「−まほろば− なんてステキなありふれた日々」2 藤原眠兎



 第壱話 約束(2)



 強くなりたい。
 そう思うようになったのはいつの頃だろう?
 ずっとずっと強くなりたいと思っていた.
 でも何のために強くなりたいと思っていたのだろうか。
 大好きな父さんのようになりたかったから?
 立ちふさがる誰かを打ちのめしたかったから? 
 …違う。
 それは約束のため。
 遠い日の約束のため。
 俺は誰よりも強くなりたい。
 いつか交わした約束のために。
 


−7−

「うーん…決定的な何かが足りないんだよねぇ…」
 肩からはかばん、その両手にはたくさんの買い物袋を抱えた光流を見ながら虹は呟いた。
「足りないって…なにが?だって服も靴も買ったらもうなにも買うもん無いぜ?」
「うーん…そうなんだよねぇ…でも何かが『かっこいい』っていうのには足りないんだよ
ねぇ」
 虹はそういいながらあごに唇に指をあてながら小首を傾げた。
 光流はといえば、まるでえさを待っている犬のように黙って虹の言葉を待っていた。
 思えば結構ひどい言いぐさなのだが、とくに腹は立たない。
 自分の事を考えて言ってくれているんだというのがわかっているからだ。
 普段から美影にヒドイ言われ方をしている、というのが助けているのかもしれないが。
「あ…俺ちょっと買うモノあったんだ。ちょっとここでまっててくれる?」
「え?別に良いけど…」
 ふと何かを思い出して光流は荷物をどさどさとおくと、半ば虹の返事を聞かずに近くの
服飾品店に入っていった。
 ふぞろいの長い黒髪が妙に印象に残る。
「あ、そっか…髪だ」
 自分のどこかに残っている不満にようやく気付いたように虹が呟いた。
 ずうっと一緒だったから、光流のあのぼさぼさで収まりの悪い髪が当たり前に感じてし
まっていたのだ。
 髪形変えるだけできっとものすごく印象が変わるような気が、した。

 ちくちく
 やだな。
 まだ何かちくちくする。
 別にいやな事ないよ。
 光流くんが、はじめてラブレターもらって、デートする…だけだもん。
 光流くんの良さがわかる娘が、あたしのほかにも、出来ただけだもん。
 ちくちく
 痛い。
 いたいいたいいたいいたい…
 なんで、どうして?
『いいの?』
 ふと美影ちゃんの言葉を思い出す。
 悪いはずないよ。
 だって嬉しいもん。
 いい事だもん。
 ちくちくちくちくちくちくちくちく…

「お待たせ…って、どうしたの?なんか、泣きそうな顔してるぜ?」
「うひゃっ!?」
 急に目の前に現れて自分の顔をのぞきこんでいる光流に驚いて、虹は素っ頓狂な声を上
げた。
 その声に光流が反応して素早く辺りを見回した。
 当たり前だが何もない。
「???」
「何でも無いよ、光流くん。ちょっとボーっとしてたから驚いただけだから…」
 不思議そうに自分を見る光流から、なぜか目をそらしながら虹は答えた。
 何だか釈然としない様子の光流の腕を虹はまた引きずるように引っ張り始める。
「っとと、今度はどこに行くの?」
「うーんと、ね…じゅらい亭!」
 言いながら虹はぐいぐいと光流の腕を引っ張った。
 そのスピードたるや、ほとんど駆け足である。
「そ、そんなに急がなくても…」
 光流が両手一杯の荷物のバランスと格闘しながら呟いたが、虹は珍しく聞こえないふり
をした。
 立ち止まるのがイヤだった。
 考えるのがいやだった。
 何でちくちくするのかは虹にはわからなかったが、じゅらい亭に行けばきっと誰かが、
この原因を教えてくれるような気がした。
 だから…走った。
 一生懸命に。

