「じゅらい亭日記──超・暴走編6」(その3)  ゲンキ



第三章「魔王ノ思惑 竜女ノ困惑」

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 ラーシャに吹っ飛ばされはしたものの、ゲンキはいたって快調だった。いつものことだ
が。
「ふむ、それでは最終的にラーシャとお見合いされる方は、五人……と」
 不機嫌な顔の本人の目の前で、なにやら書類の整理などしている。その紙束の一番上に
は、全て「お見合い申込書」と書かれていた。彼の言葉と五枚だけよけられてる申込書か
らすると、紙束の方は全部お見合いをキャンセルした人達のものだろう。
「いや、それにしても、ちょっと暴れただけなのにねえ。減るもんだ」
 呑気な口調でゲンキが言う。と、それに過剰に反応する者がいた。
「ちょっと?」
 なにやら険のある声である。かといってラーシャではない。暴れたのは彼女であって、
ここで険しい感情を声に顕わすのはその暴走の被害者であるのだから。
 つまり、店主じゅらいだった。
「毎度のことだけど、二階の床と天井に空いた大穴の修理代は、ゲンキ殿とラーシャ殿に
半々で請求しとくからね」
「ううっ……痛い出費だぜ」
「私だって、そんなにお給料もらってないのに……」
 じゅらいの痛恨の言葉に、タイミングを合わせてシクシク泣くゲンキとラーシャ。貧乏
人には気が合うのだ。
 そんな二人を見て、ちょっと離れた場所に座っていたクレインが呟く。
「まったく、相変わらず兄妹みたいに仲いいなぁ」
「そうですねぇ(笑)」
 相席していた矢神も頷いた。先刻のような暴走も、ゲンキとラーシャが不仲だから起こ
ったのではない。むしろ、仲が良すぎてじゃれあっていたようなものである。ただ、その
時に使用されるパワーが二人ともちょっぴり強すぎるだけだ。
「ああ、そうそう」
 と、突然もう一人の相席者、風花が離れた場所の二人を目線で指して言った。
「私、最初にここに来た頃、あの二人って付き合ってるんだと思ってた」
「ええっ? いくらなんでも、それはないでしょう?」
 即座に反応したのは、無論ナンパ王クレイン。「まさかぁ」という顔をしている彼に、
風花はコクコクと頷き返し、ピコッと人差し指を立てた。
「そう。なんか妙に仲良いから、最初はそう思ってたんだけど、よく見ると恋人っていう
よりは兄妹とか親子みたいなんだよね。なんか、ほら……共通する雰囲気みたいなの感じ
ない? あの二人」
 と、風花に問いかけられて、クレインはゲンキとラーシャの方を見る。しばらく、ジー
ッと見つめた。だが、雰囲気が似ているかと言われると、そうは思えない。
「ゲンキさんの怪しい雰囲気と、ラーシャちゃんの可愛い雰囲気と……あんまり似てない
と思うけどなぁ?」
「そう?」
 怪訝そうに眉をひそめて、風花はもう一度二人に顔を向ける。どうも、彼女には二人が
似た雰囲気を持っているように思えるらしい。クレインにとっては、気のせいだと思うの
だが。
「矢神さんは、どう思います? あの二人、似てますかね?」
 と、クレインが黙りこくっていた矢神に訊ねると、彼はハッと気付いたように顔を上げ
た。何か考え込んでいたらしい。
「あ、なんか考えてる最中でした? すみません」
「え? ああ、いえいえ。そうじゃないんですよ(笑)」
 謝ったクレインに、矢神はパタパタと手を振り、
「私も、なんとなくあの二人が似ていると思ってたんですよ。だから、風花さんの言葉を
聞いて、ちょっと考えていて…………まあ、下らないことですよ(笑)」
 と頬を指先でかきつつ笑った。まあ、彼の笑顔はいつものことだが(笑)。
 それよりも、クレインは矢神まで風花と同意見だということに驚いた。そして、再びゲ
ンキとラーシャとに視線を戻す。
「……似てるかなぁ?」
 やっぱり、彼にはまったくそうは見えなかった。



 その日、真夜中になってゲンキは自宅に帰った。ラーシャに泊まりに来るかと訊ねたが、
今日はじゅらい亭に部屋をとったらしい。
「やれやれ、少し飲まないと」
 ボヤくように呟くと、彼は台所の冷蔵庫から蒸留酒の瓶を取り出した。じゅらい亭でも
結構呑んできたのだが、困ったことにラーシャに健康上の注意をされ、アルコール度数の
低いやつしか口にできなかったのである。

ゴクッゴクッゴクッゴクッゴクッ プハッ

「ふう、効くなぁ」
 コップ一杯を一気飲みしてオッサンくさいことを言うと、彼は酒瓶とコップを持ったま
ま居間に戻った。まだ呑むつもりらしい。しっかりツマミも持ってきてたりする。
「明日はお見合いに立ち会うんだから、控えないとねぇ」
 どうやら、控えるつもりはあるらしい。彼のそれが、他人から見てどうかはともかくと
して。

