じゅらい亭日記

異邦人−まほろば− エピローグ
投稿者> 藤原眠兎
投稿日> 07月23日(木)19時19分26秒



 そして眠兎クンのいない夏が過ぎ去っていった。
 ただ、待ち続けるだけの日々。
 寂しくて、不安で、どうしようもなかった。

 秋。
 眠兎クンは帰らなかった。
 皆が心配してくれるから、私はまだがんばれるよ、眠兎クン。

 冬。
 木枯らしと共に世界は灰色になった。
 まるでわたしの心の中のように。
 暗灰色の景色の中、焚き火の赤が踊る。
 あれはきっとわたしの眠兎クンへの想い。
 いつまでも絶えることなく、私の心を暖め続ける。

 春。
 草木は目覚めはじめ、灰色は緑へと変わる。
 厳しかった気候はやがて穏やかになってゆく。
 散りゆく桜を見ながら、じゅらい亭のみんなで花見の宴。
 わたしは独り、桜の木を見上げながら眠兎クンのことを想った。

 二度目の夏。
 再び夏がやって来た。
 眠兎クンがいなくなった季節。
 真夏の夜に交わした約束。
『約束するために、ここに寄り道したんです。約束するからには帰ってきますよ。必ずね』
 だからわたしは信じてる。
 必ず眠兎クンが帰ってくることを。
 忘れない。
 約束を。

 二度目の秋。
 一年が過ぎても、眠兎クンは帰ってこなかった。
 四季の移り変わりで感傷的になるのは、きっと眠兎クンがいないから。
 最近、よく意味もなく振り向く。
 なんだか眠兎クンが後ろにいるような気がしてしまうから。
 そしてため息。
 
 そして二度目の冬。
 去年よりも寒い冬。一昨年よりももっともっと寒い冬。
 まるであの日のように雪が降る。
 昨日も、今日も。



 そこにはただ、あふれる光だけがあった。
 あるのは、まるで母の胎内のような安寧。
 その中で、眠兎の意識はただ、漂っていた。
(心地いい…このまま…)
 ただ漂う事の心地よさに眠兎は流されていた。

『待っているからね、眠兎クン』

 不意にみのりの声が眠兎の心に響いた。
(みのりちゃん?)
 途端に眠兎の意識が明朗になる。
 眠兎はまず周りを見回した。
 何も見えなかった。自分でさえも。
 ただそこには光だけがあった。
(おきたのね、みんと)
 頭に響く声に眠兎は少々驚きながら周りを見回した。
 やはり何もない。
(あなたは?)
(わたしはもりーあんであり、てぃあまとであり、すべてのははがみであります。)
 誰かは眠兎に答えた。
 眠兎は、その瞬間、自分の最期に起きたことを思い出しはじめていた。


 光の粒となって消えゆく自分。
 急に眠兎は自分が拡大されていくような感覚を覚えた。
 天鳥舟に集められたポジビリティ全てが、眠兎と共にあった。
 眠兎は自分がポジビリティそのものに変化してしまったことに気付いたのだ。
 ポジビリティ…天地すら創世することが出来る無限のエネルギー。
 不可能なことなど、文字どおり、およそ無い。
 眠兎は急激に意識を広げ、セブンスムーンを覗き見た。
 期待通りにじゅらい亭の常連達はレギオンを殲滅しつつあった。
 ならば、次に必要なのは元に戻ろうとする、回復する力だ。
 眠兎はここに集められたポジビリティに、全てあるべき場所に帰るように念じた。
 奪われた場所に、人に、物に、ポジビリティは帰って行く。
 これでいい。
 天地を創生する力なんて要らない。
 他人から奪った力なんて要らない。
 ふと、眠兎の拡大された意識に弱りつつあるみのりの精神に触れた。
 レギオンと闘っていることが判ると、眠兎はポジビリティと共にみのりの元へと向かった。
 たどり着くのは一瞬だ。
 弱りきったみのりに眠兎は話しかけた。

『あきらめるのはいつでもできますよ、みのりちゃん』
 …眠兎クン?
『僕が、帰る意味が無くなっちゃうじゃないですか。もう少しがんばりましょう、ね?』
 …そうだね、眠兎クンもがんばってるんだもん、わたしだけ、あきらめちゃだめだね。
『そうそう、そんな頑張りやさんの、みのりちゃんが大好きですよ』
 …ありがとう、わたしも、眠兎クンのこと大好きよ。