−8−

 本棚と、本がところせましと並び、奇妙な沈黙が支配する空間。
 そう、ここは『図書室』である。
 放課後の特に利用者も無く、がら-んとしている部屋の中で二人の生徒がいた。
 一人は女生徒で、ダークブラウンの髪を三つ編みにして、いかにも大人しそうな眼鏡っ
娘。もう片方は金色の髪を短く刈り込んだ、この部屋にはそぐわないスポーツマンタイプ
の男子生徒だった。
「キリエ、おまえさ…ホントに、手紙出したのか?」
「うん。だめもと…かな?私みたいに何の魅力も無い女の子からもらっても…迷惑かもし
れないけど、ね」
 はは…、と情けない笑いを浮かべて、キリエはずり落ちた眼鏡を直しながらぼそぼそと
消え入りそうな声で答えた。
 その様子を見て、男子生徒はいらだたしげに頭をかく。
「どうかしたの、ガルくん?」
「…いや、お前ってすごいな。」
 ガルから漏れた意外な言葉にキリエはきょとんとした顔をした。
 少なくとも、今の会話から出てくるような言葉ではない。
「え?」
「だってそうだろ?結果はどうあれ、会って言葉にしたいなんてさ…勇気がいる事だと思
うぜ、俺はさ。俺には…少なくとも、できないしな。」
 うんうん、と頷きながらガルは言った。
 その言葉を聞いて、キリエは困ったような顔をする。
「うーんと、ね、そんなにほめるような、事じゃ、ないと、思う、の。私ね、自分が、嫌
いなの。暗くて、内気で、本ばっかり読んでて…だからね、変えたかったの。自分を。精
一杯の、勇気を出して、好きに、なった人に、気持ちを伝えられたら…変われるかな…っ
て…」
 たどたどしく言葉をつむぐキリエを、ガルはただ黙って見ていた。
 まるでまぶしいものでも見るように、目を細めて。
「よし、お前今日、家によってけ。」
「ガルくんの家に?」
 いぶかしげに尋ねるキリエ。
「そう、俺の家。がんばるキリエにとびっきりの魔法を見せてやるよ。魔法分類学やって
るお前が見た事も無いような、さ!」
「…ま、ほう?」
 オウム返しに呟くキリエの顔を見ながら、ガルはにっこりと笑った。
 まぁ、こういうのもあり、かな。
 心の中で、ガルはひそかに呟いた。 
 つまりはそういう事。



−9−
 
 …もう大丈夫…

 誰かがあたしに言った。
 いつのことだっけ…

 …でも、どんなときでも…

 聞いた事ある声。

 …の事、必ず守ってみせ…

 誰だっけ…いつのことだっけ…

 …は騎士になる…………守る…

 どうしよう、思い出せない。
 …なにか大切な…約束のはずなのに…

 …あたし、思い出せないよ………くん。


 ざわざわ、ざわざわ、ざわざわ…。
 人のざわめき。
 ジョッキを置く音や、皿とナイフとフォークの多重奏。
 いろんな音が混ざり混ざって、”じゅらい亭”という名の協奏曲を作りあげている。
 虹はそんな音楽をBGMにうたた寝中だった。
 ただ、あまり良い夢を見ていないのか、はたまた寝苦しいのか、その寝顔は心なしか苦
しげだった。
 不意に、カタンと軽い音を立て虹の隣のいすが動いた。
 ふわり。
 そんな表現がふさわしい物腰でその椅子に少女が一人腰掛ける。
 歳は虹と同じ位だろうか、スミレ色のきれいな髪の毛と空色のやさしそうな瞳が印象的
だ。
「…んー…」
 気配に気づいたのか、虹はゆっくりと目をあけるとのけぞるようにして伸びをする。
「…おはよう、虹ちゃん」
「ふにゃ?」
 虹が寝ぼけ眼を向けると、そこには見た事があるような少女がいた。
 からんからん、と遠くで扉の鐘が鳴る音が聞こえる。
「えーと…誰だっけ?見覚えがあるんだけど…」
 虹の質問に少女は少しさびしそうな顔をした。
 が、すぐにまたやさしそうな笑みを浮かべる。
「月夜、だよ…虹ちゃん」
「あ…そっか…ごめんごめん、あたし寝ぼけてたのかな?」
 恥ずかしそうにてへへ、と照れ笑いを浮かべながら虹はバンダナを巻きなおした。
 気合が入るというわけではないのだろうが、だんだん寝ぼけた意識がはっきりとしはじ
める。
「…あ、どうなったの…かな?」
「大丈夫、まだ、終わってないから…」
 虹の疑問に月夜が答える。
 虹はちょっと寝ぼけた頭をはっきりさせようと、居眠りしてしまうまでを回想してみる
ことにした。

