じゅらい亭日記

異邦人−まほろば− 最終回(前編)
投稿者> 藤原眠兎
投稿日> 07月13日(月)16時52分41秒



 僕は帰ってきた。
 再び生きるために、再び戦うために。
 だけどつらくはない。
 今の僕には「目的」があるから。
 ただ従うだけだったあの頃とは違うから。
 僕には愛する人がいる。守りたい人達がいる。帰れる場所がある。
 だから、
 僕はもう僕から逃げない。僕は僕に勝ってみせる。
 僕が…僕であるために。



 多量に流れ込む情報を制御しながらティアマトは気分が高揚するのを押さえる事ができ
なかった。
 この略奪が終了すれば目的は達成されるのだ。
 理論上、既知のユニバース全てを消滅させられるだけのポジビリティが手に入る。
 それこそが彼女の望みだった。
 「人間」が、その存在を許容する「世界」が、彼女には許せなかった。

 ゴミためのようなスラムで生まれた。
 父親の顔は知らなかった。母親は薬物中毒の街娼で彼女が5歳の時に死んだ。
 生きるために人を殺した。彼女には特別な力があったからそれは簡単な事だった。
 人を殺す度に彼女の中で何かが壊れていった。
 やがて十歳になると企業「スリースクエア」の人狩りにつかまった。
 知り合いに密告されての事と知ったのは後の事だった。
 モルモットとしての、人形としての日々。
 その中で彼女は三つのものを手に入れた。
 飼い主と、知識と、心から信じられる友人。
 彼女は友人と共に、その知識と飼い主の人脈をもとに、スリースクエアの中でのし上がっ
ていった。
 彼女は復讐の機会を狙っていた。
 企業に、人間達に対する復讐だ。
 そのための道具として、彼女や、その友人と同じような力を持った存在を作り出した。
 だが、友人は違った。
 友人は復讐を考えるにはやさしすぎた。
 友人は時の流れとともに、企業と友人自身の心とのあつれきに耐えられなくなっていっ
た。
 そして友人は逃げ出した。
 だが、彼女は逃げ出さなかった。友人が自分を残して逃げ出すとは思っていなかったか
らだ。
 友人は自らが作り出し、子供とすら思っていた存在によって殺された。
 しかし、彼女は悲しくなかった。
 友人は彼女を裏切ったのだから。
 友人を失った彼女を止めるものは、もはや誰もいなかった。
 彼女を突き動かしているのはすでに狂気と復讐のみだった。

「ほう?素晴らしい量のポジビリティですな」
「…何か?」
 背からかけられた逆の声に振り向かずにティアマトは答えた。
「素体の一部を確保しましたが、どういたしますかな?」
「培養カプセルに放り込んでおいて」
「かしこまりました」
 逆はそう答えながら歓喜に満ちた笑顔を浮かべる。
「107.869テラ…あと少しで全ての世界を滅ぼせますな」
「!!」
 驚きとともにティアマトは逆の方に振り向いた。
 とすっ
 やけに軽い音とともにティアマトの左胸に短剣が突き込まれる。
「が……はっ!?」
「くっくっく…残念でしたな?あなたが思っているほど『上』は無能ではなかったという
事ですよ。もっとも私があなたを殺す理由は別にもありますがね」
「おの…れっ!」
 ティアマトの金色の髪が逆立ち、淡い光を放った。
 本来だったら、逆程度の耐久力では耐えられないエネルギー流が発生し、消し炭になっ
ていただろう。
 だが実際には何もおこらなかった。
「な…!?」
「クックック…無駄ですな。お教えしましょう、あなたの胸に刺さっているのは、かつて
は『ミストルティン』と呼ばれた神殺しの魔剣なのですよ」
 心底愉快そうに逆は言った。その暗き色の瞳に浮かぶは、どろりと濁った狂気。
「正確にはそのレプリカですがね。それ自身がアンチポジビリティを放つ物質でできてい
るのですよ」
「…どこで…そんな、も…のを…」
 喀血しながらティアマトがつぶやいた。
 その美しい顔は青ざめ、目にはすでに何も見ていないかのように虚ろだった。
「ごくまれに、そういう物質が存在しているユニバースもありますがね。これは私が作っ
たのですよ」
「つく…た?」
「我が神格は魔界の公爵フォルネウス。錬金術は得意とする事のうちの一つでしてね」
「PRT3…お前…まさ…か…」
「ふむ、あなたが作ったものはおよそ失敗作だったという事ですな。制御できぬ兵など何
の意味も持ちますまい」
「ば…かな…」
 目前にあるものは絶望。
 覆された事実。
「あなたが思っているよりも、神の器を持つという事は過酷なのですよ。常に、神として
の役割と、人間としての存在との狭間をさまよう事になるのですよ。強い自我のみが、そ
れを凌駕しうるというわけですな。」
「が…ふ…」
 逆の長広舌を聞きながら、ティアマトはゆっくりと確実に死へと近づいていった。
 死が全てを奪ってゆく中、それでも狂気と、憎悪と、屈辱は彼女に残っていた。
「私に自我を持たせず、マシンとして育てたのは失敗でしたな。おかげさまで『フォルネ
ウス』として活動する事ができますがね。」
「………」
「くっくっく…だが安心して死ぬべきですな。あなたの知識を学び、それ以上の知識を持
つこの私があなたの望みをかなえて差し上げますよ。すなわち、『混乱と破壊』を!」
 すで何も答えぬティアマトに、歓喜に満ちた声で逆は告げた。
 彼は笑っていた。
 感情を必要とされない兵士として育てられたハズの逆が、愉快そうに嘲笑っていた。
 その姿はすでに”人”ではなく、”堕天使”であり”悪魔”そのものだった。



