【五行伝 ― 新緑の道標 ― 】
 
 
 

第二章 ― 決意 ―
 

4.
 

  ザワザワ…
  ザワザワザワ…

   ここは、【五行】メンバー達の集会所……通称【広間】。ドーム型の天井、岩肌むき出しの壁。正面奥は一段高くなっていて、まるで舞台か何かの様になっている。周りの壁沿いに立てられた無数の松明が、赤々とした揺らめく光を放っていた。その光に照らし出されていたのは、【五行】を構成する全ての部隊――【水円】・【炎角】・【金欒】・【木壑】・【土流】――の隊員達だった。部隊毎に整然と隊列を組んでいた(いや、隊列は揃っていたが、今度の”事件”があまりに衝撃的だった為か、「静粛」というわけにはいかなかった)。全ての隊員たちは、色違いの揃いの装束――平安時代の陰陽師の様な、例の服だ――に身を包んでいた。

   その数、総勢47名。

   「全員集合」という司令だったが、本来いるべき人物が何人か欠けていた。【水円】の列の先頭には渚が立っていたが、”翁”はまだ登場していないらしい。【炎角】には当然燈火の姿はなかったし、【金欒】にも剣の姿はない。【木壑】に至っては、緑はもちろんのこと、燈火との闘いで傷つき倒れた柊吾の姿もなかった。全員集合していたのは、皮肉な事に嶺率いる【土流】だけであった。

   かくして【広間】に集められた47人の能力者達の間では、今度の事件に対する憶測が乱れ飛んでいた。
 
――燈火は”翁”の孫娘である緑を攫って人質とし、頭領の座を狙っているのだ――
――いいえ、きっと緑が燈火様を誘ったのよ。ああっ、燈火様!どうしてっ!?――
――いやいや、ついに燈火殿と緑殿が協力して”翁”に反旗を翻したのだ――
――くっそう、緑ちゃんっ! なんで俺を誘ってくれなかったんだぁっ!?――

   等々。良くも悪くも、若くして非常に高い能力を誇っていた燈火と緑は【山】では有名人だった。その強さに憧れるもの、異性として惹かれるもの、二人の高い能力に嫉妬しているもの。集合していたほとんどの者達は、事の顛末をまだ聞かされていなかったので、好き勝手な予想が【広間】の中を支配していた。
 

「……なぁ、渚チャン? 燈火クンと緑チャンはどうなったんや?」
「もうすぐわかるよ、嶺殿。”翁”が直々に発表するみたいだから。」

   人懐っこい笑みを浮かべたまま金髪トンガリ頭を揺らしてこちらへと振り向いた嶺からの質問に、渚は正面を向いたまま答える。

「ふーん…”翁”から直々に、ねぇ……。ヤッパそうとう頭に来とるようやな、あのジィさん。」
「……まぁ、当然でしょうね。”翁”は『抜け』を異常な程に嫌っていたから。理由がなぜかは、わからないけどね。……もしかして、嶺殿ならご存知なんじゃない?」

   渚は正面を向いたまま、相変わらずの笑い顔をした嶺に向かって逆に質問を返した。嶺はいつもこんな風に笑みを絶やさない男で、明るくて人当たりもいい。糸目だが容姿も悪くない。女性隊員の中には、このヤサ男に憧れの熱い視線を送っているものも何人かいる事を、渚は知っていた。しかし、その割には渚はどうもこの男が信用出来ない…というか虫が好かなかった。この男にはきっと何か裏がある。渚の直感は、初めてこの男に出会った12歳のあの冬の日から、ずっとそんな警鐘を鳴らし続けてきた。

   嶺は渚の質問に対してその糸目を細めてニヤッを微笑んで見せる。そして、正面に向き直りながらしれっとした調子で答えた。

「なんや渚チャン、オレがそないな事知っとるハズがないやろ? お茶目さんやなぁ、ホンマっ」
「そうよね……ごめんなさい、ヘンな事言って。」

   渚も、正面から視線を逸らさずに相づちを打った。やっぱりというか、嶺は渚のカマかけにはまるっきり乗って来なかった。それは彼の微笑みが絶える事が無いのと同じくらい、いつもの事であった。嶺は渚に信用されていない事を知っている。その上で、こうやって陽気に話しかけて来るのだ。人一倍鋭い直感を持つ渚にはそれが分かってしまう。そんな所も、渚が嶺の事を気に入らない点の内の一つだった。

