じゅらい亭RPG第一部最終話
      3

  剣を携えた夕凪が戻ってくると、夜明は静かに語り出した。
「みなさん……。力をお貸し下さい」
  誰もが、息をひそめて彼女の言葉に耳を傾ける。
「これから、『導きの星杖』の力を借りて『ガイアを支える処』へと転移いたします。正
直、今の段階でなお、私たち天使の記憶は定かではありません。『ガイアを支える処』の
正確な位置がつかめていないのです。ですから……みなさん。翠流を想って下さい。どん
な形でも構いません。彼女を想い、彼女に出会うことを心から願って下さい。その『想い』
を束ね、私たちの力と共に『星杖』に注ぎます」

  そして。
  誰もが想った。翠流の事を。
  「何か」に縛られ、その体を拘束された、美しい天使。
  未だに抽象的にしかわからないが、何故か「美しい」とだけはわかる最後の七天使に、
全員が会いたいと想った。
  白夜を止められる唯一の人物として。神により課せられた「ガイアを支える者」などと
いう使命を遂行する、悲劇の天使として。仲間として。友達として。……として。
  みなの想いを束ねる最中、ふと、仙祈は集中のために閉じていた目を開いた。翠流以外
の者を想う思念を感じたからだ。
  夕凪が、涙を流していた。彼女は一人、白夜を想っていた。もちろん、翠流のことも。
(健気ですね……)
  仙祈は、誰にも悟られないような心の深い部分で、そうひとりごちていた。
(自分の想い人が、昔からの友人を愛しているのをすぐ近くで眺めていながら、嫉妬する
でもなく、祝福し、自分だけ孤独を感じている……。貴方らしい)
  小さく苦笑を漏らし、再び目を閉じた。
(人一倍優しい、だからこそ、人一倍心を傷めてしまう。……本当に貴方らしい)
  それきり、仙祈の心から雑念は消えた。

  端から見れば、奇妙な光景だったかもしれない。
  一枚の銀鏡のように磨き上げられた氷原のただなかで、一振りの剣を中心に五芒星を象
るように立った五人の天使が、優しい光を発しながら精神集中を行っている。
  その周りには、十数人の男女が立ち、やはり一心不乱に一人の女性を想っている。
  五人の天使の魔力を乗せた常連たちの「想い」は、ザン○ルマの剣に、久々の充実感を
与えていた。自分が生み出された「目的」に沿った使い方をされていることが嬉しいとで
も言うように、剣は──「導きの星杖」は、段々と明るさを増しながら光輝いていた。

  その瞬間は、誰も気づかぬうちに来た。
  ヴュン!!
  一瞬のまばゆい閃光の後。
  北極海の、「夜想城」跡地から、全ての気配が消え去った。
  ──いや、一つだけ、残っていた。
「く、うぅ、……翠……流……………!!」
  先程までじゅらい亭常連たちがいた場所から数キロ離れた氷山の中に、白夜は半身を埋
没させていた。
  一瞬の隙が出来たところに大容量のビームを集中的に浴びたためとっさに転移したのだ
が、ビームの干渉のせいか目的地と座標がずれ、こんな場所に出てしまったのだ。どうや
ら、何分か気を失っていたらしい。
  だが、疏浄たちの『呼びかけ』は聞こえていた。その中にあった『事実』も。
「何……ということだ……。僕は……とんでもない過ちを犯してしまったのか……。だと
したら、僕はもう………くっ、許してもらえ…ないかもしれない」
  氷山から身を起こし、白夜は背中から純白の翼を広げた。そして、先ほどまで常連たち
のいた場所までよたよたと飛んでゆく。
「でも……う…っ……。謝らなくてはいけない。あの人たちにも……みんなにも……ぐっ、
そして……翠流にも…………『約束』を護れなかったんだ……………………」
  白夜の『眼』には、他の七天使たちの行き先を示す『道』が見えていた。力の残滓で出
来た『道』だ。それをたどっていけば、翠流の元へと辿り着くことができる。
「……翠流!!」
  そして、最後の気配も消滅した。