 それは奇妙な静けさだった。
 店の外では相変らず銃声が響き、爆音も聞こえてくる。
 だが、店の中はまるで別世界のように静かだった。
 みのりは、常連達がいないじゅらい亭でぽつんとカウンターに腰掛けていた。
 本当は自分も駆け出していきたかったが、今のみのりにはその体力すらなかったのだ。
 出ていっても足手纏いにしかならない。
「はい、みのりちゃん」
 ちょっとボーっとしているみのりに、風舞が紅茶を出した。
 みのりは微笑みを浮かべ、ありがたく受け取る。 
「…落ち着いてますね?」
「みのりちゃんだって…」
 風舞の言葉にみのりは軽く頷く。
「…そうね、きっと…信じてるから。常連さん達が何とかしてくれるって。」
「私も、同じ。じゅらい君を、皆を信じてる。」
 だから不安じゃない。
 少なくとも、この騒ぎの事は。
 きぃっと音を立てて、店の扉が開いた。
「いらっしゃいま…」
 振り向いたみのりは言葉を飲み込んだ。
 そこには眠兎が立っている。
 みのりは、その姿を見た瞬間に胸が押しつぶされる様な奇妙な感覚を感じた。
「ただいま、みのりちゃん」
 眠兎は今までにないほど晴れやかな笑顔で言った。
 みのりも精いっぱいの笑顔で答える。
「…おかえりなさい。それから…いってらっしゃい」
 笑顔の隠し味は別離の悲しみ。
「さすがみのりちゃん、よくわかりましたね」
「…未来を、見たわけじゃないの。そんな気がしただけ。」
 どちらともなく二人は近づいていった。
 ぽすっと、みのりが眠兎に抱きつく。ちょうど、みのりが眠兎の鳩尾の辺りに顔を埋め
る。
「…今度は、連れてってくれないの?」
「ここで、待っててください。必ず帰ってきますから」
 やさしくみのりの頭をなでながら眠兎は答えた。
 みのりは抱きつく力をちょっと強める。
「…うん…必ず、帰ってきてね…」
「約束するために、ここに寄り道したんです。約束するからには帰ってきますよ。必ずね」
「…待ってるから…」
 それ以上みのりは聞かなかった。
 聞くのが恐かったのもあるが、何より聞く必要がなかったからだ。
 今まで眠兎はみのりとの約束を破った事はないのだから。
 何かを思いついたのかみのりは、不意に身体を離して胸元からペンダントを取り出した。
 ペンダントは銀製の鎖の先に円錐形の蒼く輝く小さな石が取り付けられただけの簡素な
ものだ。
「これは?」
「…確か、どこかのファンタジー系のユニバースに行った時にもらったの」
 そう言いながら眠兎の大きな手にみのりはペンダントを握らせる。
「…真の石『アダマンタイト』でできてるって言ってた。それで作った剣はどんなもので
も、たとえ魔術であろうとも切り裂く事ができるって…だからどんな困難な事があっても、
切り裂く事ができるように…」
「…ありがとう、みのりちゃん」
 とびっきりの笑みを浮かべながら眠兎はペンダントを首から下げる。
 そして、みのりの頬に手を滑らせると優しくキスをした。
「いってきますね」
 唇を離すと眠兎はそう一言だけ告げて、その場からふっと消えた。
 みのりはしばらくの間うつむいていたが、やがて意を決した様に風舞の方に振り向いた。
 風舞はと言えば一部始終を見てて、ちょっといづらそうにしてたりする。
 銃声も、爆音も依然として鳴り響いている。
 風舞にみのりは真剣なまなざしを向けながら告げた。
「…風舞さん、わたしにも、できる事があるの。手伝ってくれる?」



