じゅらい亭日記

恒例の補足

>ユニバース
 今まで補足がありませんでしたね(^_^;
 ”世界”のことです。

>ノア
 聖書で語られる「箱舟物語」からの出典。
 神の啓示により、大洪水を箱舟を作る事によって生き延びた人物の名前。

>天鳥舟
 日本神話における天津神の乗り物。
 舟に翼が生えたような外見をしている。
 いかなる場所へも移動する事ができたという。

 今回はこの3点です。
 なお、ご不明の点などは例の如く、筆者にメール、伝言板、チャットなどでお尋ねになると、
いくらでもお応えします。

異邦人−まほろば− 第5回
投稿者> 藤原眠兎
投稿日> 06月19日(金)00時34分42秒



 暗く、深き闇の底で私は考える。
 いったい何がいけなかったんだろう、と。
 壊れてしまった「僕」
 そして生まれた「私」と「俺」
 なぜそうならねばならなかったのだろうか。
 考えて、考えて、少しずつわかりはじめていた。
 いや、すでに分かっていたのかもしれない。
 全ては「否定」した事から始まったのだ。
 ルーシーを殺したという「事実」、殺してしまった「力」、悲しみの「心」、その全て
を否定したがゆえに「僕」は壊れたのだ。
 事実はなくならない。力も、心もなくなりはしないのだ。
 心のどこかで分かっていたのだ。
 否定しても、必ず無理がどこかにでる事を。
 そしていつかは肯定しなければならない日が来る事を。



「メギドキャノン正常に作動…消費ポジビリティ0.25テラ…」
 司は結果を淡々と読み上げた。
 特に璃玖や眠兎については語らなかった。
 璃玖は今の砲撃により消滅してしまうのは分かりきっていたし、眠兎の生死は知りうる方法
がないからだ。
 ティアマトは司の報告を聞きながら黙って思考の海へと沈み込んでいった。
 半径100km以内の存在は確実に消滅はした。
 だが、もしも逃げおおせていたら?
 あるいは反撃に転じる可能性もある。
 この世界は一般的なファンタジーユニバースだがそれゆえか高ポジビリティの存在が多い。
 仮にそれらを味方につけたとしたら?
 司、逆、火狩、レギオンシステム…全てが命令通り動けば問題無いが…
 司、逆はともかく、火狩はルーシーの作品ゆえに強い感情を持ち、兵士としては不安定すぎ
る。あるいは兄と育てられた眠兎と戦えぬ可能性は高い。
 ならば、先手を取る、か…。
「レギオンシステムを起動、ただちにこのユニバースの本格的な略奪を開始する」
 ティアマトは傍らの司に一言だけ告げると端末からコードを引っ張り出し、自分の首に差し
込んだ。
 船のマザーシステム”ノア”とティアマトの意識がリンクする。
 頭に流れ込むすさまじい量の情報を制御しながらティアマトは司に目を向ける。
「…PRT5リンク不能…6時間以内に帰還しない場合は破棄する。お前はPRT3回収の後、
帰艦。そのまま護衛のため待機」
「了解。座標は?」
「1687953・5876395・69953201・1563よ」
 答えると同時にティアマトは意識を自らの乗る次元間強襲揚陸艦”天鳥舟”の制御に向けた。
 ノアシステムが目的のユニバースの座標を計算し、航行を始める。
 何もない闇の中、光に包まれた帆船はゆっくりと動きはじめた。

「さぁ…ルーシー、最後のチャンスよ。止めれるものなら、止めてみなさい」
 ティアマトが己に言い聞かせるように呟く。
 その青い瞳には理性ではなく狂気が宿っていた。

