「−まほろば− なんてステキなありふれた日々」1 藤原眠兎



第壱話 約束



 男の子だったら大好きな子を守ってあげなきゃだめだよ。
 幼い頃、父さんに俺はそう教えられた。
 その時俺はその言葉の意味がわからなかった。
 だって、父さんも母さんも姉さんの美影も幼友達の虹ちゃんも京介兄さんもじゅらい亭
の月夜ちゃんも学校の友達のカリンもみんなみんな好きなんだ。
 好きって比べられるもんなんだろうか?
 どうなんだろう?
 父さんは俺がそう尋ねると、笑って「いつかわかるよ」と答えた。
 答えはまだ、わからない。



−1−

 チュンチュンと遠くで雀の鳴く声が聞こえる。
 いわゆる朝というやつである。
「よーしっ!ラスト一回だぜ、京介兄さん!」
 伸び放題でぼさぼさの黒髪をかきあげながら14,5歳ぐらいの少年が元気よく宣言す
る。
 身長は170cm前後、体格はしまってはいるがやせているわけではない。
 伸び放題の髪が邪魔してだらしない印象を与えてはいるが、顔立ちは整っている。
 髪の向こうからのぞく、まっすぐな瞳が印象的だ。
「光流君、まだやるのかい?学校に遅刻しちゃうぞ?」
 京介兄さんと呼ばれた少年がやれやれといった様子で答える。
 こちらは17,8歳ぐらいだろうか、少年というよりは青年というべき年齢だ。
 長くつややかな黒髪を後ろで束ね、黒い詰襟を身にまとっている。
 美形、と一言でいってしまえばそこまでだが、この世の者とは思えないほど顔立ちが整っ
ていた。
「…やれやれ、仕方が無いな…」
 まっすぐな光流の瞳に根負けしたのか、京介は肩をすくめるとゆっくりと銃のようなも
のを構える。
 Star Fire mk2(スターファイアマーク2)…それがその銃のようなものの
名前だ。
「…いくぜ!」
 掛け声と同時に光流の手に光の刃があらわれる。
 京介が何事か呟くとSF2が反応し、地面に光の魔方陣が描かれた。
 一瞬の空白の後、その魔方陣から金色の髪の美女、熾天使ガブリエルが召喚される。
「ガブリエル、フィールド展開。10秒耐えろ。」
「イエス、マスター」
 返事と同時に京介とガブリエルを中心として淡く光る結界のドームが出来あがった。
「神速!」
 結界の発生とほぼ同時に光流の姿がその場から消える。
 いや、正確には消えたのではない。目に映らぬほどのスピードで動いているのだ。
「S−2、ポイント3。E−1、ポイント7」
 まさに神業といえる光流の動きに、特に慌てた様子も無く、京介は冷静にSF2を使っ
て次々と「神」を召還する。
 京介の右斜め前方に召還されたタケミカヅチの前に光流が不意にあらわれ、光の刃でな
ぎ払った。
 かろうじて受けとめたタケミカヅチが反撃の雷を放つと同時に再び光流が消える。
 次の瞬間、京介の背後に光流があらわれ、再び光の刃を振るった。
 結界が青い火花を散らし悲鳴をあげ、やがて砕ける。
「今度こそ俺の勝ちだぜ!」
「いや、チェックメイト、さ。」
 勝利宣言と共に光の剣を振りかぶった光流の方を振り向きもせず京介が答えた。
 次の瞬間、ガクンと光流がバランスを崩し、勢いよく前に倒れる。
「な?なんだ!?」
 見ると、地面から生えた腕が光流の足をがっちりつかんでいた。
 このために京介が召喚し、配置した土の精霊『ノーム』である。
 まるで光流が背後から斬りかかってくるのをわかっていたかのような罠の仕掛け方だ。
 カチャリ。
 倒れこんだ光流の頭に冷たい物が押し付けられた。SF2の銃口である。
「BANG!君は死んだ」
 にこりと笑うと京介はホルスタにSF2を納めた。
 光流は頭をばつが悪そうにかいてから、すぐにハンドスプリングで跳ね起きる。
「…はぁ…なんで京介兄さんには勝てないんだろうなぁ…」
「はは…練習だから、ね。本気ならきっと勝てないよ。さあ、もう時間だよ」
 そう言いながら京介は自分のスポーツバッグを肩から下げ、すたすたと歩き始める。
 歩き去る姿までカッコイイ。
 天はニ物も三物も与える。
 ずるいや。
「よおっし!今日も1日頑張るぜ!!」
 朝の戦闘訓練のがっかりした気分を振りきるようにことさら大声で光流は言うと、猛烈
な勢いで走り始めた。騎士を目指すものとして、時間を守れないのはよくない。
「うおりゃああああああっ!」
 そんなに急いでいるのだったら、先程の”神速”だとか、テレポートだとか、方法はい
ろいろありそうなものだが、光流はひたすら走った。
 セブンスムーンに今日も恒例の朝の気合の声がこだました。