「殺っ!」
 楊の両手の爪が閃き、一瞬で二体のレギオンを引き裂いた。
 その瞬間にレギオンの三体がサブマシンガンで反撃してくる。
 ゲンキの召喚した結界獣がその攻撃を防ぎはするが、2,3回が限度といったところだっ
た。
 その間に退避するなり、残りのレギオンに攻撃を仕掛けるなりでしのげはするが、いか
んせんあいての数が問題だった。
 レギオン一体一体の強さはさほどでもない。斬れば死ぬし、魔法も効く。
 だが彼らは死を一切恐れぬ上、殺しても殺しても次から次へと現れるのである。
 しかも、防御力は低くても攻撃力は高かった。彼らの装備している武器は結界や防護壁
を壊す事ができるのである。
「おいっ!きりがねぇぞっ!」
 文句を付けながら幻希は視界内全てのレギオンに滅火を放ち消滅させた。
 と、一分もしないうちにその辺の道やら家から他のレギオンが飛び出してくる。
『…ゴキブリみたい』
 れいろうの呟きが印象的だった。

 このはとレジェンドは二人一組で実にナイスなコンビネーションを誇っていた。
 まずレジェンドが空間転移を使ってレギオンの一体に奇襲する。
 ハリセンでめった打ちにされたレギオンが倒れる。
 すると何故かその近辺のレギオンは動きを止めるので、その隙にこのはがレイピアで残
りのレギオンをひたすら刺殺するのである。
 新たに現れたレギオンの攻撃は、レジェンドが空間歪曲&転移で防ぎ、再びふりだしに
戻るのである。
「つ…疲れる…」
「ファイトですレジェンドさん」
 そう言うこのはもかなり疲労しているのは目に見えてわかった。
 ぜひぜひ言いながら少しの間休憩していると、またわらわらとレギオンがわいて出てく
る。
「…かんべんしてー」
 グチりながら転移するレジェンド。
「あとどのぐらいいるんですかね…」
 このははため息と共に再びレイピアを振るった。
 街は依然として蒼く燃え、戦いは終わりの兆しを見せなかった。

 じゅらいはnocとフェリシア使いと共に地道にゲリラ活動に励んでいた。
「にゃっ!」
 と、ビー玉をじゃらじゃらと地面にぶちまけるフェリシア使い。
 自分でばらまいておきながら思わず飛びつきたくなってしまうが、ここはぐっとガマン
して見守った。
 間抜けにもビー玉を踏んで転んだレギオンに対し、nocにつかまって上空で待機して
いるじゅらいが飛び降りる。
「ござるっ!」
 謎の掛け声と共にレギオンの頭をハンマーで殴打し、一発で沈黙させる。
「またうまくいったにゃあ!」
 転がっているビー玉を妙に嬉しそうに拾いながらフェリシア使いが言った。
 その言葉にうんうんと頷きながら再びnocにつかまるじゅらい。
「地道に確実に続けるでござるよ。さすがに拙者達は正面きって戦ったら危ないでござる
からして」
 そうつぶやくじゅらいの左腕にはすでに布が巻かれ、血がにじんでいる。
 nocも所々穴があいている。
 どうやら二人とも一度痛い目を見たらしい。
「さ、次も頑張るでござる」
 じゅらいの言葉と共に再びnocが上空へ上がる。
「がんばるにゃあ!」
 フェリシア使いは妙に楽しそうだった。
 内心、もぐら叩きみたいだにゃあ、などと思っている事は秘密である。
 
