がり、蒼い閃光となってメールに向かって発せられた。

ドキュウウウウウウウウウウウウウウウ…ン!

  ヴィシュヌが放った光術――“チャクラ”はシーヴのベッドの天蓋を跡形も無く吹っ
飛ばし、窓に大きな丸い穴(縁が溶解してしまっていた)を穿って屋敷の外へと飛び去
った。

  しかし……メールは無事だった。“チャクラ”のあまりの威力にへたり込んではいた
が。

  そう。チャクラが発射されるまさにその瞬間。俺は切られてない方の腕を何とか動か
して彼女の肩に手をかけ、わずかに弾道を上に逸らしていたのだ。

「よかった……。そ、それよりヴィシュヌ…?“解毒”してくれないか??」
「え?……あぁ〜!す、すみません〜!今すぐ〜!!」

  俺が苦しそうな声でヴィシュヌに頼むと、ハッと我に帰ったヴィシュヌはすぐに術に
入った。ヴィシュヌの手から発せられる暖かいオレンジ色の光に包まれると、すぐに毒
が体から感じられなくなった。もちろん、傷も一瞬にして癒されていた。

「ふぅ。さ、さんきゅ、ヴィシュヌっ♪」
「い、いえ〜♪」

  俺はヴィシュヌの膝に抱かれていた事に少し顔を紅くしながらも、立ち上がってヴィ
シュヌに礼を言った。月明かりしか無い暗い部屋だったので良く分からなかったが、ヴ
ィシュヌも心なしか顔が紅かった様な気がした。




  それから、俺はへたり込んでいるメールの所に歩いていった。落ちていたナイフを取
り上げてシーツを切り裂いてロープを作ると、彼を後ろ手に縛り上げた。

「…どうして、こんな事をしたんだ?」
「…………………………………。」

  メールは黙ってされるままにしていた。ヴィシュヌの“チャクラ”の威力を見て、抵
抗は無駄だと観念したのかもしれない。又は、“真相”が発覚してしまったが為に、な
にもかもどうでもよくなってしまったのかもしれない。とにかく……これでこの事件も
終わりだろう。

「あ。シーヴ君〜…。」

  俺は、ヴィシュヌの声に振り返った。ヴィシュヌは、天蓋が無くなってしまって四本
の柱だけが辛うじて立っているベッドの方を見ていた。

  その上では、シーヴが半分体を起こしてじぃっとこちらを見詰めていた。





2.
  
「こんな夜中にどうしたんですか、クレインさん?…それにメール、なんでしばられ
てるの??」
「…………。」
  
  真夜中に起こされて眠い目を擦りながらたずねるシーヴ。後ろ手にシーツで手首を縛
られているメールは唇を噛み締めたままなにも答えない。俺とヴィシュヌは顔を見合わ
せた。

(どうしよう…?)
(ど〜しましょ〜?)

  二人の瞳は同じ事を語っていた。メールが犯人だった……この事が、シーヴにかなり
のショックを与えてしまう事は容易に想像出来たからだ。

  …しかし、本当の事を言わなければならなかった。ウソなどつける状況ではないし、
ましてやこの先ずっと誤魔化していく事など到底不可能だった。

「あ、あのな、シーヴ。…落ち着いてよく聞いてくれ。」

  俺は、鉛のように重たく感じる唇をなんとか気力を振り絞って動かし、シーヴに事情
を語った。



…………。



「そ、そんな…ウソでしょう?クレインさんっ!?そんなハズありませんよっ!!」
「いや、残念だけどウソじゃないんだ…犯人は、ここにいるメールさんなんだよ。」

  俺はシーヴの肩に手を置いて再度そう言った。そうやって、この残酷な真実をシーヴ
になんとか分かってもらおうとした。しかし、シーヴはブンブンと頭を振って叫んだ。

「ウソだっ!!そんな事…あるわけないよっ!!!ねぇメール!何とか言ってよ、ウ
ソなんだろうっ!?みんなでボクをからかってるんだよね、そうなんだろうっ!?」
「…………。」