−2−

「んー…」
 ぐうっと伸びをした。
 朝のまだちょっと冷たい空気が胸に流れ込んでくる。
 朝は好き。
 もっとも昼も夜も好きだけど。
 そんな事を考えながら、ぱっぱとあたしは制服に着替えた。
 胸元のおっきなリボンが特徴的なあずき色を基調にしたかわいい制服。
 あたしは結構好きなんだけど、スカートが短かめなのがちょっと難点かな。
 まるでモデルみたいに、くるっと回って姿見にニッコリ微笑んでみる。
 …何やってるかな、あたし。
 急に照れくさくなって、あたしはそそくさと部屋を出た。
 居間に行くと、ちゃんと朝食が並べてある。
 御飯に味噌汁に目玉焼き。
 やっぱ朝食はこうでなきゃね。
 さしあたって、作ってくれたハズの部下Gおじさんの姿が見当たらないので、あたしは
感謝と共にありがたくいただくことにした。
「いただきまーす」
 もぐもぐ。
 相変わらず美味しい。
 朝食を残さず全部食べたあたしは、流しに食器を置いて洗面所へと急いだ。
 別に急ぐ必要なんか無いんだけど、ただまぁ、何となく。
 シャカシャカと歯を磨いて、バシャバシャと顔を洗う。
 よーし、準備完了!
 鏡を見ながら、お母さん譲りの自慢の赤い髪をバンダナでまとめなおして、かばんを力
強く握った。
 さしあたっての目標は美影ちゃんと光流君を迎えに行く事。
 美影ちゃん、ほうっておくと学校来ないもんなぁ…。
 さあてーっと…
「いってきまーす!!」
 こうして鏡矢 虹の今日という1日は始まったのであった。