 クレインは呼び出せる限界の数の召喚神を呼び出し、街の方々に散らせた。
 自身はヴィシュヌとガブリエルと共に、やはりレギオンと一戦やらかしていた。
「あ〜また壊れそうです〜」
 レギオンの一斉射撃を防いだ結界にひびが入り、ヴィシュヌが悲鳴とも非難ともつかな
い口調で言う。
 神の結界を破るなど考えられない事だったが、現実は否定できない。
 結界の崩壊と同時にクレインが精霊弾を3発撃ち、少し遅れてガブリエルが結界を張っ
た。
 精霊弾、サラマンダは着弾と同時にレギオンを焼き尽くす。
「見たか、名付けて玉ねぎ作戦♪」
「…ご主人様〜」
「マスター、センス無さすぎです」
「うぐっ」
 鋭いツッコミにうめいてみたりするクレインだったが、実際には冗談をやってる程の余
裕はあまりなかった。
 確かにクレイン自身は『玉ねぎ作戦』で無事なのだが、街の人達の救出は遅々として進
まなかった。
 いかんせん敵の絶対数が多い事と、深傷を負った人間は蒼い炎を吹き出して消滅してし
まう事がその原因である。
「!!」
「くらえっ!」
 再び結界の崩壊と共に精霊弾を放つ。
 今度はヴィシュヌが結界を張り直した。
 ふとスターファイアを見ると、各召喚神達のHPにかなりの損傷が出ているようだった。
 持久戦になるとまずい。
「まだ…いるのか?」
 そこかしこからわいてくるレギオンを見ながらうんざりしたようにクレインは呟いた。
 存外玉ねぎのなのはレギオンの方かもしれない。

 矢神はJINNと共に無人の野を行くが如く街中を闊歩していた。
 散発的にレギオンが撃ってきたりもしたがそういう時はJINNの作った風の結界と矢
神の剣の作り出すフィールドで防ぎながらとりあえず逃げた。
「それらしき物はありませんねぇ(笑)」
「あの銃面白いなぁ…結界を壊せるみたいだ…」
 きょろきょろしながら、にこやかに語る矢神と感慨深げなJINNが同時に言う。
 会話が全くかみ合っていなかった。
「それらしき物はありませんねぇ(笑)」
「いやいやあるはずです」
 今度は会話になった。
 どうやら二人は何かを探しているらしい。
 西のゲートに向かう曲がりくねった道を通りながら矢神とJINNはきょろきょろと何
かを探していた。
 ふと矢神の視点が止まる。
「あれじゃないですかね?(笑)」
 そういいながら指差した方角には、20人程のレギオンと高さ2m位の円筒形の機械の
様なものが設置してあった。
 その機械はちょうどジェットエンジンを縦に置いたような形をしていて、鈍く鉛色に光
るその表面には様々な幾何学的な図形や文字が刻まれている。
「ふうむ…シュメール地方の絵文字にルーン文字…オガム文字に、ヘブライ語…なるほど、
魔術言語の組み合わせを紋様として…」
 JINNが不気味に鳴動する機械を観察しながらブツブツ呟く。
「なんかよくはわかりませんが、とりあえずあれを壊せばいいんですか?(笑)」
 あいも変わらず矢神は笑顔のままJINNに尋ねた。
「ん?ああ、多分。では行きましょう」
 JINNははっとしたような顔をしてからそう答える。
 矢神とJINNは二人でこの蒼い炎の出火元、あるいは原因を調べていたのだ。
 そして歩き回るほど小一時間ほど、ようやくそれらしき物を見つけたという訳だ。
「よいさ」
 何か気の抜ける掛け声と共にJINNが両手を機械とその周辺のレギオンにかざした。
 バキッという甲高い破裂音と共に、その辺り一帯が真空になった。
 JINNと矢神に気づいたレギオンがそちらに銃を向ける。
 普通の人間なら真空中に投げ出されたりしたら即死するのだが、彼らに関してはどうや
らそうでもないらしい。
「真空耐性もあるのか…あれ、一体欲しいな…」
「言ってる場合ですか(笑)」
 剣のフィールドに守られ矢神は真空でも問題は無い。
 言いながら矢神が剣を手に機械の方に突っ込んだ。
 白く輝く剣が何度も閃き、レギオンを切り捨てる。
 レギオンの銃は真空中のためか作動しなかった。
 あとは矢神の独壇場だった。
 一体また一体とレギオンを切り捨て、そして最後の一体を真っ二つにする。
 背後の機械ごと。
「あらら?(笑)」
「笑い事じゃないですよ」
 先程のお返しにJINNがつっこむ。
 謎の機械は真っ二つにされ、蒼い火花を散らしながらその機能を停止した。
 心なしか『この周辺の』蒼い炎がおさまったようだった。
「…という事は(笑)」
「まだ他にもあるって事だね」
 JINNが矢神の言葉を継ぐ。
 矢神が何か言おうとしたところで、その辺の道やら家やら屋根からレギオンがわらわら
とわいて出てきた。
「これはたまりませんね(笑)」
「まさに」
 縁側でお茶をすすっている老人達のような会話をしながら二人は逃げ出した。
 逃げ足はとても速い。
 銃弾や、ときおり飛んでくるグレネードをかわしながらひたすら逃げる。
 鎮火まで、先は長そうだ。