 その言葉と共に、眠兎は元の場所へと帰った。
 そして…眠りについたのだ。


(ははがみ?)
(すべてのかみをうみだせしもの…すなわちぽじびりてぃ。あなたたちがそうよぶもののしゅ
うごうたいです)
(ポジビリティが意志を?)
 眠兎は疑問を口に出した。
 眠兎にとってポジビリティとはすなわち資源であり、力の法則である。
 人の身体にも存在するし、物にも存在する。意志があるなど有り得ない話だった。
(ぎもんはもっともです)
 眠兎の思考に割り込むように母神は続ける。
(かみとはあるいっていのほうそくにのっとった、ぽじびりてぃのかたまりなのです。たとえ
ばりくならたたかいやちからの、あなたならいどうや、でんれい、ぬすみの…そういったぽじ
びりてぃにたけた、いしをもつそんざいをにんげんはかみとなづけたのです。)
(つまり、あなたはただのポジビリティではなく、全ての神と呼ばれる存在の力の源泉である、
というわけですか?)
 眠兎の言葉に肯定の意志が伝わってくる。
(…で、その母神が何のようですか?)
(みんと…あなたはにくをうしないました。それゆえげんしょのすがた…ぽじびりてぃになり、
ここにもどってきたのです。ところがあなたはいぜんとしてつよい『いし』をもちつづけてい
ます。それはありえないことです。なにゆえかたずねたかったのです)
(なにゆえ、ですか?)
 つぶやくように答えながら眠兎は考える。
 自分を自分たらしめているものは果たしてなんなのだろうか、と。
 答えは、出ない。
 考えている自分があるからこそ自分が存在する。
 我思うがゆえに我あり、といったのは昔の哲学者だったが、何故自分に意志があるのかなん
て答えられるものはおそらくいないだろう。
 だがあえて言うなら…
(約束をしました。必ず帰る、と)
(やくそくを…)
 母神は感慨深げに反復した。
 感心したような意志が眠兎に伝わってくる。
(…ここでそのようなものにしばられるひつようはありません。えいえんのあんねいのなかで
ねむることがかのうですよ?)
(それも悪くはありませんね。でもここは安寧はあっても僕にとっての幸せはないんです。)
(?)
 母神にとって理解不能な言葉。
(だってここにはみのりちゃんがいないじゃないですか!)
(…なるほど…しかしかのじょとていずれはここにもどってくるさだめですよ? )
(僕は、欲張りでせっかちなんです。少しでも長くみのりちゃんと一緒にいたいし、少しでも
早くみのりちゃんに会いたいんです)
 眠兎はどこか冗談めいて答えた。
 口調とは裏腹に、その実は真剣そのものだ。
(それに、ここには楽しく騒げる仲間たちもいない。…僕は、まだ隠居するには早すぎるんで
すよ。そう思いませんか?)
(いいでしょう…あなたにふたたび「にく」をさずけます。ですが、それはふたたびくなんの
みちをあゆむことになるかもしれませんよ? )
(…それもまた楽し、ですよ)
 眠兎はにっこりと微笑んだ。
 目には見えないがとびっきりの笑顔だったに違いない。
(…では、みんと、あなたをしかるべきばしょにかえします。さようなら…わたしのあいする
むすこよ…)
 そう母神はささやくと、眠兎にふたたび「肉体」を与える。
 見ることの出来ないその姿に眠兎はルーシーの姿を見たような気がした。



 空は灰色の厚い雲に覆われ、雪がセブンスムーンに降り注いでいた。
 まるで1年前の夏の日のように。
「うーっす…今日も寒いな…」
 幻希が自分の赤いバンダナに積もった雪を払いながらじゅらい亭に入ってきた。
 店内は暖房が働いているのか、むしろ暑いぐらいだ。
「そうでござるなぁ…こうも雪ばかり続くと困りもんでござるよ」
 いいながらじゅらいはコーヒーを幻希に出した。
 片手をあげて礼をいうと、幻希は有り難くそれを飲む。
「ども、こんちはっ♪」
「今日はです〜」
「みんなこんにちは!」
 今度はクレインが二階から降りてきた。
 左手にはヴィシュヌ、右手には火狩を連れて、まさに両手に花である。
 ちなみに火狩は一緒に暮らしている訳ではなく、遊びに来ていただけである。念のため。
「うわー…なんか今日はお客さんがたくさんいるね!」
 火狩がぐるりと回りを見回して言った。
 それもそのはず、今日は何故かほとんどの常連が店に来ていた。
「なんか今日は来なきゃいけないような気がしたっピ」
 食料調達のために、執拗に襲いかかる楊やこのはの攻撃をかわしながら幾弥が答える。
 矢神は本を読みながら、賛同の意を示し、フェリシア使いは花瓶を転がして遊んでいるため
何も聞いていなかった。
「強いて言うなら宴会の予感かな? 」
 燈爽の歌に耳を傾けながらレジェンドは幾弥の言葉を継いだ。
 その言葉に風舞が反応して、カウンターの下に密かに帳簿を取り出した。
「そういえばゲンキさんとみのりさんは?」
「表で雪かきです。私も手伝うって言ったんですけど…」
 風花の疑問には陽滝が答える。
 見れば窓の外ではみのりがせっせせっせと雪かきしている。
 ゲンキは…見える範囲にはいない。
「…みのりさんもがんばりますねぇ」
 JINNがシンナーで酔っ払いながらポツリと呟いた。