−3−

 いかにもどこにでもある、市街地の中流家庭の一軒家。
 それが藤原家である。
 何やら藤原家などと書くと平安時代の貴族のようだが、その家族構成は家の見かけと同
じでいたって普通であった。
 父親の藤原眠兎、母親のみのり、長男の光流に、長女の美影…これがその家族構成であ
る。
「いってきまーす!!」
「…いってきます」
 その玄関からちょうど少年と少女が挨拶と共に出てきた。
 おさまりの悪い伸び放題でぼさぼさの黒髪の少年が光流、その隣の少女が美影である。
 美影の歳は光流とさして変わらないように見える。それもその筈、二卵性双生児…平た
く言えば双子なのだ。
 もっとも光流と美影が双子だといっても、あまり似てはいない。
 ぼさぼさの黒髪で元気いっぱいの光流と、それに対して緩やかなウエーブを描く腰まで
はある長い栗色の髪のおとなしい(というよりはクールでドライ)美影とでは共通点を見
出すほうが難しい。それぐらい似てはいないのだが、仲は決して悪いわけではない。
「…だるい…」
 ぽつり、と美影が呟く。
 美影の数少ない友達の、虹やカリン、月夜に言わせれば『色白でうらやましい』という
ことになるのだろうが、今の美影の肌の色は確かに白かった。
 むしろ青白い。
 ほとんど病人のような顔色の悪さである。
 病気ではないのだが、美影は極度の低血圧なのだ。
「ほら…荷物は持ってやるからがんばれよ!」
 そういいながら光流は美影のカバンをひったくるようにして持った。
 実はこれ、毎朝の事なのである。
 毎朝美影が愚痴り、毎朝光流が励まして荷物を持ってやる。
 そんなことが学校に通うようになってからはずっと続いている。
「光流クン、美影ちゃーん!!」
 後ろから元気な声。
「虹ちゃんおはよう!!」
「…おはよう」
 振り向いて挨拶する双子。
 後ろからは虹が二人に駆け寄ってくる。
「ちょっと遅れちゃったね、ごめんごめん」
 そういいながら手を合わせて反省のポーズ。ウインクをしながらぺろっと、小さく舌を出す。
 どんなに怒っていても思わず笑顔になってしまうような、そんな愛嬌のあるかわいいしぐさ。 
 もともと怒ってもいない光流と美影に笑顔が浮かぶ。
「俺もちょっと朝遅かったからちょうどいいぐらいだよ」
 光流は笑顔のままで答えた。
 もっとも伸び放題の長い前髪に目は隠れてしまっているので、笑顔となのかどうかはぱっ
と見では判別しづらいのだが。
「…そう、朝っぱらから京介さんとチャンバラごっこをやって遅くなって、家に慌てて帰っ
てくる馬鹿がいたから」
 ぽつっと呟く美影。
 光流の口元が引きつる。
「なあんだ、よかったー」
 向日葵みたいな明るい笑顔を浮かべながら虹はしみじみと言った。
 この際美影のあしざまな言い方は気にしない。
 だてに幼馴染はやっていないのだ。
 この場合だと、美影は虹にフォローをいれているつもりなのである。
 光流がちょっと遅かったから気にしないでいいよ、と言いたいのだ。
 多分。
「でも『チャンバラごっこ』なんて京介さんも光流くんも子供みたいだね」
 可笑しそうに虹がもらした感想に二人の顔に縦線が入った。
 わかってはいたのだが。
 結構天然さんなのである。
「…どうかした?」
 立ち止まった二人を不思議そうに見ながら虹が尋ねる。
「えーと…」
「…なんでも無い」
 光流はなんて説明しようかちょっとだけ考え、美影はいつもの事だからあんまり気にし
ない。
「???変なの」
 小首を傾げる虹であった。



−4−

 遠く。
 ずっとずっと遠く。
 学校へと向かう少年少女を観察するものがいた。
 それは、ふむ、と呟いた。
 まるで爬虫類のレンズのような目を縦に閉じると、思案深げに首をかしげる。
 とても人間らしい仕草だが、何かが決定的に違った。
 ぐりっと首が270度ほど回る。
 まるでフクロウのような動きだ。
「ガーディアンがいないときは騎士か…魔王、神…いずれも相手にはしたくないものだな。」
 しわがれた声で呟くと、それは高く跳躍した。
 そのままマントの下から、コウモリのような皮膜の翼が現れ大空へと飛びあがる。
「まぁいい、好機というものはいずれめぐってくるものだ。そう、いずれな…」
 ばさり。
 大きくはばたく。
 それは計り知れぬ程の速度で空を昇っていき…雲の彼方へと消えてゆく。
 雲は厚く、そして暗かった。



−5−

 不意にぱあっと明るくなった。
 そう、今まで密閉された空間であった、この小さな小さな部屋の扉が開かれたのだ。
 ちなみに30分ほど前にも1度、1分足らずの間だけ開放されていたりする。
 この部屋の主はどうも短気でいけない。
 たいてい扉の開け閉めはほんの数十秒で完了してしまう。
 この部屋で保管している物と自分の物を交換すると、なんの未練も無く乱暴に扉を閉め
てしまうのだ。
 ところは今日はどうにも事情が違ったらしい。
 さもありなん。