「るろ〜(神速)」
 神速の速度をもって妙な機械に飛び蹴りを決める。
 ずごむ、という愉快な音と共に蒼い火花を散らし、機械が動きを止める。
 ゲンキは眠兎に聞いた話を元に、ポジビリティを吸い上げている機械を探していた。
 多分、他の常連ががんばっているのだろう。機械の周りには以前に遭遇した時ほどのレ
ギオンはいなかった。
 レギオンは相手にせずに機械だけを壊す。
 まさに一撃離脱…の予定だったのだが。
「る、るろっ?」
 蹴り足が機械にめり込んで抜けなかった。
 蹴りが鋭すぎたのが敗因だろうか。
 ゲンキに気付いたレギオンが無情にも一斉射撃を行う。
 タタタタタタタタタタタタタタタタタタン!
 軽快かつやかましい銃声が辺りに響き渡る。
「しぎゃああああぁーすっ!」
 あっという間にぼろ雑巾のようになって、ぐったりするゲンキ。
 ぼてっと、機械から落ちる。
「るろっ!(復活)」
 一瞬で身体を修復するとゲンキは再び神速でその場を離脱した。
 落ち着いてから改めて街の夜空を見ると、先程よりややおとなしくはなったものの、ま
だ蒼い炎は燃え盛っていた。
「…眠兎さんにどのくらい機械を設置しているのか聞いておくべきでしたねぇ」
 ため息交じりにゲンキは独り言を言った。
 うやむやのうちに別れてしまった眠兎も気になる。
 だが、今は自分の仕事をするしかないのだ。
 取り合えず次はソルクラッシャーで壊そうと心に決めつつ、ゲンキは再び街の中をうろ
うろしはじめた。
 戦いはいまだ続く。



 蒼く燃える街。
 蒼い炎はポジビリティそのものだった。
 この土地から吸い上げられるポジビリティがあたかも蒼い炎のように見えるのである。
 奪い尽くされれば、この土地には何も残らない。
 ただ荒れ果てた土地のみが残る。
 まるで、核を使用した直後の土地のように。
 あるいは自分が力を振るった土地のように。
 蒼く燃える街の西部を背後に火狩はふらふらと歩いていた。
 なんとなく顔を上げると、酒場の看板が目に入る。
 看板には”じゅらい亭”と書かれていた。
 店からは明かりが漏れ、どこか暖かさを感じる。
 あそこで、クレインは待っていてくれといったのだ。
 ふと、火狩は立ち止まった。
 思い出したように自分の手を見る。

 ボクの手…壊す事しかできないボクの手…

 たくさんの人を殺した。たくさんのものを壊した。
 命令されたからと理由で、意味も無くたくさんのものを壊してきた。

 もう、ボク、これ以上何も壊したくない。
 だってボク、心が痛いよ。
 何か壊すと心が痛いよ。
 それに…これ以上汚れたら…

 無慈悲に、ものの命を奪い続けた手。
 対照的にやわらかな、ヴィシュヌの治すための手。

 でも…ボクは…あんな奇麗な手にはなれない。

 なんだかひどく自分が惨めな存在に思えてくる。
 不安で、苦しくて、悲しかった。

 ボクは…ボクは何なのかな…
 ボクには壊すためだけの力しかない。
 でも、壊すためだけの力に何の意味があるのかな…。

 と、不意に近くで銃声が聞こえた。
 続いて悲痛な女性の悲鳴。

 嫌だ。
 戦いたくない。

 のろのろと足を一歩踏み出す。
 じゅらい亭はもう目の前だ。
 あとちょっとで逃げられる。

 戦えば、また汚れるから。

 もう一歩踏み出す。
「だれか…!」
 背中の方で今度は他の人の声。

 でも…

 さらにもう一歩。
 銃声が響く。
「うわぁああっ!」
「たすけてくれぇっ!」
 何人もの悲鳴。

 …どうして?

 足が止まる。
 火狩の目から涙が零れ落ちた。

 …こんなに心が痛いの? 