(まったく、このキツネニーチャンときたら……なに考えてんのかさっぱり分からないわっ)

   心の中でそう考えて、渚は小さな溜息を吐く。嶺は横目でそんな渚の様子を見取って、クックック…と押さえた笑いをこぼした。
 

   と、その時。先ほど隊員達が入ってきた大きな入り口とは別の、舞台の横にある小さな入り口から、滑るような静かな足取りで”翁”が入ってきた。同時に今までざわついていた広間の中が一瞬にして水を打ったように静かになる。

ザザザザッ!

   自分達の頂点に君臨する頭領の登場に、全ての隊員は土むき出しの床に肩膝をついて首を垂れた。”翁”はそのまま舞台の中央へと進み出ると、広間を埋め尽くした部下達の方へ向き直った。

「皆のもの、表を上げい。」

ザザザッ ザザッ

   ”翁”の一声と共に、全員一斉に立ち上がり、休めの姿勢を取る。素晴らしい統率ぶりだった。如何に”翁”の支配が行き届いているかが良く分かる。しかし、”翁”はそんな部下達の一糸乱れぬ動きには意も介さずに、おもむろに話を始めた。

「もう聞き及んでいる者もおると思うのじゃが、昨晩、【炎角】隊長である伊達 燈火と【木壑】隊員の 斎藤 緑の二名がこの【五行】より『抜け』ようとした。」

   ”翁”はそこで一旦言葉を切ると、目を隠すほどに長く白い眉毛の片方を上げた表情のまま、【広間】中に集った隊員達の一人一人に目を走らせる。しかし、誰一人として驚いた様な表情や仕種を見せるものは居なかった。

「……どうやら、みな知っておるようじゃの。燈火と緑の両名は、まず【木壑】隊長の朝倉 柊吾を退け、【翔】で逃亡を図った。報告を受けた後にワシが直々に両名を追い、『掟』に従って彼等を抹殺した。」

   ”翁”は何の感情も篭らない声で事実のみを淡々と報告した。今度は、驚かない者の方が少なかった。【広間】の大きな天井に隊員達のどよめきが反響する。間違いなく、”翁”を除けば ”【五行】最強の男”であった燈火が、こうもあっさりと倒されるとは。いかな”翁”と燈火が『水剋火』の関係にあるとはいえ、だ。

   ところで”翁”の告げたこの事実に驚かなかった者とは、渚・嶺・堅哉の三人であった。渚は嶺がまったく表情すら変えない様を横目で見て取りながら考えた。

(この人の場合、表情を変えないからといって”驚いていない”、つまりこの事を知っていた、とは限らないのよねぇ…これだから糸目は信用できないのよっ)

   そんな渚の視線に気づいたのか、嶺は渚の方をチラッと見るとニコニコしながら小さくパタパタと手を振った。自分が見ていた事を気づかれて、渚は慌てて前に向き直った。

   ともあれ、「燈火が死んだ」と聞いて、集った47人の内ほとんどの者が多かれ少なかれ悲しみの感情を感じていた(「緑が死んだ」という事に対しては若い男性隊員はもちろん、ほぼ全ての者達が深い悲しみに沈んだ)。若くして隊長まで上り詰めた燈火が蹴落としてきたライバルは多数居たが、キザだがどこか抜けていている燈火のことを、皆憎み切れないでいたのだった。

   ただ一人を除いては。

   その”一人”は小さな声ではあったが確かに歓声を上げていた。目立たないようにではあったが、ご丁寧に握り拳でガッツポーズすら取っていた。

「ハッハァ、燈火ぁ……。いくらお前が【火気】の能力者としての力が優れていても、”翁”にやられちまっちゃぁお仕舞だなぁ…。クゥックックック…」

   その男の声はもはや周りの者に聞こえるくらいの大きさにまでなっていた。渚はそちらへ向かって露骨に辛辣な視線を投げかけたが、恍惚とした表情の男はまったく渚の視線に気づく様子はなかった。
 