 やがて穂先が強く輝き、闇を引き裂いた。
 光と闇の境界線を越え、船は進む。
 破滅をもたらすために。



 いつもの匂い、いつものざわめき、いつもの人たち。
 みのりは我知らず微笑みを浮かべていた。
 救出されたみのりは休まずにじゅらい亭に来てすでに働いていた。
 皆が止めたが頑として聞かなかったのだ。
「それにしてもみのり殿本当に大丈夫でござるか? 無理はしないほうがいいでござるよ?」
「…大丈夫です。それに私はここにいなきゃいけないから…」
「どういう事でござるか?」
 心配するじゅらいにみのりは少しだけ笑顔を浮かべながら答えた。
「眠兎クンが帰ってくるから…」
「そういう事でござるか。ふうむ、しょうがないでござるなぁ…」
 難しい顔をするじゅらいを置いて、みのりは新しく来たお客さんの接客をしている。
 大出血したわりには元気そうだが、どことなくふらふらしているのは気のせいではない。
 それでもみのりはどことなく嬉しそうだった。
「なんかうれしそうですね…」
「別に給料が特別いいわけでもないんですけどね…」
 その様子を見て陽滝と風舞はしみじみとつぶやいた。
「いらっしゃいま…」
 新しく入ってきたお客さんにみのりが挨拶をしようとした瞬間、くぐもった音が鳴り響いた。
 ドムッドムッと大きな破裂音のような音が何度も続き、タタタタタタと大きな音が続く。
 わかる人間にはそれが銃声であるとわかったようだ。
 表の様子を見ようとじゅらい亭の常連達は次々とドアをくぐっていった。

「街が…蒼く…燃えてる…」
 誰ともなく呟いた言葉は現状を正しく表現していた。
 街の西側に蒼く揺らめく火柱の様なものが立ち、まるで燃えているかのようだった。
「いや…何か…吸い込まれてるような気がしませんか?」
 このはが上空の方を見ながら皆に促した。
 視線の先には小さな「闇」があり、確かにそこに火柱の先端が吸い込まれているように見え
る。
「ふむ…何か力が吸い込まれてるようですね」
 JINNが冷静に分析して答える。
 闇が何の力を吸い取っているのかは知りようはずも無かったが、少なくともまともな所業で
はないのは確かだった。
 そしてもう一つ確かな事は、この街が何らかの外敵に襲われているという事実である。
 最初に走り出したのは幻希だった。レジェンドが、じゅらいが後を追う様に続き、楊も黙々
と歩き始める。その足元をフェリシア使いが「なんにゃなんにゃ」と走り回り、nocは空を
飛び、矢神は相変わらずの笑みを浮かべ、そしてJINNは何かを考えているようだった。

 街の西側ではあたかも地獄絵図のような情景が展開されていた。
 地面から蒼い炎のようなものが吹き出し、その中を逃げ惑う人々を近未来的なプロテクタを
身にまといその手にマシンガンの様なものを持った兵士たちが次々と撃ち殺してゆく。倒れ伏
した人々からも蒼い炎が吹き出し、その身体はぼろぼろと崩れていった。子供や老人などはい
きなり炎が吹き出して倒れてしまうものすらいる。
 その真っ只中に辿り着いたじゅらい亭の常連たち。
 そして『レギオン』とじゅらい亭の常連たちとの戦いが始まった。



 クレインは火狩を連れてじゅらい亭へと向かっているところだった。
 なんだか火狩の様子がおかしいのが気になったが、とりあえずはじゅらい亭でゆっくり話が
したいと思った。
 ゆっくり話させてくれるかどうかはわからないが。
「…やだ…」
「え?」
 火狩のポツリとした呟きに、クレインが振り向く。
「ボクはっ!帰らないっ!もう、壊したくないっ!ボク、ボクは『物』じゃないっ!『人』な
んだっ!」
「火狩ちゃん?」
 クレインはあらぬ方向を見て叫ぶ火狩の肩を掴んで軽く揺らした。
 すぐに火狩は意識がはっきりしたのか、軽く頭を振って額に手を当てる。
「うん、大丈夫…呼ばれた、だけだから…」
「呼ばれた?」
 心配そうに尋ねるクレインに火狩はこくりと頷く。
「上の人に…呼ばれたんだ。帰ってこいって。でも、嫌だって言ったよ? いいんだよね?ボク、
『人』なんだよね?」
「当たり前じゃないか。火狩ちゃんは立派な、可愛い女の子だよ♪」
「ありがと…」
 火狩はクレインの答えにほっとしたのか、ため息をついてから、やがてにっこりと笑った。
 こんなに、一生懸命悩んで、泣いて、笑って…人間じゃないハズ無いじゃないか。
 クレインはそう心の中でつぶやいてからそっと火狩の手を握った。
「えっあっ、えーとっ…ごめんなさいっ!」
 一瞬火狩は嬉しそうな顔をしてから、すぐにうつむいて手を振り払った。
 恥ずかしい、という様子ではなさそうだ。
「…ボクの手、汚れてるから…」
 そう言って手をマントの中に引っ込める。
「そうかなぁ?そんな風には…いってぇ〜っ!」
「ぎゅーっ」
 ほおをぷうっと膨らませたヴィシュヌがいつのまにかクレインの左側に立っている。
 密かにヴィシュヌがクレインの足を踏んでいるのがポイントだ。
 どうやら仲間はずれ(?)にされた事を怒っているらしい。

