【五行伝 ― 新緑の道標 ― 】
 
 
 

第二章 ― 決意 ―
 

1.
 

「こ、こいつぁ……!!」
「……ひでぇ。」

  やってきた者達は、皆口々に似たようなセリフを吐いた。

   ここは、一ノ瀬ダムの巨大な――首が痛くなるほどに巨大な堰の真下。辺りはまるで怪獣か何かでも出現したかのような様相を呈していた。上から落ちてきたのであろうめちゃくちゃに折れた木々がそこかしこに不自然な格好で突き刺さり、横たわり、川の流れを遮っている。
   元は美しい真紅の光を放っていたであろうスポーツカーが、果たして本当に前は走っていたのだろうかと思わせるほどにぐちゃぐちゃになってひっくり返っている。中に乗っていた男女は、言わずもがな、即死だったらしい。
   その横では堰の上に立てられていた監視用の建物が、まるではらわたを飛び散らせて死んでいる巨大な生物のように逆さまになって半壊していた。

   事件現場の周りは、そこらじゅうに新聞記者やカメラマン、レポーター、器材を運ぶAD等のマスコミ関係者で溢れかえってていた。地元警察や消防団、レスキュー達の姿も見える。みな、忙しく歩きまわり、それぞれの役割をこなしていた。

「――です。一ノ瀬警察の発表では、死者2名、負傷者1名。目撃者の証言によると、本日早朝6時頃、かなり巨大な津波が発生していたようです。なぜこのような現象が起ってしまったのか、S大学理学部気象学科のM本名誉教授に話を聞いてみ
ました――」

   沈痛な面持ちでテレビカメラに向かってレポートを続ける美人レポーター。この災害を引き起こしたのは原因不明の巨大な”津波”だという事だけは、ごく少数の目撃者の証言によってなんとか明らかになっていた。しかし、海でもないこんな湖で、ましてや今日は風一つ吹かないすばらしい秋晴れの天気だというのに、どうして津波が起こったのか? 全ては謎に包まれていた。

   マスコミ各社はこぞって一ノ瀬ダムに中継車を差し向けた。こんな特ダネを逃す手はない。一週間程度の期間ではあるだろうが、このニュースと映像はお茶の間の話題を攫うことだろう。

   …その時、カメラに向かうレポーターへ一瞥を向け、「フン」と鼻で笑った一人の人物がいた。

「ケッ、”気象学のお偉い先生”だってよ。ハッ、そんなヤツに聞いたところでこの”津波”のワケが分かるはずがねぇだろーがよ。」

   彼は、まるで槍の様に尖った顎にニヤリとした笑いを浮べて、吐き捨てるようにそう言ってから、本当に唾を吐いた。無精ひげを生やし、どう考えてもまだこの季節には早いクリーム色のトレンチコートに身を包んだ、記者風の男だった。

   男 ――名を、”南雲 彰介”といった――は堰の真下の喧騒から離れて、何とはなしに川沿いに下流へと歩いていきながら呟いた。

「この”不自然な自然現象”…絶対に”あいつら”の仕業だぜ……。」

   額に汗を浮べながら天を仰ぐ彰介。頭上には、目が痛くなるほどに光り輝く正午前の秋晴れの空が広がっていた。気温も高い。恐らく26・7度には上がっている事だろう。正午前でこの気温ならば、午後になればもっと上がるに違いない。
   彰介はまた誰に聞かせるとも無く毒づいた。

「くそっ、まだコートは早かったか?朝は寒かったのに…ついてねぇ。」

   彰介がコートを脱ごうかどうか迷って立ち止まった時。

「う……」

   人の呻き声の様な音が聞こえてきた。

「……なんだ?」

   彰介は辺りをキョロキョロと見回した。いつのまにかかなり下流まで歩いてきてしまっていたらしい。周りにはもうマスコミ関係者達も、警察や消防関係の者達もいなかった。周囲に人のいる気配は…ない。

