じゅらい亭日記

異邦人−まほろば− 最終回(後編)
投稿者> 藤原眠兎
投稿日> 07月18日(土)04時55分08秒



 月はいつものように煌々と輝いていた。
 だがそれよりも強く、セブンスムーンは輝いていた。
 自らの『ポジビリティ』の火柱を上げて、蒼く激しく。
 夜明けはいまだ訪れそうもない。


 
 辺りには立ち込める焦げ臭い匂い。
 その発生源は精霊弾によって焼かれたレギオン達だ。
「よーし、ヴィシュヌ、ガブリエル、この辺の怪我人を片っ端から治してくれ♪」
 あらかたこの辺りのレギオンを片づけたと判断したクレインは付き従っていた二柱の召
喚神に命令した。
「はい〜御主人様〜」
「イエス、マスター」
 ヴィシュヌとガブリエルは二人同時に返事をし、あたかも競うように街中に消えていっ
た。
 いや、実際競っているのかもしれないが。
 それを知ってか知らずかクレインはスターファイアの表示する情報を見て、ため息を一
つついた。
「…残りはヴィシュヌと、ガブリエルと、トールと、クーフーリン…他は退避、か…」
 街の各地に散った召喚神達はその大半がダメージのため、神界へと一時待避していた。
 それは他でもなく、敵の力が神に匹敵する事を示している。
「…それにしても、この変な炎とあいつら、どっからわいて…ん?」
 クレインは大通りをこちらの方に来る人影を見つけて考えるのを止めた。
 がしゅっと音を立てて、スターファイアがガンモードに変化する。
 何がおこってもいいように戦闘の準備は整えたが、側にヴィシュヌもガブリエルもいな
いのが不安を煽った。
 人影のフォルムは実に奇妙だった。
 マントか何かを羽織っているらしく、その身体付きははっきりしないが、自らの身長よ
りも大きい何かを肩に担ぐようにしてこちらに走って来る。
「…って、あれ?」
「あ、クレインさん!」
 クレインの疑問の声と、人影の声はほとんど同時だった。
 アルトの元気のいい声。
 人影は火狩だった。
 火狩はキキーッと音がせんばかりに、ブレーキをかけるようにしてクレインの前で勢い
よく止まった。
「あはははっ!会えると思わなかったよ!」
「ど、どうしたの? じゅらい亭の場所が分かんなかったとか?」
 嬉しそうに言う火狩にクレインが戸惑ったように尋ねた。
 火狩はふるふると首を振ると、にっこりと微笑む。
「ボクも、戦うよ!逃げてばかりじゃ人は助けられないから、ね! 」
「そっか…よし、がんばろう♪」
 誇らしげに言う火狩の頭をクレインはぐりぐり撫でながら、やはり微笑みを浮かべた。
 今にも壊れてしまいそうだった彼女は、もういない。
 今、傍らにいるのは、未来を見据える強い女の子だ。
「うん!…あのね、クレインさん…」
「ん…なに?」
 火狩はまるで出逢ったばかりの時の様に、うつむいて顔を赤くしながらもじもじしてい
る。
「あのね、迷惑かもしれないけど、知っておいて欲しいんだ…」
「うん?」
 どこか間抜けな顔をして、クレイン。
「ボク、クレインさんの事…好きだよ!」
「…え?」
 さらに間抜け面になって尋ねる。
 火狩は、ちょっとはにかんだようににっこりと笑った。
「行こうよ、クレインさん!まだ、戦ってる人達がいるんだから、ね!」
「う、うん、いこっか♪」
 ちょっとうろたえながらクレインは答える。
 こんなにストレートに気持ちをぶつけられたのは初めてだというのは、ちょっとした秘
密である。
 そう考えるとちょっと緊張してみたりもする。
「御主人様〜ただいま帰りました〜」
「マスター、同じく帰りました。」
 ヴィシュヌとガブリエルが謀ったかのようなタイミングで帰ってきた。
 この辺りのあらかたの怪我人の治療が終了したから帰ってきただけだけなのだが。
 多分。
「あ〜火狩さん、こっちに来ちゃったんですね〜」
「…うん、逃げてばかりは、いられないからね!」
「…そうですね」
 なんだかきな臭い匂いがこの辺に漂いはじめたのをクレインは感じた。
 もちろんほんとにきな臭い訳ではない。念のため。
「よ、よし、早く西に行こう!助けを求める可愛い女の子が俺を呼んでるぜ♪」
 場を和ませるために、およそこの場で最悪のセリフを残しつつクレインは走り始めた。
 あとを当然のように三人の美少女(神?)が追っかけてくる。
 クレインは何かにとりつかれたように走った。
 なんか追いつかれるのが恐かったのかもしれない。