 えーっと?確かあたしは光流くんを連れてじゅらい亭に来て…部下Gおじさんをさがし
たんだっけ。
 あたし、いつもなんだかんだいっても部下Gおじさんに髪の手入れしてもらってたから
…部下Gおじさんなら光流くんの髪型何とかしてくれるかなって思ったんだ。
 でも、部下Gおじさんはいなくて…風舞さん達にその事話したらなんか話が変な方向に
進んじゃったんだっけ。
 「素材が良いから…」とか「これでもじゅらいくんの髪を切ったことが…」とか「改造
のし甲斐が…」とか口々に言う看板娘さん達に光流くんを連れていかれちゃって…それで、
待ってる間に…あたし、今日の事考えてた…
 光流くん、どうなっちゃうのかな?
 なんでちくちくするのかな。
 『いいの?』
 美影ちゃんどうしてあんなこと言ったのかな?
 キリエさんってどんな人なのかな。
 そんな事考えてるうちに居眠りしちゃったんだ。
 ちくり。
 あ、また…

「ねぇ、虹ちゃん?」
 深い思考の海に沈もうとする虹をやさしく引き止めたのは、月夜の声だった。
 その声にびくっと反応して、虹は変な顔をした。
 笑いたいけど笑えない。
 泣きたいけど泣く事が出来ない。
 そんな表情だ。
「虹ちゃんは誰か男の子のこと、好きになった事ってある?」
「え、あたし?あたしは…うーん、あるのかなぁ?」
 聞かれて、虹はこめかみに指を当てて、考えてみる。

 あるといえばあるし、無いといえば無いなぁ…。
 京介さんとか部下Gおじさん…かなぁ。
 好きなんだけど…何か、違う気がする。

「うーん…強いていうなら京介さんかなぁ…カッコよくてクールで知的で…俳優みたいに
かっこいいし…」
 さんざん悩みながら、虹は答えた。
 月夜は軽く頷くと、にこりと微笑を浮かべた。
「光流くんは?好きじゃないの?」
「うーん…光流くんはわかんない…けど、ほら弟とか仲のいい友達とか、そういう感じか
なぁ?」
 月夜の問いにあはは、とカラ笑いを浮かべながら虹が答えた。
 虹のどこか引きつった笑顔が、月夜の空色の澄んだ瞳に映る。
 まるで何かを見通すような視線。
「…好きって難しいよね。家族の"好き"、友達の"好き"、恋愛の"好き"、食べ物の”好き"、
好きなこと、好きなもの、"好き"って言葉一つで、たくさんの意味があって…自分の言っ
てる"好き"がどの”好き”だかわかんなくなっちゃう。」
 歌うように紡がれる月夜の言葉を虹は真剣な面持ちで聞いていた。
 そんな様子を見ながら月夜はゆっくりとした調子で言葉を続ける。
「わたしには上手く言えないけど…本当の"好き"って、なかなかわかんないものなんじゃ
ないのかな?きっと当たり前の事や、普段の生活の中にあって…そりゃあ、一目で恋に落
ちる人だっているし、そういう特別な”好き”がわかる人にはわかるのかもしれないけど
…」
「…ありがと月夜ちゃん。何が言いたいのかは、なんとなくわかるよ。」
 虹は迷子の子猫がイヌのおまわりさんに出会った時のような表情で月夜の言葉をさえぎ
った。
 本当は助かったはずなのに、でも、それがわからなくて、もっと困ってしまっている。
 そんな表情だ。
「でもね、それでも、あたし、光流くんは”好き"じゃないと思う、の。光流くんは"好き"
だけど…その"好き"じゃあ…ないの。」
 句読点交じりの途切れ途切れの言葉。
 まるで自分に言い聞かせるように、虹は月夜に言った。