  少しだけ、時間はさかのぼる。
  白夜に十数分先んじて「ガイアを支える処」へと辿り着いた常連たちと五人の天使であ
ったのだが……一つの障害があった。
「うっひゃー!デカい扉だなコリャ……」
「おっきぃ声出さないでよねバカ兄貴、恥ずかしいでしょ……」
  焔帝にツッコむルネアであったが、その声には力が入っていない。
  それもそのはず。転移を終えた彼らの前にあったのは、上下左右の端が見えないほど伸
び続ける壁と、それから見れば小さいが、中型のビルなら縦にしたまま入りそうな、巨大
な金属製の扉だった。
  周囲もまた、奇妙な風景となっている。
「ちょっと、気味が悪いですね……」
「あぁ、でも……殺気とかそういうのは、感じないけど」
  白ではなく、鈍く輝く青白い霧の立ち込める、茶色い平原の向うを不安げに見つめる風
花に、レジェは思ったままの感想を言う。右腕にひしと掴まっている燈爽の頭を、ぽむぽ
むと軽く叩いてやりながら。
「あぅ、痛いですぅ」
「気にすんなよ」
  扉は、どうやら向こう側からかんぬきがされているらしい。七天使中第二の戦闘能力を
持つという慧焔が試しても、決して開こうとはしなかった。
「開かねぇってんなら……」
「やっちゃいますか♪」
  乾いた唇をぺろりと舐めながら言う幻希に、どうやら精神的復活をとげたらしいゲンキ
が唱和する。ずずいと前に出て……構えをとる。
「あ、ちょっと待った方が……」
  nocの制止など届く間もなく。
「滅火!」
「ソルクラッシャー!」
  二人の『力』が、巨大な扉に向かって放たれた!
「いけません〜!」
「おやおや、暴力的ですねぇ(笑)」
  ヴィシュヌと矢神が、とっさにバリヤーを形成する。彼らの近くにいなかった者たちは、
七天使の作ったもので護られる。
「何っ!?」
「るろ?」
  扉に命中した、絶対的な破壊力を持つ二つの『力』は、一秒ほど静止していたかと思う
と、射手めがけて殺到してきた。
「くっ!滅火!」
「ひぁべぅ」
  弾き返された滅火を同じ滅火で相殺する幻希。隣では、ゲンキが上半身を消し飛ばされ
て仰向けに転がっていたりする。まぁ、放っておけば回復するのだろうが(笑)
「むぅ……。この様子だと、拙者のゴルディオ○・ハンマーも無駄のようでござるな……」
  ヴィシュヌの結界の中で、じゅらいがひとりごちる。クレインも肯く。
「俺が複数の召喚神の力同時にブツケさせても、同じ、でしょうね……」
「……私なんて、やること自体ありませんよ………」
  隅の方でいじけているこのはには誰も構わず、皆一様に、頭を悩ませている。
「やはり、白夜がいなくてはダメなのでしょうか……」
  夕凪の呟きに、矢神の脳裏に一つの単語が浮かんだ。
「【開放者】……」
  白夜の混乱した記憶の中での、夕凪の呟きである。翠流が「ガイアを支える者」である
ように、白夜は【開放者】であるという。それが暗示していたのは、この扉のことだった
のか。
「しかし、彼は、呼びかけに答えてはくれなかった……。まだ、混乱した記憶を抱えたま
ま、苦悩の中にいるのでしょうか……」
  自分たちが転移してきた方向を何となく眺める夕凪。その目に、一筋の光が見えた。曇
天を貫く白光のように、空間から美しい光が溢れ出していた。そこから現れたのは……。
「白夜!」
  夕凪の叫ぶような声に、皆、何事かとそちらのほうへと目をやる。当の夕凪は、既に彼
の元へと転移していっている。仙祈が苦笑を漏らしているが、誰も気づいていない。
「大丈夫ですか、白夜……?」
  ズタボロになった白夜を支えてやりながら、夕凪は癒しの力を注いでやっていた。
「あぁ、ありがとう……。これで、みんなに謝ることができる」
  彼女の肩を借りて皆の元へと歩いてきた白夜は、しばらく何も言わず、立っていた。
「すまない」
  その一言を言って、また、黙り込んでしまう。うつむき、地面に視線を送ったまま、彼
は下唇を噛んでいた。
「僕は……僕は取り返しのつかないことをしてしまった。記憶が操作されていたとはいえ、
デマドの遺産を用いて、影とはいえ『生』を弄ぶようなことをした。君たちの仲間も、死
ぬ目に合わせた……。挙げていけば数限りない。罪は、あがなわなければならない。許し
てくれとはいわないけど……これだけは言わせて欲しいんだ。『すまない』と」
  天使失格だなと自嘲の笑みを浮かべる彼に、優しい声がかけられた。
「もう、いいでござるよ」
「え?」
  顔をあげると、そこは「じゅらい亭」店主のじゅらいがいた。
「君は……心の底から反省しているね?」
「え……えぇ」
「だったら、拙者はもう、許すでござる」
「そんな、簡単に許してくれるんですか……?」
  じゅらいはにっこりと笑った。
「口先だけ謝ることなら、誰にでもできる。でも、心の底から反省し、自分の行いを罪と
認めている者に、それでも罰を下すようなことを、拙者は望んではいない。あとは……自
分が納得の行くまで贖罪して……そして、二度と繰り返さないこと。それで十分だと、拙
者は思うでござる」
「しっ……しかし!」
「白夜」
  静かに話しかけたのは、夜明である。
「あなたが作り出した『B・シリーズ』『W・シリーズ』は、夜想城内部にあった『遺産』
消滅と同時に、この世界から消えました。そして……あなたに伝えて欲しいことがあると、
言っていました」
「え……?」
「代表して、B・ジュライが去り際に私に遺していったメッセージを伝えます」
『あなたが愛のために狂ってしまったことを、我々は知っていました。そして同時に、人
の精神を分断して作られた私たちには、あなたの記憶が操作されていることもまた。どう
か、元のあなたに戻って下さい。そしてどうか、あなたの愛が成就しますように。我々は、
あなたに作られた「かりそめの生命」でしたが……次の世界では、真に「生命」として転
生できます。気に病まないで下さい。それが、我々の共通の願いです』
「あぁ……!」
  白夜は、膝からその場にくずおれていた。熱い涙が頬を伝う。
「僕は……僕は…………!!」
  罪悪感が埋め尽くしていた胸に、何か別の、暖かいものが広がっていく。それは、涙と
なり、両の目から溢れ出し、土の露出した地面に点々と跡を残し、染み込んでゆく。
「さぁ」
「……!」
  再び顔を上げれば、そこには手のひらがある。さらに目線を上げれば、そこにはやはり、
じゅらいの顔があった。優しく、力強い笑みを浮かべて、じっと自分の瞳を見つめている。
「消えていった彼らの想いに応えるためにも、さぁ、早く立ちあがって。扉を開いて、翠
流さんを助けてあげなくては……ね?」
  周りを見回してみれば、皆が自分のほうを向いて、微笑んでいた。殺しかけた猫耳の少
女も、にこにこと微笑んでくれている。
「はい……」
  彼の手をとり、立ち上がりながら、白夜は長らく忘れていた『神』へと祈っていた。
(あぁ、神よ。感謝いたします。僕を「天使」として生まれさせて下さったことを。この
方々と出会わせていただいたことを、心から感謝いたします……!)