「魔王呪法!雪だるまごろごろ!」
 ゲンキの怪しげな呪文と共にじゅらい亭の入り口付近に雪だるまが勝手に出来上がる。
 満足気にゲンキはそれを見るとみのりの方に振り返った。
「どうです?みのりさん!一瞬でかたづきましたよ?」
「…かたずいてないわ」
 みのりはため息交じりに答えた。
 確かに雪だるまは出来上がったが、別に入り口付近の雪をほんのちょっと使っただけで出来
上がってしまったのだ。
 それで巨大な雪だるまが何故出来上がったのかは謎である。
 しかし現在ではむしろ邪魔の一言である。
「おう、ジーザス!」
 ゲンキは落涙しながら雪だるまの数々をどけはじめた。
 みのりもしょうがないな、と雪だるまを一緒に転がしはじめる。
「ん…と…」
 雪だるまは意外に重くて動かなかった。
 渾身の力を込める。
 やっぱり動かない。
 あきらめて誰か店の人間を呼ぼうと思った矢先に、みのりの後ろから大きな手が伸びてきて、
力強く雪だるまを押した。
 たやすく雪だるまは転がって、店の入り口がほんの少し広がった。
 雪だるまを押した、大きな手。
 いつも自分の小さな手を包んでくれていた大きな手。
 いつも自分を守ってくれた大きな手。
「…眠兎、クン?」
 恐る恐るみのりは後ろを振り返った。
 ちょっと垂れ目の、優しい笑顔。
 大きな手は雪だるまを離れ、その逞しい腕がみのりの身体を包む。
「ただいま…帰ってきました。ちょっと、待たせすぎちゃいましたかね?」
 眠兎は腕の中に収まったみのりの耳元で囁いた。
 みのりはふるふると首を振る。
「…おかえりなさい…わたし、待ってたよ? あきらめないで、ずっと、ずっと…」
 みのりはいつのまにか泣いていた。
 いままで我慢していた分、せきをきったように、涙が次から次へと溢れ出してくる。
「ずっと、ずっと…待ってたんだから。眠兎クンのいなかった…夏と秋と春と冬、ずっとずっ
と寂しかった。みんながいてくれたからがんばれたけど、それでも…寂しかったの…」
「これからは…ずっと一緒ですから…」
 眠兎はみのりの黒く豊かな髪を撫でながら、ただそう一言だけ答える。
 みのりは、眠兎の腕の中で、ただひたすらに泣き続けていた。
「ただいま帰りました、ゲンキさん」
「こりゃ今夜は宴会ですね♪」
 雪だるまに混じって立っていたゲンキは眠兎の言葉にそう答えた。
 眠兎は微笑みを浮かべ、ゲンキはにやりと笑う。
 雪はいつのまにかやんでいた。



 当社比で2.5倍ほどの盛り上がりを見せながら宴会は進んでいった。
 途中で酒に酔った幻希が「女を泣かせるなんてふてえ野郎だ!」とかわめき散らしながら眠
兎を攻撃したり、「がしゃーん」と音を立てて花瓶が割れたり、酒に酔った楊やこのはとJI
NNが幾弥を捕獲して食べようとしたり、クレインがナンパしようとしてヴィシュヌと火狩に
同時に見事なコンビネーションで突っ込みを受けて瀕死になったり、フェリシア使いがサンマ
を焼いたり、じゅらいが何かをハンマーで光にしたり、挙げ句の果てにギアとアクリがやって
きて大混乱になったりと、それはもういつもと変らぬ暴走ぶりだった。
 誰もが皆、笑っていた。
 楽しそうに、嬉しそうに。
 風舞ですら嬉しそうに笑いながら帳簿をつけていた。
 そんな中、じゅらいはいつのまにか眠兎とみのりがいなくなっている事に気付いた。
 もともと彼らは異邦人だったのだ。
 いつ居なくなっても、おかしくは、ない。
 より一層激しさを増す宴会の渦の中にじゅらいは再び飛び込んだ。
 誰もが皆、それぞれの事情を心に抱いて、ここに来ている。
 誰もが皆、いつここに来れなくなるかなんてわかりはしないのだ。
 そういう意味では、誰もが皆、異邦人なのかもしれない。
 だからこそ今この時に騒ぎ、だからこそ今この時を楽しんでいるのかもしれない。
 いつ別れがあるやもしれぬ仲間なのだから。
「なあんて、きっと考えすぎでござるな」
 じゅらいは風舞のつけている被害額を、ちらりと盗み見てからつぶやいた。
 自然にため息一つ。