 ちくちく…
 いたくない、痛くなんか無いよ。
 胸が痛くなったり、苦しくなったるするはず無いんだもん。
 ちくちくずきずき
 だいじょうぶ、痛くなんか…
 ない。

「…うん、わかった。ごめんね、虹ちゃん…」
「あはは、別に気にする事無いよぉ…だって、あたしの事心配して言ってくれたんだもん。
謝ること、無いよ…ね、そうでしょ?」
 ちょっと落ち込んでしまった月夜に、虹はやさしく声をかけた。
 いつものようにひまわりのような…とはいかなくてもタンポポのような明るい笑顔を虹
は浮かべる。
「…まで満足のいった改造は近年まれに…」
「…ちゃいたけど…」
「…んなに変わったのか?俺…」
 ちょうどその時、看板娘達のわいわいとした声と、光流の声が奥から聞こえ始めた。
 どうやら調髪が終わったらしい。
「…光流くん、終わったみたいだね。じゃあ、わたし、もう行かなきゃ…」
「うん、またね…ばいばい」
 虹は笑顔のままで、軽く手を振った。
 ばさり。
 翼の羽ばたくような音と共に、現れた時と同じようにふわりと椅子から立ちあがると、
すうっと月夜の姿が消えていった。
「…あ、あれ?…あたし、今まで誰と話してたんだっけ?」
 月夜の姿が消えると同時に、虹が呟く。
 別に冗談で言っているのではない。
 存在にして非存在。
 月夜はそういった、不安定な存在なのだ。
 存在はする。
 だから、話もするし、その内容もおぼろげに覚えている。
 だが、その場に彼女自身がいなくなれば、その存在は記憶の彼方へと封印される。
 かろうじて一部の人間のみが記憶にとどめる事ができる。
 じゅらい亭の天使の一人。
 それが月夜。 
「じゃ〜ん♪虹ちゃん終わったよ〜♪どう?どう?カッコよくなったでしょ?」
 やたらと楽しそうに看板娘の一人、悠乃が言った。
 悠乃の守護霊獣、雲渡があたかも同意するように周りを飛びまわる。
「…光流、くん?」
 虹はその隣のちょっと困った顔をしている光流らしき少年に話しかける。
 光流はばつが悪そうに、やたらとさっぱりとしてしまった頭をかいた。
 いつも通りのしぐさ。
 虹の心に何となく安堵感が広がる。
「あんま切りたくなかったんだけどなぁ…」
 不満気に光流が呟く。
「まぁまぁ、似合ってるわよ?少年。安心しなさい、ちゃあんと魔術的なちか…」
「わーいうれしいなありがとーございますー」
 やはり看板娘の一人の時魚の言葉をやたらと大声の棒読み口調で光流はさえぎる。
『内緒だって言ったはずだぜっ!?』
『ああすまん。失念していた』
 ぼそぼそと内緒話をする光流と時魚を、虹はぼうっと見ていた。
「…どうかしたの?虹ちゃん?」
 これまた看板娘の一人の風舞が様子のおかしい虹を見て心配そうに尋ねる。
「なんだか…光流くんじゃないみたい…」
 ぽつっと虹が呟く。
 今までぼさぼさで伸び放題だった黒い髪はきれいに切りそろえられ、長い前髪に隠れて
いた黒曜石のように澄んだ黒い瞳がひどく印象的だ。
 さしずめ、今までが『ガキ大将』だとすると、今現在は『若き革命軍のリーダー』とい
ったところだ。
 たかだか髪の毛を切っただけなのにひどく印象が変わってしまっていた。
「そうね、こんなに変わるとはさすがに思ってなかったけど…」
 風舞が少し感慨深げに答えた。
 いかに今まで素材の無駄遣いをしていたか、ということである。
 リサイクル万歳。
「どうかな、虹ちゃん?ましになったかな、俺?」
「…うん。なったよ…なんだか、違う人、みたい。」
 やや歯切れ悪く虹は答えた。
 ましどころか、かっこいい。