 まただ…何だろう…胸が苦しい…

「あはははっ…仲が、いいんだね!」
 正体不明の感情を振り払うように、火狩は笑いながら言う。
「え、そうかな?まぁ、長い事一緒にやってきた相棒だし…」
「そんな〜照れるです〜」
 クレインは照れるように、ヴィシュヌは上の手で顔を隠して下の手をもじもじさせながら答
えた。

 苦しい…悲しい…どうして?
 クレインさんと、ヴィシュヌさんが仲良くしてるだけなのに…

「そんな事はともかく、さ、いこっか♪」
 そう言うとクレインは素早く火狩の肩を抱いて歩きはじめた。
「あっ…う…うん…」
 その途端に顔を真っ赤にして火狩は素直にしたがう。
 ヴィシュヌは、別に怒るでもなく頬を膨らませたままそのちょっと後ろを歩いていた。
 別にクレインもやましい気持ちがあって−いや、少しぐらいはあったかもしれないが−火狩
の肩を抱いたわけではない。
 抱き止めててあげないと、何だか壊れてしまいそうな、あやうさを火狩に感じたからだ。
 ちょうど、ヴィシュヌを呼び出したあたりから火狩の様子がおかしくなってきたのはわかっ
たが、何故かはわからない。ただ、こうするのが正しい事のような気がしたのだ。
 だからこそヴィシュヌも文句を言わないのである。多分。

 どうしたんだろう…今度はドキドキする…
 はじめて…眠兎兄と逢った時とは違うドキドキ…

 はっと気付いたように火狩はクレインの顔を見上げた。
「何かな?」
 やさしく笑顔を浮かべながらクレインが火狩の顔を覗き込む。
「なっ…何でもないよっ!」
 いっそう顔を真っ赤にしながら火狩は答えた。
 またうつむいて、クレインにしたがって歩きはじめる。
 茹で上がってしまうんじゃないかというぐらい、顔は赤い。

 これが「好き」?
 お母さんが言ってた、「好き」?
 ドキドキする。いらいらする。悲しくなったり、嬉しくなったりする。
 お母さんは人を好きになるってすごい事だって言ってた。
 その人の事を思うだけで、何でもできるような気がするって言ってた。
 ボク、クレインさんの事、「好き」なのかな?
 …好き…
 考えただけで、ドキドキする。
 胸の奥から、何か溢れ出してくる。
 ボクを「物」から「人」に変えてくれた人。
 初めてボクを「女の子」として扱ってくれた人。
 ボクを可愛いと言ってくれた人。
 奇麗な夕日を見せてくれた人。
 苺のショートケーキをごちそうしてくれた人。
 泣いた時に胸を貸してくれた人。
 今、ボクを、ここに、抱き止めていてくれる人。
 一つ一つが、とても大切な事。
 全部、クレインさんとの事。
 ボクは、クレインさんの事が、好き…そう、好きなんだ。
 だからヴィシュヌさんとクレインさんが仲がいいと悲しいし、苦しくなるんだ。