   その時しばらく黙ったまま隊員の反応を確かめていた”翁”が、唐突に話を再開した。

「それでじゃ。欠席となった【炎角】隊長は、現・副隊長である 神保 輝煬。オヌシに任せる。よいな?」

   ”翁”に自分の名前を呼ばれて、始めてその男――神保 輝煬(じんぼ きょう)はハッと我に帰る。片膝をついて平伏し、”翁”の命令をその身に受ける。

「この身にあるまじき幸せに存じます。この神保 輝煬、【炎角】隊長となったからには粉骨砕身、より一層【五行】の為にこの身を捧げる所存にて……」
「もうよい。とにかく頼んだぞ、輝煬よ。」
「ハハッ!」

   紅潮した顔の輝煬の、長ったらしい口上を”翁”は途中で遮った。輝煬はその言葉に恐縮したようにさらに深く頭を垂れる。そして”翁”はもう一度長い眉毛に隠された暗い眼窩から発する冷たく鋭い眼光で目の前の部下達をぐるりと一瞥して言った。

「オヌシらに申し渡す。今までも、これからも。どのような理由があろうと、またどんな者であろうと。【五行】から『抜け』る事は決して許さん。……そう、決し
てじゃ。……よいな。」

   その言葉の意味する所を察して【五行】の隊員達は心の底から震え上がった。”翁”は、たとえ五部隊の隊長であろうと、たとえ……自分の孫娘であろうと、『抜け』を決して許さない。多かれ少なかれ隊員達は”翁”の圧政に対して不満を持っていたが、今回の件で「”翁”に逆らえば確実なる死が待っている」という事を彼等はイヤと言うほど思い知らされたのだった。

「では、輝煬と渚はここに残るのじゃ。後の者は解散とする。」
『ハハッ!!!』
 
 
 

   そして、数分後。

「なにか?」
「…………」

   先ほどまで所狭しと隊員達が並んでいた【広間】だったが、今は”翁”と渚、そして新【炎角】隊長である輝煬の三人しかいなくなっていた。その為、ただでさえ石と土むき出しの【広間】はさらに殺風景に、ガランとして見えた。

   ”翁”は一段高い舞台の上から、自分の足元に立つ渚と輝煬を見下ろしていた。そして、先ほどと同じように片方の眉毛を上げて、渚をねめつける。

「渚。オヌシ、ワシになにか言う事はないかのう?」
「ハッ。……御言葉の意味がわかりかねますが?」

   ”翁”の射るような視線を全身に浴びて、渚は額に汗が浮かびあがるのを感じながらもなんとか平静を装って答える。

「今日の会合に剣が出てきておらんかったのは気づいていたな、渚?」
「ハ。……そういえば…確かにそうでございましたね? なにかあったのでしょうか?」

   ハッキリと弟の名前を出して聞いて来る”翁”の言葉を聞いても、渚はなんとか誤魔化し続ける。”翁”はそんな渚の様子を見てギラリと妖しく目を光らせた。

「フ…フォッフォッフォ、まぁよいわい。ともあれ輝煬よ。どうやら剣までもが『抜け』たようじゃ。」
「え? な、なぜそうお考えになるのでしょう?」

   輝煬は”翁”の言葉にキョトンとした表情になる。
 
「今まで剣が会合に遅れたり、また欠席した事は一度たりとも無いのじゃ。のう渚、そうじゃな?」
「……ハッ」
 
   渚は今度は俯いたまま辛うじて首を縦に振る。”翁”はなんでもお見通しだ。…恐ろしいほどに。自分が、弟が『抜け』たのを知っていると言う事も、当然見抜かれているだろう。
   だが、”翁”は渚に対してはそれ以上追求はしなかった。代わりに、輝煬に厳しい口調で命令を下す。