「空耳か? いや……」

   彰介はブン屋特有のカンというヤツでその呻き声が空耳で無い事を見抜いた。今度は音のする方向を聞き漏らすまい、として全神経を耳に集中した。

   夏も終わってしばらく経つというのに、セミの泣き声が耳にうるさかった。

(おいおい静かにしてくれねぇか? ……聞き逃しちまうだろ……)

   しかし、彰介の耳は川の流れの音やセミの鳴き声に負ける事なく、もう一度かすかに聞こえた呻き声をかろうじて捕らえる事ができた。

「ううっ……」
「!  そっちか?」

   彰介は、声のした方向にあった、川辺に突き立つ巨大な岩をぐるりと回り込んだ。
 
 
 

(燈火、燈火…)

   目の前で、何度も何度も繰り返される映像。

(燈火、とーかぁっ!)

   叫んでも叫んでも、届かない声。

   ”翁”の放つ無数の【水槍】に貫かれる燈火。水を通じてその手応えを感じているのか、”翁”は燈火を見据えてニタァ…と冷笑う。相手のそんな表情をもすでに見る事ができずに、燈火は死んだ様に目を固く閉じたまま、体中から血を流して落ちていく。

   緑は大好きな人に向かって必死で駆け寄り、力なく伸ばされた紅く染まる腕を掴まえようとする。

   しかし、後少しで手が届く時になると必ず、見えない壁に阻まれてしまうのだ。

ドンッ

(――――!!)

   そして、緑の目の前で燈火は落ちていく。暗い、暗い深淵へと。

   緑はまた叫ぶ。力の限り。

(―――とーかぁっ!)

「とーかぁっ!」
 

   ガバッ! と緑は跳ね起きた。暗くて何も見えない。緑は辛い夢を見て流した涙を掌でぬぐいながら考えた。……ここは、どこだろう? 次第に慣れてきた目で周囲を見回すと、暗い部屋の壁沿いに辛うじて人影の様に幾つかの家具が置いてあるのが分かる。しかし、どうやら【山】ではないらしい。なぜなら、明かりこそ点いてはいないものの、頭上には丸い蛍光燈がぶら下がっていたからだ。【山】には電気が引かれてはいないのだ。

「ここは…?」

   今度は口に出してそう言ってみた。しかし、応える者は誰も居なかった。緑は視線を下に落としてみる。暖かくて軽い羽毛布団が起こされた上半身以外の部分を覆っている。……ふと、緑は違和感を感じる。さっきまで布団の中にいたはずなのに、なんでこんなに肌寒いの? その答えはすぐに見つかった。次第に暗闇に慣れてきた目を体の方へと移すと、自分の白い胸の膨らみが目に入ったからだ。

「――――! ボ、ボク、ハダカぢゃないかっ!?」

   目を覚ました時と同じくらい唐突な動作で緑は布団を引っかぶる緑。どうして、どうして? ボク、一体どうしたんだろう? 緑はぐるぐると回る頭をなんとか働かせて今まで起きた事を思い返そうとする。

   ”翁”に”初仕事”を命じられた事。”目付”が剣だった事。ターゲットのコを…殺せなかった事。燈火と二人で【山】を『抜け』だした事。燈火が柊吾を退けた事。
   焚火の前で燈火と話し、……キスしそうになった事。おジィちゃんに追いつかれて、湖の上に追いつめられた事。燈火とおジィちゃんが戦いになって、ボクだけ逃がしてもらって、燈火が傷ついて、落ちていって、津波に飲み込まれて、おジィちゃんがそれを見て笑って……!!!!

ぽろっ。

   緑の瞳から涙が一粒、零れ落ちる。そうだよ、燈火は? 燈火はどうなったの?あれから、どのくらいの時間が経ってるの? どーしてボクはハダカなの?

……一体、誰がボクを助けてくれたの?

   涙と同じくらい後から後から涌いて来る疑問に、応えてくれる人はいなかった。

   ベッドの上で鼻まで布団を引っ張りあげたまま、緑は答えの出ない疑問を考え続けていた。
 
 
 
 


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