 結果、激戦区に早くたどり着き、大いに戦力分布が変わったのは怪我の功名というべき
なのだろうか?
 うらやましいんだかうらやましくないんだか。



 だだっ広い通路を一人、眠兎は歩いていた。
 カツンカツンと、硬い音が辺りに響く。
 ふと、眠兎は何かに気がついたように、壁際の方に走りよった。
 そこには、備え付けの端末が一つぽつんと光を放っていた。
「ここで…できますかね?」
 眠兎はキーボードではなく、ディスプレイの上に手を置くと、目をゆっくりとつぶった。
「アクセスノアシステム…パスワード解除…」
 ブツブツと呟く眠兎の目には、視覚化されたコンピュータの情報が映っている。
 直接、コンピュータの中に意識を潜らせているのである。
 『伝令』すなわち情報を司る神格を持つ眠兎だからこそ出来る芸当だった。
 様々な道の中からメインシステムにいたる道をひたすらに探す。
 もし、ここでメインシステムに侵入できるなら、レギオンシステムと万が一の時のため
にメギドキャノンのシステムを破壊しておくことが出来るからだ。
「見つけた…!?」
 見つけ出した道からメインシステムに進入しようとした瞬間、目の前に金髪の美女が現
れ、眠兎を弾き飛ばした。
 ボンッ!という小さな破裂音と共にディスプレイが破裂し、眠兎は軽く後ろに吹き飛ば
される。

「つっ!…ティアマト!?」
 眠兎はのろのろと身体を起こしながら周りを確認した。
 あいも変わらず眠兎は独りのままだ。周りには何もいない。
「…システムは、押さえられている、か。やれやれですね。」
 眠兎は一人グチりながら、再び歩きはじめた。
 目標は天鳥舟の艦橋…この舟のコントロールルームである。
 左手にオリハルコン製のナイフを握り直すと、眠兎はため息をついた。
 眠兎が知る限りの残りのB.E.P.Sは司と火狩である。
 司は眠兎に戦闘技術を教え込んだ、いわば眠兎の師の一人であり、火狩は眠兎にとって
は実の妹に等しかった。
 なおかつ、二人とも、ともすれば眠兎を上回る力を持っているのだ。
「…来たか、眠兎」
「司…ですね」
 通路の奥に人影がいた。
 おそらく眠兎の事を待ち構えていたのだ。
「ふん…辛気臭い面だ。安心しろ、お前が倒さねばならんのはこの私だけだ。火狩は、や
はりお前の妹だな。脱走した。」
「そう、ですか」
 いいながらナイフを構える。
 司は中空から柄の長い、片刃の剣を取り出した。
「逃げ出して、何かを見つける事は出来たか?」
「…人の心を、守るべきものを」
 司が剣をゆっくりと上段に構える。
 眠兎は、迷っていた。
 戦う事に躊躇はない。
 確かに、今から思えば司は眠兎にいろいろな事を教えていた。
 人の殺し方、力の制御法、時には人の心理…ルーシーと同じく、たくさんの事を眠兎は
教わった。
 今となってはそのことに感謝はしている。
 だが、大切なひとたちを、場所を、守るために倒さねばならない敵である事にはかわり
はないのだ。

 そして、説得が通用する相手でない事も眠兎は知っている。
 だからこそ、戦うのだ。
 だとしたら、何に迷うのか?