  しかし、シーヴのその悲痛な叫びにもメールは何も答えない。唇を真一文字に固く閉
じたまま、床の一点を見詰めたままだった。
  
  月明かりに照らされたシーヴの部屋に流れる重苦しい沈黙。その非情なる力は、シー
ヴの傷ついた心に俺の話が真実だという事を分からせるには十分すぎた。

「シーヴ…。」
「シーヴ君…。」

  居たたまれなくなった俺とヴィシュヌは同時にシーヴに声をかけた。しかし、シーヴ
は俺達の声がまるで届いていないかのように肩を震わせたまま、血が出るのではないか
というくらい固くシーツを握り締めている自分の手を見つめていた。




  ……やがて、シーヴはのろのろとベッドから降りて立ち上がり、俺とヴィシュヌの前
を素通りしてメールの方に歩いていった。

「どうして?どうしてだよメール??…あんなに、あんなにやさしかったじゃない
か?ボクが体調を崩した時だっていつも看病してくれたし、たまに元気な時はお庭で一
緒に遊んでくれたり…。一緒に食事をしたり、一緒に買い物したり…!なのに、なのに
どうして…!!!」

  ソファに座って俯いたままのメールを見下ろして、シーヴはポロポロと涙をこぼして
いた。おそらくシーヴの心の中にはメールとともに過ごした長い年月の事が浮かんでは
消えていっているのだろう。その言葉は俺とヴィシュヌの心に鈍い痛みを伴う楔となっ
て打ち込まれていった。ヴィシュヌは口を両手で押さえて目に一杯の涙を溜めて二人を
見つめていた。

「どうしてだよぉっ!!!!」

  一際大きな声でシーヴが叫んだ時。メールがその閉ざされていた口をゆっくりと開い
た。

「……どうして、だと?へっ、笑わせるんじゃねぇよ。俺にとってはテメェなんてハ
ナから大事でもなんでも無かったのさ。」

  やっと口を開いたかと思えば、あまりと言えばあまりのそのメールのセリフに、シー
ヴの泣きはらした赤い目が大きく見開かれる。絶句している俺達3人に向かって、メー
ルの胸くそが悪くなるようなセリフが次々と突きつけられていった。

「『あんなにやさしかったじゃないか』、『どうしてだよ』だと?教えてやるよ。俺に
とって大事だったのはテメェじゃなくて金!金さっ!!テメェみたいなひ弱なボンボン
でも金づるになりそうだから付き合ってやってた、それだけの話じゃねぇか?それをな
にを勘違いしたのか俺に財産をすべて遺すなんて言いやがるから、それならどうせ先の
短い命だ。俺が手っ取り早く冥土に送ってやって………な、なんだよ??」

  その時俺は、いつのまにか無意識のうちに目の前のハナクソにも劣る最低野郎に向か
って拳を突きつけていた。あまりの怒りの為に全身の毛が逆立ち、血が逆流して頭がク
ラクラした。炎が吹き出しそうな視線を最低野郎に向けて、俺は静かに言った。

「それ以上吐かしてみろ……!!こいつをお前のその腐りかけた顔面に叩き込んでや
るぞ!!!」

  しかし、俺の迫力が足りなかったのか、はたまた完全に開き直りきって恐いもの無し
状態になってしまったからなのか、メールは床に「ペッ!」と唾を吐いて言い放った。

「けっ!やれるもんならやってみやがれっ!テメェは両手を縛られて無抵抗の人間を
殴れるってのか、あぁっ!?」
「……………!!!!」

  メールのセリフに俺は一瞬躊躇した。確かに縛られたままの者を殴るのはフェアじゃ
ない。しかし、そうは言ってもさっきのヤツのセリフは決して許せる物ではなかった。
でも…と俺が考えていたその時、横からシーヴが飛び出してきてメールのみぞおちに思
いっきりパンチを叩き込んだ。

ボスッ!!

「グゥッ!?」

  体をくの字に折ってうずくまるメール。

「死んぢゃえっ、お前なんてっ!!!!」

  シーヴは両手をグーにして力いっぱいそう叫ぶと、開かれたままのドアをの方に向か
って走り出した。

ダッ!

「あっ!おい待てシーヴっ!!」
「シーヴ君〜、待ってください〜!」

  俺が慌ててかけた声にも、ヴィシュヌのまるで場にそぐわない緊張感の無い制止の声
にも耳を貸さずに、シーヴは部屋の外に走り去った。

「ヴィシュヌ!そこの最低野郎をたのんだぞっ!」
「は、はい〜、ご主人さま〜!」

  俺はそう言ってすぐにシーヴの後を追った。

(シーヴ…早まった事をするんじゃないぞ…!!)