 クレインは火狩の肩を抱いて歩きながら、妙にピリピリとした感覚を感じていた。
 いや、別にヴィシュヌの嫉妬の視線でピリピリしているわけではなく、それとは別の…強い
て言うなら嫌な予感というやつだ。
「ご主人様〜なんか変な気配がするです〜」
 ヴィシュヌも何か感じ取ったのか、クレインの側にそそっと寄ってくる。
 うつむいて顔を真っ赤にしていた火狩が急に顔を上げた。
 その顔はどこか青ざめていた。
「…レギオン、どうして…」
「え?」
 火狩の呟きをクレインは聞きそこねた。
 次の瞬間、爆音とともに街の西側で蒼い火柱があがった。
 まるで、それを焼き尽くさんばかりの巨大な火柱が。
「な、なんだ!?」
「あの炎〜何だかすごい力があります〜」
 ヴィシュヌが相変わらずのマイペースで言う。
 火狩は、何も言わなかった。

 タタタタタタタタタンッ!

 マシンガンか何かの銃声が夜の街に響き渡る。
「銃声!?この世界に!? 」
「ご主人様〜どうしますか〜?」
 火狩は、相変らず青い顔のままで口を閉ざしている。
 クレインは火狩の方を見て、何かを言おうとして、やめた。
 両手で火狩の肩を掴んでその顔を覗き込むようにしてクレインは言った。。
「火狩ちゃん、この道をもう少し行った所に”じゅらい亭”っていう酒場があるからそこで待っ
てて」
「…クレイン、さん、は?」
 途切れ途切れに答える火狩。
「俺は、あっちに行ってくるから。」
 そういってクレインは火柱の方を見た。
 こうしている間にも、間断無く銃声は響いている。
「危ないよっ!行かない方がいいよっ!」
「そうはいかないよ」
 クレインは泣きそうな顔の火狩の頬を優しくなでながら答えた。
「あの火は何だかわからないけど、音の方は明らかに銃声じゃないか。だとしたら、ここの人
たちは何もできない」
「………」
「少なくともいい事してるってわけじゃなさそうだしね。ちょっと行って止めてくる。俺には
コイツがあるしね♪」
 そう言ってクレインはスターファイアをホルスターから抜いた。
 それはクレインの力の象徴。
「じゃあ、行ってくるから待っててね♪」
 そう言うとクレインは火狩を置いて銃声のする方向に走り出した。
 後をヴィシュヌが追って走る。
 青く照らされた道に一人、火狩だけが残されていた。


「ご主人様〜」
「ん?なんだヴィシュヌ?」
 横に追いついたヴィシュヌが結界を張りながら言う。
「さっき〜火狩さんに〜何を言おうとしたんですか〜?」
「…なんか知ってるみたいだったし、手伝ってもらおうかと思ってたけど、やめたよ」
 長髪をなびかせながら走るクレイン。
「…これ以上、火狩ちゃんに戦わせたりするのは俺にはできないよ」
「そうですか〜やっぱりご主人様はやさしいですね〜」
 にっこりと微笑みながらヴィシュヌはクレインに言う。
 クレインは、ちょっとバツが悪そうに頭を掻いた。
「さ、急ぐぞ!」
「はい〜」
 そして二人は地獄と化した街の西側へと消えていった。