「よもや、手を抜いて勝てるとは思うまいな? 」
 司が何かを悟ったような笑みを浮かべる。
 司の持つ神格は『健速素鳴男命』、日本の荒神にして一、二を争うほど強力な力を持っ

た神だ。
 その能力は、果てしなく高い。
「…ですね」
 眠兎は迷うのを止めた。
 手加減できる相手ではない。
 手を抜ける相手ではない。
 ここで負ければ後はないのだ。
「では…参る!」
 司が剣を振り下ろす。
 その途端に剣が雷を放ち、辺りに放電をはじめた。
 やがて通路中に雷が跳ね回る。
 当たれば即死間違い無しの電撃だ。
 眠兎はヒヒイロカネ製のナイフからワイヤーを取り外し、投げ放った。
 ナイフを雷が撃つ。
 二本三本と続けて投げる。
 その全てが雷に弾き落とされた。
「甘い!」
 いいながら司は再び剣を振るった。
 今度は雷が眠兎に向かって跳ねる。
「でもありませんよ!」
 最初の雷撃をかわしながら眠兎は神速の速さでベレッタを抜く。
 だが雷撃は二発、三発と続いた。
「銃弾など! 」
「撃ちませんよ、あなたにはね!」
 眠兎はそう答えると、3回射撃した。
 キンッキンッキンッ!
 甲高い金属音と共に通路に落ちていたナイフが宙を舞う。
 と、同時に雷撃が方向を変え、ナイフを撃った。
 まるで避雷針に落ちる雷のように。
「なに!?」
 驚きの声を上げる司。
 瞬間、眠兎は自分を光の速さに加速する。
 簡易避雷針に束ねられ、止まったように見える雷撃をすり抜け、眠兎は司の側まで駆け
抜けた。
 ふと、雷撃がゆっくりと動きはじめた。
 いや、正確には動きはじめたのではない。
 眠兎のスピードが急激に落ちているのだ。
(まだ!もってくれ!)
 悲鳴を上げる全身に気合いを入れ、眠兎はオリハルコン製のナイフを振りかぶった。
 ナイフは、司の左胸に当たる。
 司がゆっくりとこちらを見て、笑った。
(!?) 

 ナイフが、心臓を、貫く。
 眠兎の手に手応えが伝わると同時に眠兎の身体に限界が来た。
 司の身体を押し倒すように、眠兎も倒れ込む。
 身体が自分のいう事を聞かなかった。
 足が、痙攣する。
「ごほっ…見事だ…」
「わざ、と、ですね…何故?」
 喀血をこぼす司に眠兎は息も絶え絶えに尋ねる。
「私は、生きる意味を無くした。だから死にたかった。だが教育により自殺は出来ん。」
「生きる…意味? 」
 ようやく身体を起こしながら眠兎は司に言った。
「愛する母を、失った。殺されるのを知っていたのに、手を出さなかった。私は、会社の
ために動いていると思っていた。だが、違ったのだ。私はただ、母のために働きたかった
のだ。」
「…そう、ですか」
「頼みがある…ごほっがはっ!」
 みるみる顔を青ざめさせながら司は眠兎を見た。
「母を、止めてやってくれ。おそらくそれこそが母の望みだからだ。私には、出来ん」
「ティアマトを?でも死んだんじゃないんですか? 」
 眠兎の言葉に司は弱々しく首を振った。
「母は、生きている。ノアシステムの中で、思念体として。」
「…ティアマトは一体何をしようとしているんです? 」
「全ての…世界の…滅亡だ…。母は、全てに…対…して復讐しようと…している…」
 司の命が尽きようとしていた。
 眠兎はようやく、立ち上がった。
「わかりました。だが、最悪の形でも怨まないでいてくださいね?」
「無理な話だ…」
 それが司の最期の言葉だった。
 眠兎はふらりと立ち上がると、再びゆっくりと歩きはじめた。
「ティアマトを頼む…か…。頼まれたのは二人め、ですね。」
 最後にもう一度司の方を見ると、眠兎は歩きはじめた。
 もう振り返らなかった。