  まさか、とは思ったが最悪の事態が起きる可能性もある。俺は蝋燭の薄ぼんやりした
明りしかない廊下を全速力で駆けていった。。




  この屋敷にまるで不慣れな俺は、シーヴを探すのにやたらと時間がかかってしまった。
ダイニングやリビング、ホールまで探した後、ハッと思い立って屋敷の庭に出てみた。

「………いた。」

  乳白色の月明かりに照らされて神秘的な雰囲気を作り出しているやたらと広い庭のほ
ぼ中央。まるで自身が光を放っているように見える大きな樹の幹に、シーヴは顔を押し
付けてしゃくりあげていた。

「ひっく……ひっく……。」

  俺はゆっくりとシーヴに近づいていくと、肩にそっと手を置いた。

「シーヴ……。」
「く、クレインさん…!」

  振り返ったシーヴの顔は涙でぐしゃぐしゃだった。その顔を見て、俺は思わず両手で
シーヴを抱き寄せた。

「シーヴ…もっと泣いてもいいんだぞ…。今は…。」
「ひっく…ひ、ク、クレ…ひっく…クレインさんっ」

  激しくしゃくりあげるシーヴ。俺はやさしくシーヴの頭を撫でてやった。心からシー
ヴの事を想って。

(両親が亡くなってから、こうやってコイツの事を心から想って頭を撫でてやった人
がいただろうか?)

  唯一シーヴのそばにいて肉親同然だったメールが実際はあんな最低野郎だった以上、
もしかしたらそんな事はなかったかもしれない。そう思うと、胸が締め付けられるよう
だった。

  俺は、シーヴが泣き止むまでずっと、ずっと頭を撫で続けていた。




「シーヴ?落ち着いたか??」
「うん…。ありがとう、クレインさん……。」

  俺は片膝を突いて、ポケットから取り出したハンカチでシーヴのぐしゃぐしゃの顔を
拭いてやった。シーヴはちょっと顔を赤くしながらお礼を言っていた。

「あのな、シーヴ…。」
「な、なに、クレインさん?」

  俺はそのまま真剣な瞳でシーヴを見据えて言った。

「“真実”はいつでも非情なものなんだ。それを受け入れられるか、そうじゃないか
に関わらず、いつも唐突に俺達の所へやってくる。」
「うん……。」

  言いながら俺はMoon Micro社と御堂 京介のことを思い出していた。入社したての俺
のところにやってきた“非情なる真実”。俺は果たしてその“真実”を受け入れる事が
できているのか?もしかしたら、こうやってシーヴに話していながら、実は自分自身に
も言い聞かせていたのかもしれない。

「だから、強くなれ。どんなものでもいい、自分にとって誇れるものを手に入れるん
だ。」
「うん………。」
「なにもなにかで一番になれっていってるわけじゃないぞ?自分の心の支えになるも
の…それを探して、自分の物にするんだ。そうすれば、どんな“真実”がやってこよう
とも、必ずくじけずに生きていける。」

  俺はまっすぐにシーヴの大きな瞳を覗き込んで力強く言った。俺のその言葉に、シー
ヴは少し照れたようにしながら首を傾げて聞き返した。

「あ、あのさ、クレインさんにはあるの?」
「俺か?俺はな……コイツさっ♪」

  そう言うと俺はホルスターから“スターファイア”をゆっくりと抜き放った。ガシュ
ッ!という音とともに銃形態に変化した“スターファイア”は月光を浴びてキラリと輝
いた。

「…プッ!」

  いきなり、シーヴが吹き出した。「アハハハハハッ♪」と声を出して笑うシーヴに向
かって、俺は目を丸くして聞き返した。

「な、なんだよ?なにか可笑しい事を言ったか??」
「だって……アハハハハッ♪……全然参考にならないやっ♪」
「そ、そうかな??」

  まだクスクス笑っているシーヴの様子に俺はポリポリと頭を掻いた。と思ったら、急
に真剣な顔になってシーヴは俺の目を見詰めてきた。

「…でもね、言いたい事はなんとなくわかったよ。……あのね、クレインさん。ボク、
頑張るよ!強くなる!!」

  シーヴは力強く言った。ここに来た時はひ弱な文学少年といった感じだったのに、今
の言葉には断固たる決意が感じられた。今度の事件がショック療法的な役割を果たして、
シーヴを精神的に強くしたのだろうか?それとも、家族同然の者に裏切られたのに、単
なるよそ者の俺に励まされたのが嬉しかったのだろうか?…ともあれ、今のシーヴには
……そう、“生きる力”が感じられた。

