じゅらい亭RPG第一部最終話
4 薄暗く、しかし決して行動を制限しない程度には明るい廊下を、ひたすらまっすぐに歩 いてゆく。数百メートルか、数キロか……距離感覚を麻痺させるほど続く、全く同じ光景。 それは、内部にあるものの重要さと、危険さを表しているようにも思える。 そうして歩き続けた果てに──彼女は、いた。 「翠流!!」 白夜が、数歩進んでから、止まる。 白夜の夢の中で見たヴィジョンと同じ女性が、そこには、いた。 薄い緑色の髪。使命のために切ったのか、その髪は肩口あたりで切り揃えられている。 純白の装束には、ところどころに輝く小さな宝石すらちりばめられている。その姿は、巫 女を思わせた。 が、彼女の姿は痛々しいものだった。 地上から突き出た十メートルほどの高さの台の上に立つ彼女の体には、光る鎖が幾重に も幾重にも巻き付いていて、肉に食い込み、赤い血を流させている。台の周囲には、彼女 が流したと思われる血の痕が……長い年月をかけて描かれたような、奇怪なグラデーショ ンを成していた。 衣装を汚す血痕さえも、なにがしかの意味を込めた紋様であるかのように思えるほど、 その姿は神秘的で美しく──この上なく、痛ましい。 白夜の声に反応して、彼女のまぶたが痙攣し……開く。 深い緑の双眸が、白夜の顔を捉え、笑みの形に歪む。 「来てくれたのね……」 ほころんだ笑顔は……天使の笑みなどという表現では薄弱と思えるほど魅力的で……し かし、犯しがたい神聖な雰囲気に包まれていた。男性陣のほとんどが魅了され、女性陣す らも惚けたように見入っている。 「翠流……ごめん!約束……守れなかった……………」 雨に打たれる哀れな捨て猫のような白夜に、翠流はやはり、優しい微笑を浮かべていた。 「いいのよ……。あなたは来てくれた。それだけで……私、嬉しいから……」 「でも……あの時、君は言ったじゃないか、僕に。『忘れないで』って……なのに僕は… …」 台の上で、彼女はゆっくりと頭を振った。 「私は……見てたのよ。地上で起きていたこと全て……。あなたが何をしたのかも、その 方たちとの間に何があったのか、全て……」 白夜の顔に、脅えがはしる。嫌われたくないという心が、その面には現れていた。彼女 の前に立った瞬間、白夜は一人の少年に立ち返ってしまうようだった。 「私は……嬉しかった。記憶を封印されても、あなたは私のこと、想っていてくれた。そ れだけで、私は満足よ」 「……そうか………思い出したぞ………」 レジェは、慧焔が呟くのを聞いた。同じようなことを、疏浄も言っている。 「私たちは……自ら望んで、記憶を封印していたのですか……!」 「来たのだな」 その場に、荘厳な声が響き渡る。翠流以外の六天使は、はっとしてその場にかしこまる。 翠流は、そうしたくともできないのだ。 ちょうど、常連たちと翠流の中間あたりの空中に、光が三つ、現れた。見ていると、そ れはしだいに人の形をとってゆき……三人の、鎧兜をまとった天使の姿になった。 全員、顔の上半分を覆った仮面をつけており、体から放射される光の清浄さ・強さは七 天使の比ではない。七天使の態度から見ても、彼らは上位の天使のようだ。 唇に薄く紅をひいた中央の天使が、白夜を見下ろし、口を開く。 「白夜。よくぞ来た。途中経過は別として、与えられた任を、よくぞこなして見せた」 「は……?」 だが、白夜は要領を得ない様子で、間抜けた返事をする。苦笑を漏らし、どうやら女性 らしいその上位天使は、すっと手を伸ばし、二言三言呟く。 すると……その場にいた全員の頭の中に、映像が流れ込んできた。 ファンタジー世界に生まれた者には、到底理解できないような光景が広がっていた。科 学の存在する世界に生れた者になら、テレビの編集室とか交通管理局の管制室などという 表現を用いれば理解できるだろうか。 ずらっとならんだいくつものモニターの前に、数百人単位の天使たちが並び、必死にな ってコンソールを操作している。上下左右前後……ほぼ球体に近い形をしたその「部屋」 には、全ての壁にモニターとコンソールがあり、天使がついている。重力方向の操作など、 ここにいる者たちには造作ないこと。それができないような低級の天使など、ここにはい ない。 その彼らの顔に表れているのは、焦りや恐怖、絶望といった「ここにいる者が感じては ならないはずの」感情であった。 「【ガイア】剥離!!」 「ダメです!【アンカー】作動しません!」 「クソっ!!何が起ってるんだ!?」 「なっ!【ウラノス】も剥離始めました!」 「そんな!!『神』は、我々を見捨てようというのか!?」 彼らにしかわからないような専門用語が飛び交う中、常連たちは、その意味をほぼ正確 に理解できていた。わからない部分は、七天使が補足してくれる。 「我々の存在しているこの世界は、特殊な構造をしている」 それは、慧焔の声だった。 「【ガイア】というのは、『大地』。『神の庭』のことを言う。そして、【ウラノス】。 こちらは、その『庭』に作られた『囲い』のこと。テーブルの上にコップが伏せてあると 考えろ。我々の済む世界は、そのコップの内部に広がる空間なのだ」 「【アンカー】というのはその名の通り『錨』。『大地』とこの世界、もしくは『天空』 たる『囲い』とこの世界をつなぎとめるための魔法装置のこと」 次に説明をはじめたのは、疏浄。 「この『管制室』内部にいる天使、そしてこの『管制局』内部にいる天使の力を以って発 動する、強力な『錨』……。