【五行伝 ― 新緑の道標 ― 】
 
 
 

第一章 ― 逃避行 ―
 

3.
 

パチ…パチパチ…

   焚火の爆ぜる音が聞こえる。

   紅く蒼く、時には黄色く色を変え続ける炎が、周りの木々を薄明るく照らし出していた。

   深い深い森が作り出すひっそりとした暗闇の中で、この場所だけが動く事を、息をする事を許された場所のような……そんな気さえしてくる。

   その焚火を挟んで、二人の男女が荷物に腰を下ろしてじっと炎を見つめていた。

「…おい、緑?」
「なーに、燈火?」

   彼等は、あれから数時間、【翔】で東へと飛び続けていた。【翔】はそれほど速いスピードが出るわけではなかったが、今はかなり【山】からは離れた所まで来ているに違いない。

   しばらくは、安全だろう。

   近くから集めてきた薪に一瞬にして火を付けた燈火は、揺らめく炎を見つめながら緑に話しかけた。

「オマエ…どうして抜けようなんて思ったんだ?」
「う〜ん……。ねぇ、そーいう燈火はどうだったんだい?」

   ちょっと考えてから、いきなり緑は逆に燈火に同じ質問を振り返した。燈火はゆっくりと髪を掻き上げながら、静かに答えた。

「そーだな…さっきも言ったけど、もう【五行】に飽きちまったんだよ。俺はさ、緑。常に面白くないと気が済まないんだ。このまま修行しても、”水剋火”の関係がある以上、決して”翁”のヤロウには勝てないだろうし、かといって他の相手じゃ面白い勝負にはならないしな…。」
「ふ〜ん…」

   燈火の予想外の弱気な答えに緑は少し意外そうな声を上げた。「自分は”翁”には勝てない」と言う事をこれほどハッキリと言う燈火のセリフは初めて聞いた。

   しかし、この娘のストレートな物言いは、その首をもたげかけた聞きにくい疑問をあっさりと口から放り出した。

「なんかちょっと弱気だね、燈火?『おジィちゃんには勝てないから』が理由だなんて……らしくないゾっ」
「ん?…ああ、そうかもしれないな…。」

   燈火は緑の質問に生返事で返した。
 
(らしくない……か。簡単に言ってくれるぜ、まったく…)
 
   この辺、緑はまだガキだなぁ、と燈火が思う所だった。大人ぶっていたとしても、まだまだ人の心の中までは読めないのだ。

   燈火が弱気になっている理由は一つしかなかった。柊吾との対決の時、彼は本当は極力酷い怪我を負わせたくなかった。……しかし結果的には彼の【火】の能力がそれを許さなかった。手加減不能の”破壊”のみの能力。ムシの好かないヤツとはいえ、子供の頃からずっと一緒だった仲間をその手にかけそうになってしまった…。

   その事が、燈火の心に暗い影を落としていたのだ。そして、その影の力は燈火の心の奥にあったホンネを緑の前であっさりと暴露させてしまった。
 
(チッ…そうだよ、なんでオレはあんな事を言っちまったんだろう?)

   心の中で燈火は毒づいた。瞬間、苦々しい表情になった燈火に気づいた緑が、ムリに明るい声を出す。

「大丈夫だよ、燈火っ! キミならいつか、あの化け物おジィちゃんにもきっと勝てるさっ♪」

   緑はバッと立ち上がると、ニッコリ笑って左手を腰に、そして右手で燈火にピースサインを出して見せた。燈火がほんの一瞬落ち込んだ素振りを見せただけなのに、元気づけようとしているのだろう。

(フフ……オマエのその素直というか純粋というか…バカ正直な所……けっこう、可愛い所だぜ?)

   燈火は心の中でそう考えて、ニヤリと笑った。しかし、緑はそんな燈火を見ていきなり膨れっ面になった。

「あ〜!燈火、またなんかボクの事、バカにしてるだろっ!まったく、燈火はいつまで経ってもボクを子供扱いするんだからっ!」

   緑はそう言ってプンスカと怒った。腕を組んでその黒目がちな大きな目で燈火を睨み付けている。自分の表情や言葉に一喜一憂する緑を見て、燈火は笑いながら小声で呟いた。

「フッ…タンジュン。」

   最後の言葉はほとんど聞き取れないくらいの大きさだった。が、この静寂の中では辛うじて聞こえてしまったらしい。

「だ、誰が単純なんだよっ! …折角、なんだか元気が無いから慰めてあげようかなぁなんて思ったのに…ヒドいや、燈火っ」

   今度は緑が小声になる番だった。しかし、これまたあっさり燈火の耳には入っていた。燈火は緑とは違って口に出したりはしなかったが。かわりに心の中だけで小さく笑った。

(やっぱり、意識してやってたのか……。ガキのくせにいっちょまえに俺の心配だって? 笑わせてくれるぜ…♪)

   強がった事を考えながらも、最後の音符マークが嬉しそうだった。ガキ、ガキと緑の事をからかいながらも、これだけ想われるとやはり、燈火もまんざらではないのだった。

「もぅ!」

   緑はまだ拗ねたように頬を膨らましたままだった。そして、焚火のほの暗い明りのおかげで表情を悟られずにすんでいるが、実は確実に照れている燈火はそこでムリヤリ考えを打ち切り、唐突に話を元に戻した。

「…さぁ、話せよ緑。次はオマエの番だぜ?」
「!……分かった、燈火。どこから話せばいいの?」

   一瞬言葉を詰まらせた緑だったが、実は燈火に聞いて欲しくてしょうがなかったので、すぐに承諾した。緑が『抜け』を決心した理由は実に単純な事だった。しかし、単純なだけにやはり少し躊躇してしまう。もし燈火に呆れられたらどうしよう?

「それはな、最初から初めて、終わりまで来たら止めるのさ。」
「プッ♪」

   なんだか当たり前の事を言う燈火の言葉に吹き出す緑。少し緊張がとれた緑は、ゆっくりと口を開いた。

「あのね、燈火…」

   それは、ほんの2日前。

   彼女の”初仕事”の時の話だった。
 
 
 
 


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