「それから、病気にも負けないよ!きっと直してみせる!!」
「そうか!がんばれ、シーヴ!!…さっきメールの野郎をぶん殴った時の気持ちを忘
れるなよっ♪」

  俺はニヤリと笑ってウィンクしながら立ち上がった。

「うん、ホントにありがとう、クレインさんっ!」

  そう言うとシーヴは泣きはらした赤い目ではあったけど、とびっきりの微笑みを浮か
べた。この微笑みがあれば、きっとこの子は力強く生きていける。そう確信が持てる微
笑みだった。





3.

  チュン…チュンチュン…

  次の日の朝。俺はメールと、ケルベロスに見張らせておいたディープを役人に突き出
してから、シーヴの屋敷を後にした。

(この世界にも雀がいるのかなぁ?)

  そんなあほな事を考えられるくらい、穏やかな朝だった。柔らかい朝の光を全身に浴
びていると、昨夜の“初陣”の事は、まるで夢の中の出来事のようだった。

(いや、夢じゃない。だって、その証拠に…!)

  考えながら俺が懐から取り出したのは……そう、ファンタ紙幣(笑)

  500ファンタ×3日間で1500ファンタ!事件を解決したのとシーヴの心遣いで
ボーナス5000ファンタ!しめて6500ファンタなりっ!!

  俺が6枚の1000ファンタ札と1枚の500ファンタ札を見つめてニヤニヤしてい
たら、ヴィシュヌが苦笑しながら呆れた声をだした。

「ご主人さま〜、気持ち悪いですよ〜?」
「う、うるさいなっ!いいじゃんか、別にっ(笑)」

  ヴィシュヌのツッコミに、俺はちょっと照れながらファンタ札をマントのポケットに
しまった。そう、ここに来る時に着てきたスーツはボロボロになってしまったので、俺
はシーヴからもらった黒いマントを羽織っていた。

『父様の形見なんです。もらってください、クレインさん!』

  そんな大切な物を俺にくれた、シーヴの気持ちが嬉しかった。俺はマントの上に手を
置いて、シーヴの別れ際の言葉を思い出した。

『クレインさん…ボク、頑張りますっ!だから、きっと…きっとまた来てくださいね
♪』
「ああ、きっとまた来るよ、シーヴ。」

  俺は小声で呟いた。ヴィシュヌはその言葉が聞こえているのかいないのか、ニコニコ
しながら俺の横顔を見つめていた。




  「そ〜言えば〜…ご主人さまぁ?」

  ベストラの街の郊外へと向かって歩いていた時。ヴィシュヌはいつもより少し舌った
らずで可愛らしい調子で俺に声をかけてきた。

「ん?なんだ、ヴィシュヌ?」
「あ、あの〜…その〜……」

  その四本の手をもじもじと絡ませながら、少し顔を紅くしてなんだか言いよどんでい
るヴィシュヌ。と、その時俺の可愛い娘レーダー(ただの視界という説もある(笑))の端
にナイスなターゲット発見っ!(笑)

「昨日は〜、またかばってもらっちゃって〜、どうもありがと〜ございましたぁ♪ご
主人さまぁ、とぉっても嬉しかったですぅ…って〜、あれ〜??」

  ヴィシュヌが顔を真っ赤にしてそう言った時には、すでに彼女の側にあったのは俺が
ターゲットに向かって爆走した時に巻き上げた砂塵だけだった。

バビュンッ!ゴォオッ!!

キキキキィッ!