「白夜……」
  夕凪が、矢神から借り受けたザンヤル○の剣──導きの星杖を白夜に手渡す。
  思いつめたような、辛い表情で、夕凪は白夜の顔を見つめる。白夜は、静かに一つ肯き、
「ありがとう」と言って背を向けた。うつむく夕凪。
  足早に、しかし決して慌てるような感じではなくさっそうと、白夜は巨大な鉄扉の前に
立つ。一度、見上げて、目をつぶる。
(この向こうに、翠流が待っている)
  そう思うと、ここに至って不思議と、安心感に包まれる自分を感じる。だが、彼は気を
引き締め直し、告げた。
「はじめるよ」
  彼の言葉に、後ろに立つ五人の天使が──そして、じゅらい亭の常連たちが静かに肯き、
精神を集中し始める。彼らを、淡い光が包み……その光が、「導きの星杖」に、白夜に収
斂されてゆく。
  その光は「力」だ。翠流を想い、助けようと念じる強い想いが、光の形となって視覚に
は感じられていた。
  白夜は、その膨大な「想い」を感じながら、精神を昂ぶらせてゆく。
(あぁ……翠流。君は、感じているかい?これだけの人が、君のことを想ってくれている
んだよ……)
  白夜の体を、光の渦が包む。夜想城の時と同じように、竜巻のように渦を巻く。煌きは
轟々と吹き荒れる風に見えるが、戦いの時のような攻撃的な部分はない。
  光の乱舞が消えた時、白夜の姿は、変化していた。あの時と同じように、翼が一回り大
きくなっており、全身を鎧が覆っている。違うのは、その色が先程とは違って純白である
ことと、顔を覆っていたマスクがなくなっていることだ。
  心の闇が晴れ、自分の心を開いた今、その精神状態は、鎧の形状にも影響していた。今
の白夜に、迷いはない。そして、本来の記憶も力も、取り戻している。
  ……力が、漲っている。
  じゃりっと音をたて、白夜は右足を下げ、左腕を前に伸ばす。その手で、右手に持った
星杖の先端を支え持つ。
  その姿は、凛々しく、聖なる気に包まれていて……美しい。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………………!!」
  皆の想いの高まりに合わせ、白夜の気も増幅していく。導きの星杖の刀身が、それに共
鳴するかのように鈴の鳴るような音を発しはじめる。
  白い光が、扉の輪郭すら霞ませるほど強まった瞬間、白夜は扉めがけて跳んだ。
  いや、飛んだ、という表現のほうが正しいだろう。彼の純白の翼が大きく舞い広がる。
その姿には、戦士というよりも一羽の神鳥といった形容が似合っていた。
「翠流!!」
  叫びと共に突き出された星杖は、主たる白夜の想いに応えるように黄金色の光の粒子を
振りまきながら、その刃を数倍にまで伸ばした。
  扉の、ほんのわずかな隙間に深々と突き刺ささった星杖は、巨大な門を封じていたかん
ぬきを、一瞬にして粉々に破壊し尽くしていた……。

  扉と壁とを繋ぐ無数のちょうつがいたちは、不満を表すように盛大にきしみながらも、
招かれざる者たちの前に門扉を開放した。