 断続的に響く銃声と悲鳴。
 組み合わされた最低の協奏曲。
「…やめて…」
 火狩の口からうめき声ともつかぬ呟きがもれる。
 止めさせたい事は何だか火狩はわかっていた。
 レギオンの、虐殺行為によるポジビリティの回収。

 …そうか…ボク…

 火狩は唐突に気付いた。
 何故心が痛むのかを。

 …レギオンが人を殺しているのをボクは知ってる。
 知ってるのに無視しようとしたから心がいたいんだ。
 ボクは今死んでく人達を見殺しにしてるんだ。
 だから…だから、心が痛いんだ。
 …でも、ボク、どうすれば…

『俺にはコイツがあるしね♪』

 クレインさんはそう言ってた。
 コイツとはスターファイア。
 クレインさんにとっての力の象徴。
 …ボクにも、力が、ある。
 たくさんの人達を殺してきた力が…

『だったら、これからは人を助ければいい。殺したのと同じぐらいの、人をね』

 ボクを『人』にしてくれた時、クレインさんはボクに言ってくれた。
 …できるかな…ボクに…
 人を助ける事ができるかな…

「…かな、じゃなくて、やらなきゃいけないんだね! 」
 火狩は軽く首を振ると元気よく言った。
 その表情にはもう迷いはなかった。
「来い!レーヴァテイン!」
 走りながら中空に手を伸ばすと、そこには巨大な剣が現れる。
 火狩はその剣を担ぐようにして持つとそのまま銃声のしている方に走りはじめた。

 …いたっ!

 ちょうどレギオンのうちの一体がが逃げ遅れた母子を銃で撃ち殺そうとしていた。
 間合いに入った、そのレギオンを火狩はたった一太刀で両断する。
 火狩はレギオンがどんなものだか知っていた。
 レギオンに対する攻撃を行うと、ほぼ同時にその周囲のレギオンが条件反射の反撃を行
う。
 火狩は斬撃と同時に自らのポジビリティを滅びの炎に変換し、右腕に集中させた。
「燃えろっ!」
 気合一閃、火狩が右手を振るとその方角にいたレギオンが一瞬で消し炭にになった。
 と同時にその周囲のレギオンの内側から紅蓮の炎が吹き出す。
 レギオンは個体個体に人格はない。
 だが全体を統一する意志があり、個体同士がいわばテレパシーのネットワークのような
もので結ばれているのだ。
 だからこそ死も恐れず、統制の取れた動きを可能としていた。
 だが、その伝達する意志そのものに攻撃をしかける事が可能なら、さほど相手をするの
は難しい事ではなかった。
 火狩にはそれが可能だった。
 いわばテレパシーを伝って火狩の炎は燃え広がっていったのだ。
 この辺り一帯のレギオンが燃え尽きるまで一分とかからなかった。
「…ねぇ、大丈夫?」
 注意深く周りを警戒しながら火狩は、子供を抱えた母親らしき女性に話し掛けた。
 女性は、子供を抱きしめたまま、がたがたと震えていた。
「…あ、ありがとうございました…」
 声を震わせながら女性は言う。
「…お陰で、助かりました。本当にアリガトウございました!」
 自分の言葉で助かった事を実感できたのか、もう一度勢いよくお礼を言うと女性は逃げ
出すように子供を連れて走り去っていった。
「…あり、がとう…」
 火狩は口に出してつぶやいてみた。
 お礼の言葉、感謝の気持ち。
 破壊と引き換えの報酬。
 でも、悪い気分じゃなかった。
「よーしっ!がんばるぞ!」
 レギオンにとっては迷惑極まりないセリフを言いながら火狩は走りはじめた。
 街の西側に向かって。