 なんで、こんなにイヤなのかな…
 ずきずき
 あたしは知ってた。
 光流くんがすごくカッコイイ事。
 ずきずきずき
 だから、髪の毛切るの頼んだのに。
 なんで…いやな気持ち…胸…痛い…
 
「虹ちゃん、どうかしたの?さっきからなんか様子がおかしいぜ。」
「え、ううん…なんでもない、よ。あ、あたしもうかえんなきゃ!!」
 半ば光流を無視して急に思い立ったように言って、虹はそばに置いておいたカバンをひ
っつかむと逃げ出すように店の外へと駆け出していった。
「へ?あ、ちょっとまってよ!」
 一瞬の空白の後、光流は慌てて自分の荷物をとると、虹の後を追いかける。
 ばたばたばたばた。
 慌しく出ていく二人。
 ばたばた。
 一人帰ってきた。
「髪、切ってくれてアリガトウだぜ!」
 それだけ言うとまた光流は虹を追いかけて慌てて走っていった。
「い〜ねぇ〜♪青春だねぇ〜♪」
 悠乃が楽しそうに呟く。
 横で風舞が小首を傾げた。
「そういうものかしら?やっぱまずかったんじゃないかなぁ…」
「大丈夫。」
 風舞の言葉に妙にきっぱりと時魚が答える。
「光流少年の髪に込められていた思いが伝われば、ね」
「…それが一番難しいんじゃないの?ひょっとして。」
 風舞のつっこみに時魚はしばし沈黙し…
「…ま、なるようになるでしょ」
 と、お気楽に答えた。
「そうそう、月夜も虹ちゃんと話してたみたいだしねぇ〜♪きっと上手くいくよぉ〜♪」
 悠乃は先程月夜が座っていた椅子に目を向けながら嬉しそうに言った。
 椅子に伸ばした手には純白の羽。
「そうね、きっと大丈夫。きっと…ね」
 放たれた矢は飛ぶ事しか出来ない。
 転がり始めたさいの目は止まるまで判らない。
 確実に計算できる未来など存在しないのだから。