「輝煬、オヌシが剣を追うのじゃ。オヌシでも『火剋金』の関係がある以上、剣に遅れをとる事はあるまい?」
「……お言葉ですが”翁”。たとえ相剋でなくても剣如きに遅れはとりませぬ。」

   輝煬のその分不相応な自信に溢れた言葉を聞いて、”翁”は「フォッフォッフォ」
と笑いをもらした。

「とにかく行けぃ、輝煬よ。『掟』を破りし剣を始末するのじゃ。」
「ハハッ! お任せくださいっ!!」

   輝煬は威勢良く答えると、一礼してから凄いスピードで【広間】から駆け出して行った。 渚は俯いたまま二人のやり取りを聞いていたが、その間中、彼女の黒く美しい瞳にはありありと怒りの色が映し出されていた。

(ハッ、アンタに私の弟が倒せるとでも思ってんの? ムダよ、ム・ダ! 相剋だろうがなんだろうが、剣はアンタになんてやられはしないわっ)

   そう思いながら渚はキッと顔を上げると、「失礼します」と言い残し、返事も待たずにスタスタと足早に【広間】を出ていった。

   誰もいなくなった虚ろな【広間】の中に、”翁”が一人、残された。

「ふむ。剣が『抜け』た、いや”戻らんかった”か。そうか……」

   ”翁”は言葉の先を続けなかった。しかし、踵を返して小さな方の入り口へと引き返していく”翁”の顔には。

   なぜか奇妙な微笑みが浮かんでいた。
 
 
 

コツコツコツコツ……
コツコツコツ・……

   まるで地獄の底へと続いていくかのように暗い【山】の通路。
 
   その中に、二つの靴音が響き渡っていた。
 
   ”翁”の招集からの帰り道、嶺と堅哉は連れ立って【土流】詰所へと向かっていた。

「剣クンがおらんかったなぁ……気づいとったか、堅哉?」
「もちろんです。どうやら剣までもが『抜け』たようですね。当直の隊員が”翁”の二時間後くらいに【山】から翔び立っていく剣の姿を見ていますし。ヤツはかなり緑に熱を上げていましたから。しかし、緑が”翁”に始末された以上、それももう……」

   堅哉は嶺の質問に対して首を振り振り答える。しかし、丁度辿り着いた詰所の扉を開けながら嶺は呆れたような声を出した。

チャッ

「堅哉……自分な、もう少し頭働かしぃや? ええか、もし剣クンがホンマに『抜け』よったとしてや。”翁”が緑チャンと燈火クンを殺ってから、すでに12時間以上過ぎとるんやで? ……剣クンの目的は緑チャンだけなんやから、あの場におらんかったのは不自然やろ?」
「!?……確かにそうですね、もう戻って来ていてもおかしくない。つまり……」

   執務室のソファーセットにドサリと腰掛けながら、嶺は堅哉の言葉の先を促した。座った拍子に針の様に尖った嶺の金髪は、まるで風に吹かれるススキの様に一斉に揺れる。

「つまり、なんや?」
「つまり、剣が緑、またはもしかしたら燈火かもしれませんが……とにかく、どちらかが生存しているのを発見し、救出した。だから、剣は【山】に戻ってきていないのでは?」

   嶺は堅哉を指差してウィンクしながら「BANG!」とやって見せる(とはいえ彼の糸目では、はっきり言って”ウィンク”かどうかは良く分からなかったが)。

「ビンゴや。その可能性が高いと思うで。……まぁあくまで”可能性”やけどな。」
「わかりました。その可能性を考慮に入れて調査を進めます。」

   堅哉はソファーには結局腰掛けずに、一礼すると執務室を出ていった。

   一人残された嶺は、テーブルに両手をついて顔の前で腕を組む。

「”翁”ぁ……自分の最大の弱点、どうやらまだ無くなってもうたわけやないようやなぁ……」

   嶺は殆ど聞き取れないような小声でそう呟くと、その笑い顔に「ニィ…」とさらに歪んだ笑いを浮かべた。
 
 
 
 


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