「手を?」
 風舞の言葉にみのりはこくりと頷いた。
 みのりの手を風舞は自らの手でやさしく包む。
「…教えていてください。わたしがここにいるって…」
 そう言いながらみのりは目をつぶった。
 まるで自分が引っ張り出されるような感覚と共にみのりの視界が急に広がる。
 E.S.Pで知覚を拡大しているのだ。
 どんどん視点が離れていく。
 やがて、はるか上空からセブンスムーンを見下ろす状態になってようやく離れるのが止
まった。
「蒼い炎が燃えてる…強く、光ってるのが…6個所…」
 今度は蒼く燃えている場所に意識を向ける。
 奇妙な落下感と共に視点が街にちかづいてゆく。
 様々なものがみのりの目…意識に飛び込んでくる。射殺される人々も、戦っているじゅ
らい亭の常連達もレギオンもその全てが一度にみのりの意識に殺到した。
「う…あ…」
 ごちゃごちゃになる意識の中、かろうじて風舞の手のぬくもりがみのりを現実に繋ぎ止
める。
 みのりは、あわせて未来を覗きはじめた。
 さらに意識の混濁が進んだが、風舞が握っている手の感覚を頼りにかろうじて意識を保
ち続ける。
 必要な情報だけを取捨選択し、頭の中でまとめた。
 導き出される答えは立った一つ。
「…どこ?」
 呟きと共にみのりは意識の手をゆっくりと広げた。
 怒り、悲しみ、憎悪…そんなものが一度にみのりに流れ込んでくる。
 今、みのりはテレパスを使って、ある物を探していた。
 発狂しそうな、直接的な感情の直撃に耐えながら、みのりは必死に探した。
 すなわち、『レギオン』の意識を。
 不意に、頭を鈍器で殴られるような衝撃が走る。
「…みつ…けた…」

「みのりちゃん!?」
 みのりを心配そうに見ていた風舞がちょっと驚いたように言う。
 みのりのやや低い小さな鼻から血が滴り落ちていた。
 風舞はみのりの手を片手で握りながら、余らせた手で鼻血をぬぐってやった。
 みのりは依然として、目をつぶったままだ。

(ナンダ、オマエハダレダ?)
(わたしはみのり。あなたは?)
 みのりは見つけ出した、他のものとは異質な意識と接触を持った。
(ワレハれぎおんナリ)
(…そう、まちをこわしているのはあなた?)
(ソウダ、ワレワレダ)
 レギオンの答えを聞き、みのりは風舞の手をより強くにぎった。
(…やめるきは?)
(ナイ。ワレワレハメイレイドオリニウゴク。メイレイガアルカギリヤメナイ)
(…そう、じゃあしかたないわ)
 みのりは息を整えながら宣言した。
(…きえなさい)
(ウグ!?)
 レギオンの精神にみのりは攻撃を仕掛けた。
 不意を討たれたレギオンがひるむ。
 テレパスにおけるおける戦いとは、純粋に精神と精神のぶつかり合いである。
 純粋に意志の強い方が勝つ。
(コザカシイッ!)
(…!?)
 レギオンの圧倒的な意識がみのりの意識を襲った。

「…がっ…!?」
 うめき声と主にみのりがのけぞった。
 今度は耳からも血が滴り落ちる。
「きゃっ、みのりちゃん!?」
 風舞が思わず悲鳴を上げた。
 みのりはがくがくと痙攣しながら、イスから転げ落ちそうになった。
 慌てて風舞がそれを抱き止める。
「しっかりして、みのりちゃん!」
 なおも痙攣を続けるみのりを抱きしめながら風舞は半泣きで呼びかけた。
 みのりからの返事は、ない。



 圧倒的な闇。
 そこは世界と世界の狭間。
 亜空間、次元の狭間等様々な呼ばれ方をする場所だ。
 その中を一対の翼を持つ、淡く光を放つ帆船が漂っていた。
 名は、『天鳥舟』。

 不意に甲板の上の空間が陽炎のように揺らめき、そこから一人の青年が現れた。
 180強の身長を持ち、ちょっとした垂れ目の甘いマスク。
 現れたのは眠兎だった。
「やれやれ、開発当時と待機場所は一緒だったか…楽が出来ていいんですが」
 ぶつぶついいながら眠兎は内部への入り口を探した。
 1分もしないうちに入り口は見つける事ができた。
 余分も見つけたが。
「久し振りですな、”PRT4”眠兎」
「…逆、か。僕は、君には用はないんだ。」
 入り口の前に立つ、逆に眠兎は言い放った。
 言葉の裏に潜むもの、それは『邪魔をするなら破壊する』。
「どうぞ、といいたいところですがね。天鳥舟を壊されては少々困るのですよ。それゆえ
戦わねばなりませんな」
 言いながら逆は血に濡れた短剣”ミストルティン”を抜き放った。
「そうか、残念だな」
 言葉が終わるか終わらないかのうちに眠兎は文字どおり光の速さで飛び出した。
 たった一回の踏み込みで、逆の目前まで移動する。
 逆は反応すらしていない。
 眠兎は腰から銀色に輝くアタックナイフを引き抜くと切り付ける。
 オリハルコン製のナイフだ。やわな結界なら一撃で切り裂く。

 ヴァヂィッ!