しかし、その構造には本質的欠点があったのです。それを発 見したのは……この瞬間。つまり、手後れになる寸前だったのです。どうしてそんなこと になったのか、今ではわかりません。もしかしたら……それもまた、神のご意志だったの かも……」 続けて夜明。 「もし、【ウラノス】及び【ガイア】がこの世界から離れてしまったら、どうなるか、わ かりますか?慧焔は言いましたね?『コップの内部に広がる空間』がこの世界だと。コッ プの口を塞いでいたテーブルは失われ、コップは何者かによって移動されてしまった。中 にある世界はどうなるでしょう?……答えは、霧散……、つまりは、消滅です」 「この『管制室』の天使の慌てよう、滑稽にも見えますが、その実、当然のことだったん ですね。何せ、自分たちの失敗が即、全『世界』の存在の消滅なのですからね」 仙祈が、苦笑まじりに話し出す。 「そこで、一部の天使は発見したのですよ。【アンカー】の欠点を補う方法をね」 「『人身御供』……。最初、その方法を発見した天使たちは激しい苦悩に陥りました。… …純粋な心を持つ天使を一つの『部品』として組み込むことによって初めて……【アンカ ー】は正常にその機能を発揮するのだという事実を知ってしまったからです……」 感情のない声でぽつぽつと説明するのは、夕凪。 「足りない『部品』は、丁度十個……。【ガイア】用に六つ、【ウラノス】用に四つ……。 結局、事実を知った天使たちは上司に報告し、即時、十人の『部品』が用意され、【アン カー】は無事、作動するにいたったわけです……」 その説明に、風花やルネアなどは涙を流し、幻希を始めとする何人かは、そのやりかた にやるせない憤りを覚えた。が……黙っていた。 「一度組み込まれた『部品』は、最低でも千年は経たなければ交換できない。そんなこと が何度かなされているうち、彼ら『部品』の呼称が変わった。【ガイアを支える者】、【 ウラノスを繋ぎ止める者】……。『上』たる【ウラノス】を繋ぎ止め、『下』たる【ガイ ア】を支える……。表現を逆にしたことで文学的意味合いを持たせたつもりなのかどうか、 わからないけど……」 白夜の力ない説明は続く。 「やろうとすれば、もっと効率のいい【アンカー】だって作れたはずなんだ。デマドだっ て、発展しきった状態でも次々に新たな物を発明していった。僕ら天使がどうして、進歩 できないことがあるんだ?……そうなんだ。あえて、そうしなかったんだよ」 「上のほうの天使の方々は、私たち『部品』を、別の目的で使うことにしたようです」 翠流本人は『部品』という呼称を、別に気にしていないらしい。逆に、飾った表現であ る【ガイアを支える者】などという呼称の方が嫌だった。 「私たちを使えば【アンカー】が正常作動することがわかった以上、もう心配はない。そ んな風に考えたんでしょう。今度は、私たちを通じて、神にアピールすることを考えたよ うです。『ほら見てください、私たちはこんなにもあなたのことを想っているのですよ』 『この世界はあなたへの愛で満ち満ちています』『ですからどうか、目をかけてください』 『私をほめてください』……そんな魂胆が見え隠れしていました。私は……それを知った 上で、この任務を受けました」 映像は終わる。 三人の上位天使は、地上に降り立っていた。そして、目の前にかしこまる白夜に仮面の 下から微笑みかけている。 白夜は、全てを悟ったような顔をしていた。今の映像を見ているうちに、失われていた 記憶が戻っていたのだった。 「その時、翠流は条件を出したのだ。お前たち、翠流以外の六天使の記憶を操作してくれ と。そして、もし、白夜が記憶を取り戻し、ここに至るようなことがあれば……新たな【 アンカー】を作り、もう二度と自分のように想い人や家族と離れ離れになるような天使を 出さないで欲しいと」 重ねて、自分が六天使の記憶を操作したと、翠流の望み通りの形で操作したのだと話す。 翠流を除く天使たちも、その考え方に──心の底からとは言わないまでも──共鳴し、記 憶操作を受け入れたのだという。──白夜以外は。 白夜は、上位天使の微笑みを見上げたまま、微動だにできないでいた。 「そして、彼女は間違いなく任務をこなしながらも、君たちのいる地上の様子を眺め、必 要とあらば苦悩する人々を導き、癒しが必要な者には手を差し伸べてきた。こんな辛い環 境にありながら他人をも思いやれる。彼女は、素晴らしい天使だよ」 そして、女上位天使は、じゅらい亭の常連たちの顔を順々に見ていった。 「世界のありようを変える一つの『転機』に立ち会いし、地上の勇士たち。あなたがたに は、心より感謝する。あなたがたがいなければ、もしかすると、白夜は狂ったまま、地上 を荒らすだけの堕天使と成り果てていたかもしれない。六天使の記憶は戻らず、翠流も、 永遠の孤独を抱えたまま、ただの『部品』として過ごすだけだったのかもしれない。だが、 あなたたちのおかげで、世界は変わる。この一件を武器に、腐り果てた上の体制を立て直 す。……本当に、ありがとう」 「いや……別に何もしてないような気が……」 「まぁ、兄貴はね」 「何だとう!?」 焔帝・ルネア兄妹のやりとりに、皆が微笑みを浮かべる。 「それでは、我々は戻って上にことの次第を伝える。もう二度と出会うこともないだろう が……あなたがたの元に、神の御加護のあらんことを祈っている」 三人の上位天使は、来た時と同じように、光の球となって、消えた。 |