「…なんだ、これ?」
 光流がいぶかしげな声を上げた。
 下駄箱の中からそれを取り出すと、思わず光にすかすようにして眺めた。
 12×6Cmぐらいの大きさの長方形にまとめられた、紙製の物。
「…それはね、封筒というのよ」
 ちらりと視線を向けた美影がどうでもいいような口調で答える。
 いくらなんでもそれぐらいの常識は光流でもわきまえている。
 ただ、判断に苦しんでいるのである。
 ちなみに今までの手紙の内訳は、ケンカのお誘い5通、意味のわからない嫌がらせらし
き手紙3通、決闘のお誘い4通、エトセトラエトセトラ…つまりは100%の確立でろく
でも無いお手紙なのである。
 ちなみにケンカ、決闘、犯人探し、それら全ての勝率も100%である。
「でも、なんかいつものと雰囲気違うねぇ?」
 虹が光流の手に握られている封筒をのぞきこみながら言った。
 封筒の色は淡いピンク色で、丁寧できれいな字で『藤原 光流さまへ』と書かれている。
 これでケンカのお誘いだったりした日には、それはそれで怖いものがある。
「そうかぁ?」
 光に透かして見える封筒の中には、うすぼんやりと便箋らしきものが入っているのがわかる。
 さすがに内容までは、この状態ではなんとも判別しづらい。
「…うりゃ!」
 何だか変な気合の声と共に、思いきって光流は封筒を開けはじめた。
 封筒の封印である桜の花びらを模したシールをはがし、その中に隠された便箋を取り出す。
 そのまま流れるような一切の無駄の無い動作で便箋に目を通す光流。
 しばしの後、光流は首をかしげ、まるで難解な方程式でも相手にしているかのような難しい
顔をした。
「どうしたの、光流くん?」
 虹はそう言いながら、背伸びをしながら横から光流に抱きつくようにして便箋を覗き込んだ。
 無言で美影も覗き込む。
 ちなみにやや小柄な虹に対して、身長が170cm弱の美影は光流とあまり身長差は無い。
 つまりはあまり苦労せずに見ることが出来る。
 それはともかく、二人が覗き込んだ便箋にはかわいい文字でこう書かれていた。


 前略 藤原光流さま

 初めまして、こんにちは。
 突然の手紙で驚かれたかと思いますが、どうか出来る事なら最後まで読んであげてください。
 私が初めて先輩と出会ったのは入学式の時でした。
 朝、ちょっとした事情で遅れてきてしまって、式が行われる講堂がわからずに途方にくれる
私の手を引いてつれていってくれましたね?私、あの時は不安で心細くて…先輩がやさしくし
てくれて、すごくうれしかった。
 先輩が私を助けてくれたのは、その時だけじゃありませんでした。
 要領の悪い私はごみ捨てとか、荷物運びとか押し付けられる事が多いんですけど、先輩はそ
んな私の事見かけるたびに助けてくれました。
 別に、私が先輩の「特別」じゃあない事ぐらいわかります。先輩は誰にでもやさしい素敵な
人です。
 でも、だから、私の気持ちを伝えたくて、この手紙を書きました。
 だけど、このまま書いていたら小説一冊分ぐらいの量になってしまうから…一番大切な一言
を言うためになけなしの勇気を出して書きます。