 赤い火花と共に眠兎のナイフが止まる。
 と同時に、甲板の上に赤い魔法陣が浮かびあがる。
 眠兎は自分が魔法陣の中に閉じ込められた事に気付いた。
「クックック、私は非常に臆病なのですよ。単体戦最強といわれるあなたの前に、何の策
も準備せずに現れると思っていたのですかな? 」
 逆はあいも変わらず愉快そうに笑いながら結界を隔てた眠兎に言った。
 眠兎は軽く後ろに跳ぶと、袖口に仕込んでおいた投擲用の赤く輝くナイフを2本取り出
した。
 ナイフの柄にはワイヤーの様なものが取り付けられ、眠兎の服の中に続いている。
「余裕ですよ、この程度の結界。逆、お前の命はあと4アクションで終わる…ってところ
ですかね?」
「ほう、ヒヒイロカネ製のワイヤードナイフですか?そのようなもので何が出来るかは知
りませんが…ヴァルシ・レフ・ビュレテュセギィ・ァツセリュミィキュヒ・ギュエアグア
ガ!」
 逆の呼ばわった真名に反応して、魔法陣の中に多数の悪魔が召喚される。
 魔法陣の中は、眠兎の姿が見えなくなるほどの数の悪魔がひしめき合っていた。
「殺せ」
 逆の一言に反応し、全ての悪魔が眠兎に殺到する。
「冗談でしょう?」
 眠兎はあいも変わらず余裕の笑みを浮かべたまま、やむを得ず自分を加速した。
 襲いくる悪魔の動きが止まる。
 実際には眠兎が光速で動いているので止まって見えるだけなのだが。
「一つ!」
 眠兎は掛け声と共にナイフを投げ放った。
 ソニックブームを巻き起こしながら赤光が走り、結界に当たり弾け跳ぶ。
 走った赤光の近くにいた悪魔達は、ソニックブームに巻き込まれ、大半が砕け散った。
「二つ!」
 再び、ナイフを投げ放つ。初めのナイフと寸分の狂いもない同じコースで。 
 赤光が走り、二本目のナイフが結界の初めのナイフが命中して弱まったポイントに命中
し、今度は刺さった。
「三つ!」
 眠兎は赤く光るワイヤーをその手で握ると、ワイヤーとナイフを通して結界のポジビリ
ティを奪った。
 結界が、その『可能性』を失い一瞬で消え去る。と、同時にワイヤーとナイフもぼろぼ
ろに崩れ去る。
 眠兎のポジビリティ奪取能力に耐え切れなかったからだ。
「四つ!」
 眠兎は腰のホルスターからベレッタを抜き放ち、逆の頭部をねらい、引き金を引いた。
 そして、眠兎は自分の行動速度を通常のスピードにまで落とす。
 銃声が響き、弾丸はまごうことなく逆の額を撃ち抜いた。
「がっ!?」
 逆はうめき声を一つあげ、ゆっくりと前のめりに倒れる。
 それと同時に主のいなくなった悪魔達は存在を保てずに消えていった。
 眠兎は無言のまま、やたらとゆっくりと逆に近づいてゆく。
「………」
 十分に警戒しながら足で、逆をひっくり返した。
 逆はにやけ顔のまま、弾丸で額に穴を穿たれ絶命している。
 おそらく何が起こったかすらわからなかったのだろう。
 死んだ逆は右手にはミストルティン、左手には何やら臓物のようなものを握り締めてい
た。
「魔術の触媒、かな?」
 眠兎は小首を傾げる。その視線の先には左手に握られた臓物があった。
 だが、魔術の事など眠兎にはわからないし、死んでしまったからにはもはや意味を成さ
ないものだった。
 眠兎は逆の首筋にさわり、念のため死亡を確認してから先へと歩きはじめた。
「…っととと…」
 不意に膝から力が抜けて、眠兎はよろめいた。
 頭をぽりぽりと掻いてから深呼吸をして、気を取り直して眠兎は先へと歩きはじめる。
「…後一回が、限界ですかね」
 自分を加速するのにもリスクがある。
 極度の精神的疲労と、体力の消耗だ。
 実際眠兎の体力的な消耗はピークに達しつつあった。
「…やれやれ、楽にすめば、良いんですがね。」
 多分に願望を込めた呟きを聞き止めるものはいない。
 眠兎は少なくともそう思っていた。
 だがそうではなかった。
「…無理な話ですな」
 ポツリ、と誰かが答えた。
 眠兎にその答えは聞こえなかった。




 つづく


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