 みのりは戦っていた。
 ただ圧倒的な意識に負けまいと戦っていた。
 だが、少しづつ、少しづつ、みのりは自分が壊れていくのを感じていた。
 大切なものが少しづつ壊れていく。
 それは記憶であったり、想いであったり、様々なものだった。

 …忘れてく…全部? 
 …私、何を忘れるの?

『待っていてください…必ず帰ってきますから…』
 不意に眠兎の言葉がみのりの頭に響いた。

(いやっ!)
(ヌウッ!)
 
 みのりは、混濁していた意識が急にはっきりしていくのを感じた。
 忘れたくない、無くなりたくない。
 その想いが再びみのりの意識を引き戻した。
 誰からも必要とされない、誰も必要としない。
 そんな頃の自分には戻りたくなかった。
 何より、眠兎を、この世界で出会った人達を忘れたくはなかった。
 今のみのりを支えているのはその想いだけだった。

(…負けない!負けたくない!)
(コシャクナッ!)

 再び精神のぶつかり合い。
 圧倒的なレギオンの精神にひるむことなくみのりは立ち向かった。
 今度は負けてはいなかった。
 だが、勝つ事も出来なかった。
 みのりの敗北は時間の問題だった。



 コントロールパネルを眠兎は乱暴に叩いた。
 プシュッと空気の抜ける音と共に、コントロールルームの扉が開く。
 用途のわからない様々な機材が並び、その中央にはまるで巨大な柱のような集中管理用
のニューロコンピュータ”ノアシステム”がある。
「…これは…」
 開け放たれた室内からは強い血の匂いが溢れ出してくる。
 端末に寄り掛かるようにして、金髪の美女が絶命している。
 眠兎はふらつく足取りで端末の方に向かうと、ティアマトを優しくイスから下ろした。
 そしてティアマトの代わりに椅子に座ると、先程と同じようにディスプレイに手を置い
て目を閉じる。
 視界が急激に変わり、コンピュータの内部の情報が視覚化される。
「アクセス…ノアシステム…パスワード解除…」
 扉の鍵を壊し、開け放った。
 その向こうには巨大な倉庫のようなものが広がっていた。
 棚の一つ一つが情報であり、その中に収納されているものが命令であったり、スイッチ
であったりした。
 中に入ろうと眠兎が扉をくぐると、ゆらりと空間が揺らぎ、全裸の金髪の美女が現れる。
(PRT4!邪魔はさせぬぞ! )
「…あなたはここで何をしているんです? 」
 眠兎は存外穏やかな口調で言った。
(何を、だと?ふふふ…この世界、全てを破壊するために、このような姿になってまで、
ここにいるのだ!)
「…何のためにそんな事を?」
(何のためにだと?私は人という種が許せないのだ。見るがいい!人間の歴史を!裏切り
と、憎しみの歴史だ!)
 答えるティアマトの瞳は狂気に彩られていた。
「…歴史なんてどうでも構いません。あなたがそうだっただけじゃないんですか? 」
(…人形風情がっ!)
 ティアマトは突然激昂し、眠兎に思念波をぶつける。
 眠兎は甘んじてそれを受けた。
 受けても倒れない自信があった。
「…あなたは本当に裏切られ続けたのですか?今まで、人のぬくもりを感じた事はなかっ
たのですか?」
(うるさい、うるさい!)
 何度も思念波をティアマトは放った。
 眠兎はよける事もなくその全てをまともにくらい続ける。
 たとえデータ化されていようとも、精神と精神の戦いはその意志力が全てを決める。
 『自分』を乗り越えた眠兎と、憎しみに溺れたティアマトとでは勝負にならない。
「あったはずです、必ず。殺戮用の機械として育てられた私にですら人のぬくもりの記憶
はあるのですから」
(だからって!私は誰からも愛されなかった!私なんかみんな必要ないんだ!みんなが必
要なのは私の力や身体、私はいらないんだ!)
 まるでだだっこのようにティアマトは泣き喚きながら眠兎に攻撃を続けた。
 眠兎にティアマトの記憶が流れ込んでくる。