−10−

 夕方。
 じゅらい亭の屋根の上で一人の少女が座っていた。
 空色の瞳、スミレ色の髪の少女。
 座っているのは月夜だった。
 夕日に照らされて、アメジストの色になった瞳の先には街を疾走する一組の少年少女。
 逃げる少女に、わけもわからず追いかける少年。
 ふぅ、と溜息を一つ。
「…ここにいたわね、お節介」
 不意に聞こえた後ろからの声に少し驚いて月夜は振り返った。
 私腹姿の美影がそこに立っている。
「うーん、そう言われると、ちょっと辛いよ…」
 月夜はうつむいて、申し訳なさそうに答えた。
 美影はといえば、あまりその様子を気にせずに月夜の隣に無造作に座りこむ。
「…ごめん、言い方悪かった」
 ぽつりと言うと、美影は沈みゆく夕日を見た。
 空は赤から青への美しいグラデーションを描いている。
 赤く染まる雲。
 大きく真っ赤な太陽。
 綺麗過ぎる夕焼け。
「…大丈夫、月夜は間違ってないよ」
「そうかな…」
 暗くなってゆく周りの景色にあわせるかのように空色の瞳が暗く沈む。
 月夜は自信無さげに、その瞳を美影に向けた。
「…いつかは、自分で気付けたかもしれないけど、今話すのがきっと大切だった…と、思
うな。」
 もちろん美影は虹との会話の事を言っているのだ。
 ちょうど虹と月夜が話し始めるあたりで、美影は虹と光流を探しにこの店に来たのだ。
 珍しく口を挟まずに、美影は二人の会話を黙って聞いていたのだ。
「でも…なんだか、かえって悪くなっちゃったみたいで…」
「…そんな事無いわ。0と1の差は無限に等しいほど違うもの。」
 妙にきっぱりと美影は言った。
 こういう時、美影の態度はある意味頼もしい。
「…それにね…」
 続けながら美影は伸びをするようにして空を見上げた。
 既に星が瞬きはじめた夜空には上弦の月が浮かんでいた。
「…虹は、認めたくないだけなの。光流に恋愛感情があるってね。」
「どうして?」
 不思議そうな月夜の言葉。
「…きっと、好きだって認めてしまうことで、”変わってしまう“のが嫌なんだと思う。
今の、子供の時からずっと続いてきた楽しい関係が違う”何かに”変わってほしくないん
じゃないかな。」
 美影はここまで言うと、そのままパタンと後ろに倒れる。
 ちょうど、屋根の上に仰向けに寝そべるような形だ。
「…いつまでも、子供のままじゃいられない。ピーターパンにもなれない。だから、変わ
らなきゃいけない。」
「そっか…」
 少し寂しげに月夜が呟いた。
 美影は手を月の方に伸ばして軽く目を閉じる。
「…だから、月夜が話した事は状況を悪くなんかしてないよ。表面上はそう見えても、そ
れはきっとより良く変わるためのプロセスだとおもう。」
「ありがと、美影ちゃん…」
 月夜は素直にお礼を言った。
 ちょっと落ち込んでた自分を励ましに来てくれた美影の気持ちが嬉しい。
「…お節介は、私かな」
 美影は苦笑混じりに呟く。
 わざわざ虹と光流を捜しに来たり、月夜と話に来たり…お節介そのものの行動だ。
「でもね、わたしはそんな美影ちゃんが大好きだよ」
 月夜はやさしそうな笑顔を浮かべながら言った。
「…ありがと」
 美影は答えながら閉じていた目を開けた。
 薄いベールに包まれたように、ぼやけた月夜が立っている。
「また、会おうね」
「…大丈夫、私は忘れないから」
 軽く手を振リながら消えてゆく月夜に、美影は言葉を渡した。
 月夜は微笑みと共に、最後に大きくはばたいて、月明かりの中とけるように消えてゆく。
「…ばいばい、月夜」
 言いながらもう1度目を閉じる。
 月の女神”アルテミス”と同じ器を持って生まれた自分。
 光の万能神”ルー”と同じ器を持って生まれた光流。
 ”滅ぼす者”の血を受け継ぐ虹。
 リ・インカーネーションした京介さん。
 不安定な月夜。
 記憶のないカリン。
 特別な立場に特別な力、そして特別なからだ。
 でも、だからといって、他の同じぐらいの歳の子と何が違うというわけじゃない。
 どうして私達は普通ではなかったんだろう?
 考えたって答えなんか出ない。
 ないものねだりはしたって意味なんてない。
「…結局、なるようにしかならない、か…」
 美影は身体を起こすと、じゅらい亭の屋根から飛び降りた。
 ふわりと着地すると、のびをしながら美影は歩きはじめる。
 あたりには夜の帳がおり、優しい月明かりが全てを満たしてゆく。
 月は全てに、優しかった。



−11ー

 流れてきた雲が月を隠してゆく。
 光はさえぎられ、夜は本来の姿を取り戻す。
 絶対なる闇。
「力が欲しいか?」
 闇がささやく。
 なにも映さぬ黒の中、それがうなずいた。
「ならばすべを与えてやろう。お前に力を与えよう。より多き力を得るための力を。」
 闇の中にぽつりと一つの光が浮かぶ。
 それは瞳だった。
「…おおおおおォォォ…」
 唸り声が聞こえた。
 それは雄たけびとも、ときの声ともとれる、暗い喜びに満ちた声だった。
 やがて雲が流れ、再び月と星が夜に安らぎを与えはじめた。
 だが、どんなに月と星が瞬こうとも消えぬ闇があった。
 闇は”鎧”の形をしていた。
 ”鎧”はその重さを感じさせぬ動きでセブンスムーンの街並へと消えて行った。
 凍えるほどの殺意を撒き散らしながら。


 −続く−





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「−まほろば− なんてステキなありふれた日々」3
「−まほろば− なんてステキなありふれた日々」4
「−まほろば− なんてステキなありふれた日々」第壱話エピローグ
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