 首がゴキッと音を立てた。
 別に折れてしまったわけではなく、もともと折れていたのが治ったのだ。
 目を覚ましたゲンキはゆっくりと瞼を上げた。
 やっぱり暗い。
「おおっ、上に何かのっかっているんですね♪」
 よっこいしょ、と上にのっかっているなまあたたかいものをどける。
 どさっと音を立てて上にのっかっていたものがゲンキの横に転がった。
「げふっがふっ…」
 のっかっていたものが咳き込む。眠兎だ。
「うわ、すいませんっ!…って大丈夫ですか!?」
 見れば辺りには眠兎が吐き出したとおぼしい鮮血で血だまりができている。
「問題ない」
 眠兎は簡潔に一言で答えた。
 ジャケットもシャツも焼き切れ、露出したその背中は半ば溶けているし、口からは思い出し
たように喀血がこぼれ出してくる。
 誰がどう贔屓目に見ても問題がないとは言い難い。
「早くじゅらい亭に帰りましょう!このままじゃ死んじゃいますよ!?」
「このままでも問題無い。奪ったポジビリティで、オートリペアリングシステムを起動した。
4時間23分後にはナノマシンによる身体の修復が完了する」
「言ってる意味はよくわかりませんが、とりあえずは大丈夫って事ですね?」
 ゲンキの言葉に眠兎は黙って頷いた。
「ですが転移するか、あるいは姫にでも来ていただければ…」
「転移には身体が耐えられん。身体は時が経てば治る。無用な心配をかける必要はないだろう」
「………」
 眠兎の言葉にゲンキは微笑みを浮かべた。
 それに気づいた眠兎が怪訝そうな顔をする。
「なんだ?」
「いや、様子は変わってしまいましたが、やはり眠兎さんですね」
「ふん」
 眠兎は不満気に鼻を鳴らすと、ゆっくりと目を閉じた。
 やがて一分もしないうちに寝息を立てはじめる。
 ゲンキはその寝顔を眺めながら、先程までの事をゆっくりと考えはじめた。
 レギオンと呼ばれていた異様な兵士達。
 魔王あるいは神と並ぶ魔力を持った人間。
 眠兎の豹変。
 そして意識を失う直前の光。
 何もかもが、わからなすぎた。
 はて?とゲンキは忘れていた事に思い当たった。
 光が爆発する寸前、眠兎に攻撃を受けた。
 あれは自分を助けるためとして、あの後あの村の跡地はどうなったのだろう?
 ぐるりとゲンキは周りを見回してみた。
 ある一方向に何もなかった。文字どおり何もなかった。
 あるのはただ、何かを削りとったような、果てしなく巨大な半球状の窪みがあるだけだ。
「廃虚すら、無くなってしまいましたね…」
 あとゲンキにできるのは眠兎が起きるのを待つぐらいのことだった。


「お早いお帰りですね」
 闇の中、「私」の声が響く。
 気がつけば、俺は意識の底…心の闇の中にいた。
 そして目の前には、「私」。
「違いないな。だが、まさかもう交代しろというのではあるまいな?」
「交代…まぁ、交代といえるかもしれませんね。」
「ふん?」
 俺は片眉を吊り上げながら答える。
「断る。」
 交渉の必要はない。正しいのは俺だからだ。
 感情なんて必要無い。あるから悲しさなど感じるのだ。
「まぁ、お聞きなさい。」
「…いいだろう、身体は修復中だ。直るまで聞いてやる。」
「では…私なりに考えた結論を言いましょう」
 「私」がにっこりと笑う。
「私は力を嫌っていました。そしてあなたは感情を嫌っていたはずです。」
「ふむ」
 そのとおりだ。感情などあるから、不都合が生じるのだ。
「ですが、私も、あなたも互いを捨てられなかった。私は力の一部を使っていたし、あなたは
感情を完全には捨ててはいない。」
「…何が言いたい?」
 「私」は決意したようなまなざしで俺を見る。
「私も、あなたも、つらい事から逃げているという事です。それぞれ、極端な面を前に押し出
す事によってね。」
「…今ごろ気づいたのか」
 吐き捨てるように俺は答えた。
 俺には時間があった。
 長い間、意識の底に押し込められ、自我について考える時間も当然あった。
 命令通りに働き、命令通りに壊し、命令通りに生きる。
 それには感情など必要とされない。
 俺はそうあるべきだと思い、そうしてきたつもりだ。
 しかし現実には、それは逃避行動の一種だったのだ。
 自分の母親と呼べる人物を殺したという事実からの。
「俺は悲しいという感情から逃げるための人格、そしてお前は人をいとも簡単に殺せる能力、
ルーシーを殺した能力から逃げるため人格、違うか?」
「…そのとおりです。」
「だが、だとしても、はいそうですかと認めるわけにはいかん。俺は俺だ。今更「僕」になど…」
 戻れるはずはない。
 俺には感情などで動かされない。
 感情など必要ない。
 感情で動く「私」となど、一つになれるはずはない。
「なれますよ。あなたも、私も根っこが同じなのですから。」
「貴様と一緒にするな。俺とお前は違う。お前は感情を元に行動し、俺は理性を元に行動する。」
「違いますね」
 「私」が確信に満ちた口調で答える。
「あなたは感情を元に動いています」
「何だと?」
「自我意識を強調するという事は少なくとも感情的な行為ですよ。それにゲンキさんを助けた
時も、風花さんを呼ばなかった事もそれを証明しています。」
 …そのとおりだ。
 何という事だ、あれほど否定していたものによって動かされていたというのか?
 だとしたら、俺は一体何なんだ?
 何のためにいる?
「うまくいくかどうかはわかりません。ですが、足踏みしているわけにもいかないでしょう?」
「俺は…」
「私は私と戦う決心がつきました。守るべき人達を守るためには力が必要なんです。」
 俺には目的はない。
 ただ感情をなくしたかった。
 何のために感情をなくしたかったのだ?
 自分を守るために。
 人殺しのための精密機械になるためだったのか?
 そうだ。機械になってしまえば悲しみを感じる事はない。
 だが、機械には使うものが必要だ。
 俺を使う者はいない。
 俺を使っているのは俺自身なのだ。
 今まで俺を使っていたものは、感情だったのだ。
 …そうか、「私」と、俺が入れ替わる理由が分かった。
 「私」とは感情そのものだ。そして、「私」が強い悲しみを感じないために俺と入れ替わり、
その原因を排除してきたのだ。
 何のことはない、俺は「感情」のために戦ってきていたのだ。
「いいだろう、俺も、お前が必要だ」
 「私」のために他人を守る力となろう。
 俺は俺のために、「眠兎」という人間のために戦っているのだから。
「では…でましょう、一緒に」
 「私」が上の方を見る。光が心の闇にさしはじめた。
「自分に負けないためにも、だな」
「自分に負けないためにも、ですね」
 同時に俺と私が同時につぶやいた。