 裏切りと、憎しみの人生。
「あなたは、気付いていなかっただけですよ。必ずあったはずです。暖かな思い出が。」
(うそだっ!)
「嘘じゃありませんよ…少なくともあなたは一人ぼっちではなかったはずです。」
(でも、みんな裏切った!)
「…だったら次に出会った人を信じればよかったんです」
 眠兎はきっぱりと言った。
(だって…うらぎったんだもん…)
 そこにいるのはもはや幼い女の子だった。
 ティアマトは文字どおり外見すら幼児退行してゆく。
 眠兎は同情はしなかった。
 この生き方を選らんだのは他でもない彼女なのだから。
 だが、今ならまだ変える事はできる。
 彼女にこれからはないとしても、安らかに死ぬ事ぐらい出来るかもしれない。
 少なくともこれ以上過ちを犯させるわけにはいかなかった。
「少なくとも、死ぬ間際まであなたの事を心配していた人を私は二人知っています。あな
たは、決して一人ぼっちじゃなかった」
(うそ…そんなのうそだよ…)
「ルーシーも、司も、死の瞬間まであなたの事を心配していました」
 眠兎はにっこりと笑みを浮かべた。
「もう、おやめなさい。何もかも消してしまえばせいせいするかもしれませんが、今度こ
そ本当に一人ぼっちになってしまいますよ。」
(………)
 ティアマトは、上目遣いに眠兎を見上げた。
 まるで、どうやって謝っていいかわからない、幼子のように。
(…るーしーはわたしのこときらいになったんじゃなかったの?)
「ええ、もちろん」
(…つかさはわたしのこときらいじゃなかったの?)
「とんでもない、その逆ですよ」
 眠兎はおどけたように答える。
(みんなおこってないかな…)
「もちろん」
(ほんとに?)
 上目遣いのまま言うティアマトに眠兎は頷いて答える。
 ティアマトはとびっきりの笑顔を浮かべるとゆっくりとその姿が薄れていった。
(…ありがとう、PRT4、いや、眠兎…)
 その言葉を最後にティアマトは完全に消えた。
 今の彼女を支えていたのは憎悪や憎しみだったのだ。
 それが消えた今、彼女自身が消えてしまうのはある意味当然といえた。
 きっと、今まで止められるのを心のどこかで、待ち続けていたのだろう。
「成仏って言うんですかね?こういうのを」
 感慨深げに眠兎は呟くと、メインシステムの中に侵入した。
 どんっ、と鈍い音がした。
 途端に左胸に激痛が走る。
「…がはっ!」
 急激に視界が元に戻り、血塊が口からあふれ出た。
「クックック、ご苦労様…お礼はミストルティンですがね」
 後ろから死んだハズの者の声。
 視線を下に向けると、眠兎の左胸から短剣の切っ先が飛び出していた。
「どんな気分ですかな?」
 逆が乱暴に椅子を蹴った。
 ぐるり、椅子が回りちょうど眠兎は逆の正面を向くような形になった。
「…何故…」
「んん?何故生きてるのか、ですかな?それはあなたの愛する女性のお陰ですな」
「…みのりちゃん…の?」
 いいながら眠兎は自分の身体の状態を確認する。
 背後からの椅子ごしの刺突。
 傷は心臓まで達している。
 致命傷だ。
 特殊能力の類は体内に侵入した異物のせいで使用出来ないようだ。
「くっくっく…さすがは未来を司る女神の器を持つだけのことはありますな。未来とはす
なわち、可能性、ポジビリティの塊ですな。彼女の身体の一部分があるだけで、魂から肉
体の再生までが可能でしたよ。」
「あれは…みのりちゃんの…」
 弱々しく呟く眠兎の椅子をけり倒すと逆は愉快そうに笑った。
 邪悪な、狂気に満ちた笑い声。
「クックック…ハーッハッハ!!…あなたは黙ってそこで見ているがいい! 全ての世界
が滅び、私によって作り直される姿を!クックック…まさに歴史の証人という訳ですな!」
 嘲笑いながら、逆はノアシステムに向かって歩きはじめた。
 端末の一つの前で足を止めると、おもむろに入力作業を始める。
 眠兎にはその背中を見ることしか出来なかった。