ゴクッゴクッゴクッゴクッゴクッ プハ〜ッ

「ふぅ……」
 またも一気飲みしてオヤジくさく息を吐き出すと、彼はさらにため息まで吐いた。その
手の平には、いつのまにかツマミではなく、一枚の写真が現れていた。古ぼけた写真では
あるが、撮影された頃には大分技術が発達していたらしく、鮮鋭に当時の光景が写されて
いる。
 その中の、ある一点を見つめ、ゲンキは口の端を片方だけ持ち上げた。いつものニヤリ
とした笑みだ。
 そこには、じゅらい亭が写っていた。十二年ほど前のじゅらい亭だ。開店一周年を迎え
た記念の日で、店の前にはじゅらいや看板娘、当時の常連達がズラリと並んでいる。その
中に、相棒の杉沢彬と肩を組んで笑っている、十六歳の自分がいた。
 バンダナはともかく、サングラスはかけ始めた頃だ。似合ってない。髪も今ほど伸びて
おらず、中途半端でボサボサ。気に入っていた灰色のシャツに青いジーンズ。ずっと着続
けていたせいで、どちらもヨレヨレしている。
 若いせいだろうか? 写真の自分は、同じように口の端を片方だけ上げて笑っていても、
愛嬌と明るさがあった。とても楽しそうで、辛さなど無縁にも見える。無論、この頃には
この頃で、辛いことや悩みや色々あったのだが。
「…………」
 彼は、今度は杉沢彬に目を向け、こいつも若いなと結論づけると、彼とは反対側の自分
の隣──幻希という青年と彼との間にいる少女を見つめた。
 前髪の色だけが少し薄い、緑色の髪。同じ色のキラキラした大きな瞳。まだ人間の歳な
ら十歳前後だったはずだと、思い出す。ラーシャだった。
 その幼き少女の姿と、今日八年ぶりに直に会った女性の姿とを比べてみる。あまりに大
人びてしまっていて別人のようだったが、やはり面影はあるな……彼は満足げに頷いた。
 今、この瞬間に虹やディルが起きていて、ここにいたら首を傾げただろう。
 ゲンキの顔には、普段彼が少女達に見せるのと、よく似た表情が浮かんでいた。
「善き明日に」
 そう言って最後の一杯を飲み干すと、彼は風呂場に向かう。たしかに控えたのか、足取
りはしっかりしたものだった。



 ラーシャが部屋に入ったのは、ゲンキが店から出て行った三時間後くらいだった。何故
そんなに遅くなったかというと、常連達に質問責めにされていたからだ。
「まいったなぁ……」
 色んな意味で、呟く。明日は勝手に決められたお見合いだと言うし、お見合いの前日…
…というより、既に当日だというのに寝不足は決定したようなものだし、なにより彼女は
この縁談を心の底から嫌がっているわけではないと気付いてしまった。
 二十六歳。人間達の使っている時間の数え方だと、もう少し下がるが、十分に結婚でき
る年齢である。というか、場合によっては「旬を過ぎた」とか言われるらしい。ようする
に、ちょっと行き遅れてしまっているのだ。
 それがわかっているから、無理矢理連れて来られる時にも本気で抵抗できなかったし、
こっちに着いてゲンキに会ってからも、きっぱり断れなかった。
 そういう事に気付いてしまったのだ。憂鬱にもなろう。
「あ〜あ……一生独身でいいのにな…………」
 ボヤいて、彼女は自分で「違う」と思った。そうじゃないのだ。「一生一人でいる」と
決めたキッカケが、今の彼女の気持ちとぶつかって、大きな憂鬱を生み出している。

 忘れられない声。

 忘れられない姿。

 忘れたくない名前。

「ファル・ディー……」
 それを口にした途端、涙が溢れた。もう何年も泣いたことがなかった気がするのに、本
当にたくさんたくさん瞳から零れた。
 絶対に忘れられない。忘れたくない。忘れられたくない。狂おしいほど、そう思う。
 でも、記憶の中の誰かが、心の奥で囁くのだ。

 お前が一人でいることが、彼にとっても幸せだと思うのか?

 わかっている。彼なら、そんなことは喜ばない。誰よりも彼女の幸せを願い、案じてく
れたはずだ。でも、それでもやはり──
「私が納得できない。彼の他の人を好きになるなんて出来ない。だって、まだこんなに好
きなのに……大好きなのに……他の人なんて愛したりできない……」
 その想いが彼女自身を縛っている事にも、やはり彼女は気付いていた。でも、どうしよ
うもないのだ。自分に、その縛めを解く気が無いのだから。
「やっぱり……明日はだめ」
 呟き、彼女は決めた。明日一番でゲンキに会い、きっぱりと断ろう。お見合いするはず
だった人達にも会って、ちゃんと謝ろう。それで全部元通り。もう、こんなに悩む必要も
無くなる。
 悩む? ふと、自分の考えに気付いて、彼女は不快な気分になった。
 結局、まだ自分は迷っているのだ。決めたのに。



つづく



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