 今週の日曜日の朝10時に、セブンスムーンセントラルシティパークの大きな噴水の前でお
待ちしています。

 ご迷惑かもしれませんが、どうしても直接気持ちを伝えたいので…お待ちしています。

                                        草々

                 2−B 魔術分類学クラス キリエ・レインウォーカー


 これは誰がどう見てもラブレターである。
 ところが光流は不思議そうに文面を眺めているのだ。
「これってラブレターだよぉ!」
 虹が頬を赤く染めながら言った。
 美影は何を考えているのか少し首を傾げるだけだ。
「そうかなぁ…でもちょっと怪しいぜ」
「どこが?」
 疑惑の目を向ける光流に虹が尋ねる。
 怪しいところなんて特別無いはずだが。
「だって、言いたい事があるなら手紙なんて置かないで直接言えばいいんだし…手紙にも
その内容が書いてあるわけでも無いし…」
「そ、そうかなぁ…」
 光流の言葉に虹の顔に縦線が走る。
 誰がどう見ても告白間違い無しである。
「そっか!直接この娘に聞きにいっ!?」
 ばきゃっ!!
 ぽんっと手を叩き、名案とばかりに言おうとした光流の後頭部を美影のフルスイングし
たカバンがとらえた。
 しかも角。
「うっ、うおおおおおおっ!?」
 後頭部を押さえて悶絶する光流。
 美影は冷ややかな目でその様子を見下ろしていた。
「…これが罠にせよ、そうじゃないにしても行くんでしょう?」
「そ、そりゃそうだけど…」
 涙目で答える光流。
「…だったら今聞く必要は無いじゃない、この馬鹿。もし、これが本物のラブレターだっ
たらどれほどの気持ちをこめて書いたのか少しは考えなさい。」
 ぴしゃりと美影は言うと、あとはあまり気にもせずに上履きに履き替えてすたすたと歩
き始めた。
 ふと、立ち止まって虹のほうを見る。
「な、何?美影ちゃん?」
 ちょっと怖いので思わず腰が引ける虹。
 その耳元に美影はそっと呟く。
『…いいの?』
 ちょっと驚いたような顔をして虹は美影の顔を見た。
「へ?何が?」
 しらを切っているのではなく、心の底からの疑問。
 虹のリアクションを見て、美影は深々とため息をつくと肩をすくめた。
「…何でもない」
 そう言い残すと、美影はすたすたと教室の方へと歩いて行く。
 後には?マークを頭の上に飛ばす虹と悶絶する光流だけが残されていた。



−6−

 放課後。
 授業を終えた生徒達がぱらぱらと教室から出て行く。
 クラブ活動へ向かう者、家へと帰る者、教室でだべっている者…様々な模様がそこには
浮かぶ。
 その中でも、教室という名のキャンバスを飾る生徒はまだまだ残っていた。
「へぇーよかったじゃん、光流!あんたみたいな奴でもラブレターくれる奴がいたんだねぇ…」
 しみじみとカリンがいった。
 カリン。名字はない。
 去年、記憶を失ってフラフラしているところを教会に保護された、と本人は言っている。
 そんな深刻な過去にも関わらず、彼女は非常にさっぱりとした性格とユニセックスな外
見も手伝って男女ともに人気がある。
「そんな言い方ヒドイよ。今までもらった事が無かったのが不思議なぐらいなんだから!」
 何か言おうとした光流の代わりに虹が弁護した。
 ちなみに美影はマイペースな事に小説など読んでいたりする。
「そうかな?そのもったりした外見といい、暑苦しい性格といい、あんまもてる要素はな
いと思うだけど?」 どこか楽しげにカリンは虹に尋ねた。
 光流はといえば再び手紙に視線を落としている。まるで他人事だ。
「そんな事ないってば!そりゃあ外見は京介さんと比べればちょっとは見劣りするかもし
れないけど、ちゃんとすればすごいかっこいいんだよ?それに性格だって、正義感が強く
て、やさしくて、素直で…悪いところなんてないじゃない!」
 やや興奮気味に虹が抗弁する。
 その様子を見てくすり、とカリンは笑った。
「ふむふむ、じゃあ、やっとその良さがわかる女の子が現れたというわけだね。よかった
じゃない、虹」
「え?あ、うん…」
 虹は、歯切れ悪く返事をした。

 変だ、あたし。
 なんだがチクチクする。

「そんな…もったりしてるか、俺?」
 やや不満気に前髪をかきあげながら、光流がぽつりと漏らす。
 その無駄に長い前髪が印象を悪くしているとは気付かないのだろうか?
「うん、してる。っていうか全体的にカッコよろしくない、君は」
 やたらときっぱりとカリンが返事をした。
 さすがにちょっとは傷ついた顔をする光流。
「そ、そうか…ぜ、全体的にかぁ…」
 動揺しながら光流はしみじみと呟いた。
 つつっと汗が額を伝う。
 ここまできっぱりと言われると、さすがにちょっと自信が無くなる。
「でもでも、ちゃんとした身だしなみすればカッコよくなるよ…うん。」
 やや勢いの無くなった様子で虹が言う。
「じゃあさ虹、あんたがコーディネイトしてやんなさいよ。良さがわかるんでしょう?」
「え、ええ!?…うん、そっか…そのほうがいいかも」
 カリンの言葉に虹は多少なりとも動揺しながらこくこくとうなずいた。