 ごめん、みのりちゃん…もう、帰れそうに無いよ…

 薄れゆく意識の中、眠兎はみのりに謝った。
 チャリッ…
 椅子に縫い付けられた身体から何かが落ちた。
 蒼く輝く、小さな円錐形の石が取り付けられたペンダント。

『…真の石『アダマンタイト』でできてるって言ってた。それで作った剣はどんなもので
も、たとえ魔術であろうとも切り裂く事ができるって…だからどんな困難な事があっても、
切り裂く事ができるように…』

 ふと、みのりの言葉が頭に蘇る。

 まだ、あきらめる訳には…いかない!
 守るんだ、みのりちゃんを、みんなを!

 混濁しはじめた意識が急にはっきりした。
 それはまるでろうそくが燃え尽きる前にひときわ明るく輝くのと同じようなものなのか
もしれないが。
 眠兎はベレッタを抜くと、手早くマガジンを取り出した。
 そしてマガジンから薬莢を一つ取り出すと、おもむろにペンダントを壊して蒼い石を取
り出した。
 それを、弾丸の代わりに薬莢に仕込むと、マガジンに戻し、ベレッタに入れた。
 ミストルティンにより、その力を封じられた眠兎に出来る最高の手段。
「…ほう?まだ動きますか? いやはや、しつこくていらっしゃいますな」
 あきれたような口調で逆が言う。
「…させ、るか!!」
 眠兎は霞む目を何とかこらして狙いを定めると引き金を引いた。

「無駄っ!」
 と、同時に逆がシールドを張った。
 銃弾程度なら通用しない。
 逆が会心の笑みを浮かべる。
 絶望に歪む眠兎の顔を想像しながら。

 ドンッ! 
 パキンッ!

 二つの音がほぼ同時に起こった。
 一つ目は銃声。
「ば、馬鹿な…」
 二つ目は逆の結界が砕けた音。
 蒼い弾丸は逆の額を貫き、脳髄を破壊する。
 眠兎と逆のはじめの闘いの時のように。
 逆はどう、と倒れ伏した。
「ありがとう…みのりちゃ…ん…」
 眠兎は満足気に呟いた。
 後悔はある。
 約束を守れなかった。
 少なくとも生きて帰れそうには、ない。
「く…く…く……道づれ…ですな…あなたの…大切な人達も…」
 逆が息も絶え絶えに歪んだ笑いと共に言い放った。
 そしてそれが逆の最期の言葉だった。

『メギドキャノン起動…目標セブンスムーン…最大出力…総員対ショック準備…』

 艦内に機械的な声が響いた。
 天鳥舟が不気味な鳴動をはじめる。
「…!」
 眠兎は、ほとんど失いかけた意識の中、力を振り絞って椅子から身体をはがした。
 自然とミストルティンが身体から引き抜かれる。
 心臓はとうの昔に停止していた。出血はほとんど無い。
「お…おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」
 眠兎は四つん這いになると、絶叫と共にポジビリティを奪いはじめた。
 すなわち『天鳥舟』自体のポジビリティを。
 当然、人と次元を航行する船とではその器が違いすぎる。
 眠兎の身体は耐えられずに末端から崩壊していった。
 足と手の指の先から、徐々に光の粒になって消えて行く。

 身体など無くなってしまっても構わない!
 守るんだ! 皆を! みのりちゃんを! 