 そして「僕」が目覚めた。


 すでに日は地平の彼方へと沈み、夜の闇が辺りを支配していた。
 眠兎は身体を起こして、周りを見回した。
 近くで、ゲンキが焚き火の番をしている。
 背後には大きな木。
 ぽつぽつという雨音。
 辺りには水の匂いが漂っていた。
「や、おはようございます」
 眠兎は何と言うか散々悩んだ挙げ句にゲンキに声をかけた。
「おや?いつもの眠兎さんですか?」
「まぁ、そんなものですね」
 照れ笑いのようなものを浮かべながら眠兎は焚き火の側に移動する。
「雨が降ってきたんで、身体動かしましたけど…大丈夫でしたよね」
「ええ、ありがとうございます」
 そう答えると眠兎は目をつぶりながら、中空に手を突っ込んだ。
 そして、黒いアタッシュケースのようなものをおもむろに取り出す。
 眠兎はボロ布と化した、ジャケットとシャツを脱ぎ捨て、アタッシュケースの中から新しい
シャツと、ジャケットを取り出した。
「さて、と」
 眠兎はシャツとジャケットに袖を通しながら、さらにケースの中から刀身が銀色に輝くアタッ
クナイフをとりだす。それとは別の、刀身がやわらかく赤い光を放ち、ワイヤーを取り付けて
ある小型のナイフを十数本、あとはベレッタ用のマガジンを5本出して、アタッシュケースを
ぱたんと閉めた。
「…戦争でもするんですか?」
 物々しい有り様に、ゲンキが尋ねる。
 眠兎は装備を仕込みながら微笑んだ。
「まあ、そんなところです。準備が終わったら全てをお話しますよ」
「…お願いします。なんかもう何が何だかわからないもので。」
 ゲンキの呟きに眠兎は微笑みを浮かべたまま頷いた。
 その表情に迷いはなかった。