 ちくちく
 ちくちく
 なにかがあたしの心で突き刺さる。
 いらいらする。
 なんだろう?

「別に、無理にいいカッコしなくても…」
 めんどくさそうに光流が呟く。
「うーん…ほら、相手に対する誠意ってものもあると思うの、身だしなみって。だから…
デートするなら…」
 虹はふと言葉を切った。

 ちくちくちくちく。
 まただ。
 なんなんだろう、このちくちく。

「どうしたの?」
「ん、うんん?何でもないよ。ほら!買い物とか行かなきゃ!」
 光流の問いに軽く首をフルフルと振ってから、虹はガタン、と急に立ちあがって光流の
手を引いた。
 あまりに急なことで、光流の目が白黒している。
「はいはーい、いってらっしゃーい」
 カリンは引きずる虹と引きずられる光流とを見送りながらやたらと嬉しそうにしていた。
 ガラガラピシャッ
 やや乱暴に虹が扉を閉める。
「あはははははは、あーおっかしい!!」
 途端にカリンはこみ上げる笑いをガマンできずに思いっきり笑いこけた。
 今までずっとガマンしていたのだ。
「…あんまりイジワルしないの。二人ともうすらドス鈍いんだから。」
 パタン、と小説を閉じておもむろに美影はカリンに言った。
 カリンは片眉を上げると、肩を大げさにすくめる。
「だあってさぁ…」
「…まぁ、あなたの気持ちもわからないでもないわ。うらやましかったんでしょ?」
 にこりともせずに美影は続けた。
 図星をさされたのか、言葉に詰まるカリンを放っておいて、美影は黙々と小説をかばん
に詰める。
「別に光流が誰と付き合おうが、虹とラブラブになろうがうらやましくもなんとも…」
「…思わない。そりゃあそうでしょ、あなたが嫉妬してたのは別にどちらかに対してじゃ
あないもの。」
 言いながら、じっと美影はカリンを見つめた。
 カリンは根負けしたかのように目をそらす。
「ちぇ…美影にはかなわないなぁ…ボーっとしてるように見えて鋭いんだから…」
「…光流の分をもらってるのよ。」
 いいながら美影は、よしよしとカリンの頭をなでてやった。
「虹も、美影もずるいよなぁ…僕に無いものぜぇんぶ持ってるんだ。家族も、彼氏も、可
愛い外見に、それから…思い出と過去も。」
「…隣の芝は青く見えるものよ。」
 もう1度よしよしと、あやすようにカリンの頭をなでながら美影は窓の外に視線を向け
た。
 はしばみ色の瞳には、無様に引きずられて行く光流となにやら不機嫌そうな虹が映って
いる。
「…そう、青く、見えるものよ」
 美影は抑揚のない口調で小さく呟いた。
 まるで自分に言い聞かせるように。


「俺、どうなっちゃうの!?」
 光流の悲鳴は考え事をしている虹にも遠くで見てる美影にもちょっとアンニュイなカリ
ンにも届かなかった。


 ほんとにどうなっちゃうんだろうね?
 そんなこと誰にもわからないんだよ。
 きっとね。
 そっとその様子を見ていた誰かが呟いた。


−続く−



[13] 「−まほろば− なんてステキなありふれた日々」1
「−まほろば− なんてステキなありふれた日々」2
「−まほろば− なんてステキなありふれた日々」3
「−まほろば− なんてステキなありふれた日々」4
「−まほろば− なんてステキなありふれた日々」第壱話エピローグ
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