 その意識だけが眠兎を支えていた。
「おおおおおおおああああああああああああああ!!!!!」
 ゆっくりと崩壊して行く眠兎。
『メギドキャノン起動…目標セブンスムーン…最大出力…総員対ショック準備…』
 船内では無機質にアナウンスが続けられる。
 ぐらり、と舟がゆれる。
 外装がぼろぼろと崩れはじめていた。
『メギドキャノン起動…目標セブンスムー……』
 アナウンスがふと止まる。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
 眠兎は絶叫した。
 ごとり、と眠兎の頭が落ちる。
 支える腕と足はすでに光の粒となって消えていた。

 守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!
守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!
守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!
守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!

 その意識しか眠兎には残されていなかった。
 天鳥舟はその姿を次元の狭間に保てずに内側から壊れはじめてゆく。

 守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!
守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!
守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!
守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!

 胴体が消えて行く。

 守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!
守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!
守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!
守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!

 天鳥舟がぐしゃっと内側に潰れた。
 その歪んだ船体の所々から光が溢れ出す。

 守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!
守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!
守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!
守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!

 そしてすべてが

 守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!
守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!
守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!
守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!守るんだ!

 光の粒となってはじけた



「この季節に雪…?」
 幻希はこの辺りで最後のレギオンにれいろうで止めを刺しながら空を見上げた。
 空には依然として月が煌々と輝き、星もひそやかに自己主張をしている。
 その空を、まるで雪のように光の粒が降り注いでいった。
『なんだかあたたかい…』
 れいろうがぽつりと呟いた。

「これで最後ですね(笑)」
「魔王呪法!ソルクラッシャー!」
「ふににー」
 いつのまにか合流した矢神とゲンキとJINNは、最後のポジビリティスティーラーを
同時に叩き壊した。街を包んでいた蒼い炎がようやく消える。
「おや?雪かな? 」
「なんと風流な(笑)」
 JINNの言葉に矢神が合わせる。
 ゲンキはいぶかしげに空を見上げた。
 相変らず雲一つない夜空。
「眠兎さん…?」

「光になれ〜!」
「うりゃっ!」
「つんつんっと♪」
「殺っ!」
「わはははは、空襲!」
「がんばるにゃあ!」
「皆さんがんばです♪」
 この街に残る最後のレギオン達を、皆追いつめているところだった。
 レギオン達は急に動きを止め、まるで木偶人形のように無抵抗になっていた。
 みのりが精神攻撃を仕掛けたことに起因することなのだが、原因は分からなくとも、チ
ャンスであるのは間違いなかった。
 皆、ここぞとばかりに攻めに攻めた。
 もとより戦闘力の高いじゅらい亭の常連達である。
 あっという間の殲滅戦だった。
「つつんのつんっと♪」
 コカトリス化した幾弥がリズミカルに最後のレギオンをつついた。
 あっさりと最後のレギオンは石化し、砕け散った。
 レギオンは滅亡した。
 街を包んでいた蒼い炎はいつのまにか消え去り、空からは祝福するように光の粒がセブ
ンスムーンに降り注いでいた。