 先程までの雨が嘘のように月明かりが辺りを照らしていた。
「さて、と…何から話しますかね…」
 眠兎はアタッシュケースをまた何処かへと送ると、唐突に口を開いた。
 ゲンキは黙って待っている。
「ふむ。では僕が何者かという事からしゃべりましょう。」
 そういうと眠兎はよっこらしょ、といいながら木の根っこに腰掛けた。
「僕はそもそも、スリースクエアという企業のために働く存在として作り出されたものです。
企業のために戦い、企業のために死ぬ、そのための存在です。」
「企業、ですか?」
「わりかし、裏じゃ常識的な事らしいですけどね。それは置いときまして。」
 一息ついて眠兎は伸びをする。
「僕はその中でも超常能力に着眼して作られた存在なんです。B.E.P.Sというのはバイ
オ・エンハンスド・サイキック・ソルジャーの略なんです。本来は超能力を人為的に持たせる
プロジェクトだったと聞いています。」
「本来は?」
「ええ、実際には違うものになりました。超能力の研究をしていた二人の若く極めて優秀な科
学者が、ある理論を構築した事によってさらに高次元のものを作りだそうというプロジェクト
に変化していったのです。」
「理論てのはひょっとして先ほど言っていたポジビリティの事ですか?」
 ゲンキが思いつきを口にする。
 そしてそれは正しかった。
「そうです。自身が生まれついての超常能力者であった二人の科学者達は自らの力の根元を探
り、その理論にたどり着いたのです。ポジビリティをある一定の法則で扱う事ができるもの、
すなわち神あるいは悪魔と呼ばれた存在を企業の私兵とするためにプロジェクトは始動しまし
た。」
 言葉を切ると眠兎は不意に立ち上がった。
 空を見上げて険しい表情をする。
「何体もの失敗作のが生み出され、やがて五体のB.E.P.Sが生み出されました。そのう
ちの一体が私というわけです。」
「なるほど…」
「さて、研究が進むうちにポジビリティが極めて有用な資源である事がわかってきました。源
初のエネルギー、それゆえに極めて応用性が高かったのです。若返りも、老化も、物質を消滅
させる事すら可能であるとわかりました。ただ、それを得るためには奪うしか方法がなかった
のです。」
「じゃああの村はひょっとして…」
 眠兎は黙ってゲンキの言葉に頷いた。
「自らの世界の”可能性”を奪う事は大変に危険な行為であると企業はわかっていました。そ
れゆえに自分達とは関係のない”世界”から奪う事にしたのです。そのための機械がポジビリ
ティスティーラーであり、作戦担当の兵士がB.E.P.Sのプロトタイプと量産型のB.E.
P.Sであるレギオンだったんです。」
「酷い話もあったもんですねぇ…」
「人間、自分の痛みは分かっても他人の痛みは分からないものですよ。…さて、僕はそこから
色々あって逃げ出してきました。逃げ出して、みのりちゃんと出会って、また逃げ出して…様
々な世界を旅して、そしてここにたどり着いたんです。」
 そこまで言うと眠兎はおもむろに焚き火を消しはじめた。
「さぁ、そろそろ帰りましょう。長居は無用ですよ」
「まだ、誰と戦争するのか聞いてませんよ?」
「…かたをつけに行ってきます。残りのB.E.P.Sもこの世界の近くの亜空間にいるはず
です。もう、逃げるわけにはいきませんからね」
 言いながら眠兎は晴々とした笑顔を浮かべる。
「僕も手伝いますよ?僕だけじゃなくて、きっと常連さん達はみんな…」
「おそらく、そろそろ略奪が始まります。皆さんにはそちらを防ぐ方で頑張って欲しいんです」
「ですが…」
 ゲンキがなおも食い下がろうとした瞬間に異様な力がある方向に発生した。
 セブンスムーンの方角だ。
 見ると、そちらの方角に蒼い火柱が立っているのがこの辺りからでもわかった。
「あれは!?」
「まずいですね…はじまりはセブンスムーンからって訳ですか…いきましょう!」
「ええっ…VOID!」
 呪文とともにゲンキが転移した。
「僕は、寄り道して…行きます」
 眠兎は中空をにらみながらつぶやく。
 ふっと眠兎は転移した。
 そして誰もいなくなった。


 街が蒼く燃えていた。
 蒼い炎はやがて、この世界をも燃やし尽くすだろうか。
 あるいは消す事ができるのだろうか。

 知りうるものはいない。




 続く


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