 みのりは店の外で独り、元雪だるまに腰掛け空を見上げていた。
 空はいつのまにか雲が流れ、月と星がその美しい顔を見せている。
「こんな場所にいたんですか…」
 何とか宴会場を抜け出してきた眠兎がみのりの横に座る。
 みのりは自然に眠兎に身体を預けた。
「…これで、多分、このユニバースから出る事ができますね? 」
「…そう、ね。わたしも、眠兎くんもなすべき事はしたと思う。」
 みのりは、空を見上げたまま眠兎の言葉に答えた。
 いつものクールな物言いで。
「じゃあ、次のユニバースに行きますか?」
 眠兎はいたずらっぽく笑いながら訊ねる。
 答えは聞かなくてもわかっていた。
 だが、あえてみのりの口から答えが聞きたくて尋ねているのだ。
 みのりはゆっくりと首を振る。
「ずっと探して来たね…わたし達が、わたし達らしく生きてゆける、まほろばを。」
「まほろば…『理想郷』ですね」
 みのりは空から眠兎に視線を移した。
 眠兎は黙ってみのりの言葉を待っている。
「…たくさんの世界をわたり、たくさんの人達と出会ったね。でも、まほろばなんていくら探
してもどこの世界にもありはしないんだって、ようやくこの世界でわかったの。」
「…大切なのはきっと…」
 眠兎の唇を人差し指で制して、みのりは微笑む。
「…わたしに言わせて。…大切な事、それは努力する事。与えられたまほろばなんてまほろば
じゃない、そうでしょう?」
「…僕もいままで、ずっと逃げてきたんだ。逃げて、逃げて…逃げ続けていればいつか平穏が
やってくると思ってた。でも、そんな事はなかったんですね。『自分』からは、どこまで逃げ
たって逃げる事なんて出来はしないんですから。」
 今度はみのりが眠兎の言葉を待った。
 眠兎は微笑みを浮かべ言葉を続ける。
「僕も、みのりちゃんも、他でもないここで、セブンスムーンのじゅらい亭という場所で、そ
れを知った。だからそのために努力した。自分がより良くなるように、そしてここを守るよう
に。」
「…だからここが、こここそが…」
「…僕とみのりちゃんの、まほろば」
 眠兎がみのりの言葉の後を継いだ。
 二人とも同じ想いだった。
「さて、戻りましょう…また、行方不明になる訳にはいきませんからね」
「…そうね」
 眠兎のあまり笑えない冗談にみのりは微笑みで返し、スカートについている雪をはたき落と
した。
「ああ、そうだ、もう一つ言いたい事があったんです。」
「…何?」
 いぶかしげに尋ねるみのりに、眠兎はまるでひまわりのような明るい笑顔を見せる。
 そして、ゆっくりと、確実に、一言だけ告げた。
「みのりちゃん、僕と結婚して下さい」



 いつしか空は暗い青から白のグラデーションを描きはじめていた。
 ひどく長く感じた夜が、地平の彼方へと去ってゆく。
 久方ぶりの太陽が地平から昇り、街をあかるく照らしていった。
 いかに長い夜であろうともいつかは明るい太陽が昇る。
 そう、決して明けない夜などというものは、ないのだから。






URL> http://これにてまほろばは終了でございます。ご愛読ありがとうございました(TT)


そして最後のあとがき
投稿者> 藤原眠兎
投稿日> 07月23日(木)19時25分24秒

長かった物語もようやく終わりました。
これもひとえに私の執筆を支えて下さった方々のお陰です。

最後はあまり上手くまとまらずに苦しみましたが、これでいいんだと思っています。

物語を通しての感想を何らかの方法で教えていただけると、平身低頭して喜ぶ事請け合いです。


それでは皆さん、またいつか、どこかで…
URL> http://さて次は原稿だね


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