 クレインはボケっと空を見上げていた。
 多少現実逃避したい向きもあったが、恐ろしく、その景色が幻想的で美しかったからと
いうのもあった。
「奇麗です〜」
「…ほんとうに奇麗ですね…」
 はるか空から雪のように降り注ぐ光の粒を見上げながら、ヴィシュヌとガブリエルが感
動と共に言う。
「…どうかしたの、火狩ちゃん?」
 一人、いぶかしげな火狩の表情に気付いてクレインが尋ねた。
「…この光の粒…ポジビリティだよ…」
「?」
「…誰が?元に戻そうとしてるの?」
 火狩ははるかな夜空を見上げた。
 何故か涙があふれ出た。
「ど…どうしたの?」
「わかんない…わかんないけど、なんだか涙が止まらないよ…」
「そっか…」
 クレインは火狩を抱き寄せ軽く背を叩いてやった。
 安心したように火狩はクレインに体を預ける。
 それに気付いたヴィシュヌがクレインの背中によっかかり、場所の無くなったガブリエ
ルが不機嫌になったのは言うまでもない。



 ごめん眠兎クン…わたしもうだめ…

 幾度もレギオンの攻撃にさらされもはやみのりは限界に達していた。
(コレデオワリダ!)
 レギオンの一撃がみのりを捕らえようとしていた。
 その瞬間、みのりを光が包む。

『あきらめるのはいつでもできますよ、みのりちゃん』
 …眠兎クン?
『僕が、帰る意味が無くなっちゃうじゃないですか。もう少しがんばりましょう、ね?』
 …そうだね、眠兎クンもがんばってるんだもん、わたしだけ、あきらめちゃだめだね。
『そうそう、そんな頑張りやさんの、みのりちゃんが大好きですよ』
 …ありがとう、わたしも、眠兎クンのこと大好きよ。


 みのりを包んでいた光がふと消える。
 みのりのダメージはすっかり無くなっていた。
(PRT4?コザカシイッ!)
(…まけない、あなたなんかに!)
 再び、みのりとレギオンの精神がぶつかり合う。
 一瞬で精神が砕け散る。
 砕け散ったのは。
 レギオンだった。
 レギオンは、肉体的にも精神的にも、この世界から消滅した。


「みのりちゃん!?」
「だいじょうぶ!?」
 みのりが目を覚ますと目の前には二人の女性がいた。
 一人は風舞さん、もう一人は陽滝さん。
「…もう、大丈夫、です」
 みのりは軽く頭を振ってにっこりと笑顔を浮かべた。
「そう…良かったぁ…」
「…なんか、今日は倒れてばっかりですね」
 嘆息を漏らす風舞とは対照的に、陽滝が軽く笑みを浮かべ冗談を言う。
 みのりもくすっとつられて笑った。
「…そうですね、本当に倒れてばっかり…」
 そう言うと、みのりは窓を見上げた。
 窓の外は、まるで雪のように光の粒が舞い踊っていた。
 月と星の光に照らされて、御伽噺のような幻想的な風景。
「…待ってるからね、眠兎クン。あきらめるのはいつでも出来る、そうでしょう?」
 どうしてもこぼれてしまう涙をぬぐいながら、みのりは微笑みながらつぶやく。
 光の粒と月と星の光に美しく照らし出されたその顔は、自信と確信に満ちていた。




 光の粒はゆっくりと、確実にセブンスムーンを包んでいった。
 月の光のように優しいその光は短く激しい戦いに疲れた人々の心と身体を癒した。

 やがて夜が明けると、セブンスムーンの人々は何事もなかったかのようにいつもの生活
をはじめた。
 そう、文字どおり何事もなかったかのように。
 なぜなら、何事も無かったように何もかもが元どおりになっていたのだ。
 殺された人も、怪我をしていた人も、壊れた家も、建物も、何もかもが。

 あたかも悪夢であったかのように、いつしか人々の記憶からは『夜』のことは忘れ去ら
れていった。
 一つの店と、その常連達を除いて。



「…いらっしゃいませ」
 今日も少女はその店で、待っている。
 街を、自分を救った愛する人がその店に帰ってくるのを。
 いつか、必ず帰ってくるのを信じて。
 ずっとずっと…




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