「ねぇねぇ、かぁのじょっ♪今、暇?どう、もうすぐお昼時だし、これからランチで
もご一緒しませんかっ♪」
「え?あ、あの〜、あなたは一体???」
「あ、俺?俺はね、“電脳召喚師”クレイン=スターシーカーっていうんだっ♪それ
じゃ、さっそく行こうか………って、いたたたたたたたっ!?」
「ぎゅ〜〜〜!!!!!」

  俺がターゲットの女の子の肩に手を回しかけたその時。いつのまにか横に来ていたヴ
ィシュヌが、力いっぱい俺の足を踏んでいた。

「な、なにすんだヴィシュヌっ!?」
「なにって〜、なんでしょう〜?(ぎゅ〜!!!)」

  ヴィシュヌは額に怒りマークを浮かべながらもしれっとした調子で言った。しかもま
だ渾身の力を込めて俺の足を踏み続けていたりする。

「いたたたたっ!踏んでる、踏んでるよっ!?」
「え〜?………あぁ〜、すみません〜♪」

  今やっと気づいた、とでも言いたげなセリフとともに踏み続けていた足をパッと離す
ヴィシュヌ。

「ジャマすんなって言ってるだろ、ヴィシュヌっ!?」
「べつに〜、じゃまなんてしてませんも〜ん♪ごめんなさいね〜、足踏んじゃって〜
♪」

  ヴィシュヌはまたもしれっとして言った。当然、このやりとりの間に俺がナンパして
いた女の子はすでにあっさりといなくなっていた。

  季節は春。正午前のベストラの街はおだやかな暖かい太陽の光に包まれていた。俺と
ヴィシュヌがぎゃーぎゃーと言い争う声は、道行く人々の喧騒の中へと吸い込まれてい
った。





エピローグ

  「…ってね〜、それ以来あいつジャマばっかりするんですよね〜」

  俺は苦笑しながらこのはさんにそう言った。しかし、俺の昔話に長々と付き合ってく
れたこのはさんはニヤニヤしながらこちらを見つめていた。

「ふ〜ん……。それはねぇ、クレインさん?多分……」
「“愛”ですね♪」

  ヒョコ♪とこのはさんの後ろから頭を出したのはゲンキさんだった。決めセリフを取
られてちょっとご立腹のこのはさんではあったが、ゲンキさんの言葉に力強くうんうん
と頷いている。二人のその様子に俺は額から汗をかきながらぱたぱたと手を振った。

「なっ!?げ、ゲンキさん聞いてたんですかっ!?…ち、違いますよっ、ヤだなぁっ」
「にゅぅ?そうですか?…どう思います、ゲンキさん?」
「いえいえ、違いませんよ♪…ねぇ、みなさん?」

  ゲンキさんはカウンターに座っている俺とこのはさんの方から店内へと向き直って質
問した。え?みなさん??さっきまでは俺とこのはさんしかいなかったハズだけど……

ま、まさかっ!?

  俺がギギギギ…と音を立ててゆっくりとカウンターから後ろ振り向くと、そこにはこ
のはさん&ゲンキさんと同じようにニヤニヤしている常連ズの姿があった。

「まぁ、“愛”とみて間違い無いでしょうね(笑)」
「へっふへっふぅ♪」
「あぅ、クレイン様ぁ、ヴィシュヌお姉ちゃんを大切にしてあげてくださいぃ♪」
「くれさん、結婚式には呼んでくださいね〜」
「話を聞いてると、クレインさんは昔から浮気者だったっピねぇ(笑)」
「クレイン、お前…ヴィシュヌちゃんを泣かせたらたたじゃおかねぇぞ?」
「ふみふみぃん」
「や、クレインさん!ヴィシュヌさんと仲が良いのもよろしいんですが、火狩も泣か
せないでくださいね♪」
「フェリはサンマを愛してるにゃぁ♪(モグモグ)」
「くれいんさん、ずいぶん深いぼけつですねぇ(ばく)」
「いや〜、クレイン殿!面白かったでござるよ♪ 今度はまた別のお話が聞きたいでご
ざるなぁ♪」

(い、いつのまにみんな集ったの?こんな昼間っから??しかもなんでこんなに聞い
てるの?こ、この話はこのはさん一人を相手に始めて、しかもヴィシュヌの話じゃなく
“初陣”の話だったはずなのに…。い、一体どうしてこんなことにっ!?)

  みんなの祝福(?)の言葉を聞きながら、頭の中でそんな疑問がぐるぐるとまわる。
常連ズ達のニヤニヤ笑いに囲まれて、俺は意識が遠のきそうになるのを感じた。
  
  もう決してじゅらい亭で過去の話はすまい。そう心に固く誓うクレイン=スターシー
カー、24歳の春であった。まる。







―Fin―






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